卵の洗礼
あの日の紺と黄色の光景を思い出すと、胸が苦しくなる。
やっぱり怖い。
でも、どうしても、今、読んでおきたい。
迷いながら、押し入れの奥にある水色の箱を取り出した。
二十数年ぶりだろうか、青い小花柄の蓋を開け、大切にしまっておいた手紙の束を手に取ると、留めておいた輪ゴムが朽ちてちぎれてしまっている。
全て、生徒たちから送られたもの。
意を決して、私は一通の手紙を探した。
忘れかけていた痛みを、もう一度見つめ直しておきたいと思ったからだ。
教師になり、1年目の日々
1980年代の終わり、大学を卒業した私は、念願だった公立中学校の教諭になった。
担当学年は3年生。副担任として数学の授業を受け持った。
来る日も来る日も真新しいことを目の前に突きつけられる。それを充分に消化しきれないまま、また次のやるべきことが降りかかってくる。
そんな日々を過ごしていた。
部活動の朝練で早朝からグラウンドに立ち、帰宅は深夜。当然、土日も部活動がある。自宅でも授業の準備に追われ、公私の「私」の部分がほとんどなかった。
学生時代とは中身が何も変わっていない未熟な自分に、「先生」という重みが常に覆い被さってくる。
想像とは違う現実に、気持ちが擦り切れていく。
ずっと必死で、ずっと手探りで、ずっと下手くそ。
それでも生徒と関わることは楽しくて、若さだけを武器に、生徒とは友達感覚のような、ほどよい関係を築けていたと思っていた。
そんな一年が過ぎた。
迎えた卒業式。
一緒に過ごした生徒たちが巣立っていく日なのに全く涙が出なかった私は、式が終わるとさっさと職員室へ戻り、礼服の上に黄色いジャンパーを羽織って校庭へ走り出た。3年生担当の教師が花道を作って卒業生を送り出す恒例の儀式のためだ。
数名の教師で作る短い花道も、あっけないほどにあっさりと、にこやかに手を振りながら生徒たちは通り過ぎていった。校門のあたりで生徒たちと別れを惜しんでいるクラス担任を残して、私たち副担任は校舎へ戻ることにした。
下駄箱でゆっくりとスリッパに履き替えていると、職員室にいた先生たちが続々と新校舎と旧校舎を繋いでいる渡り廊下へ歩いて行くのが見えた。
中庭の惨事
ただならぬ雰囲気を感じた。
生徒の身に何かあったのかもしれないと思い、事情もわからないまま、私も人だかりの方へと急いだ。
黒い式服を着た職員たちが、皆、中庭を見ている。群衆の視線の先にあるのは、間違いなく私の車だ。
校舎の裏に停めてあった小さな紺色の車が、いくつかの半透明な線と不揃いな黄色の塊で汚されているように見える。
あれは何?
大量の鳥の糞?
え!どういうこと?
そんな私の疑問はすぐに解けた。
卵だ。
状況を理解した私は、激しく混乱した。
なぜ私の車だけが?
誰がやったの?
卒業生?
だとしたら、なぜ?
車へ向けられていたたくさんの視線が一気に私へ向けられる。
哀れむような視線が痛くて、私は反射的に中庭へ飛び出し、自分の車に向かって歩き出した。
私を見ないで!
あっちに行って!
口に出せない言葉を背中で同僚たちに吐きながらスリッパのまま車に近づいてみると、車にはいくつもの卵が投げつけられていて、地面にも卵の殻が散乱していた。
こんな時、人は簡単には泣かない。ただ呆然と、乱暴にぬたくられたぐしゃぐしゃの模様を前に立ちすくみ、動けなくなる。
皆に見られていることが惨めで、私を一人にして欲しい、と思ったが、先生という基本的には親切で優しい人たちは私を放っておこうとはしなかった。気がつけば、バケツと雑巾を持った数人の女性教諭が側に来てくれていた。
私はお礼を言ってバケツを受け取り、「じぶんでやりますから」と彼女たちの善意を断ると、まわりを見ないように自分をガードしながら車を掃除し始めた。
水を含んだ雑巾で卵の痕を洗い流したところで、あまりきれいにならない。それでも、汚れた雑巾で悲惨な痕跡を消していくしかなかった。
そのうち渡り廊下からは人が消え、ようやく涙が溢れてきた。
水が冷たい。
ジャンパーも、礼服のスカートにも、白っぽい卵の汚れが付いている。
底なしに自分が哀れに思えた。
一人になって少し冷静さを取り戻した私は、惨めさよりも怒りが強くなり、犯人の心当たりを片っ端から考え始めた。
ほんとうに卒業生の仕業だろうか。
部外者の犯行とは考えにくいが、生徒がやったとは思いたくない。
生徒と最も歳が近い私は、生徒たちとはぶつかることのないように当たり障りなく接してきたはずだ。私が生徒からこんなにも強い恨みを持たれていたとは、どうしても思えない。
この時点では、誰の犯行なのか、私には全く見当が付かなかった。
卵を投げつけられた理由
車の掃除を終え、卵の殻を拾い、どんな顔をしていいのかわからなくて、私はそのまま女子更衣室へ逃げ込んだ。
気持ちを落ち着かせ、礼服からジャージに着替えて職員室へ戻ると、会議をするために三年部の職員たちが私を待っていた。
その後すぐに明らかになったのだが、私以外にももう一人、3年生担当の年配の男性教諭も私と同様に車を汚されていた。
「器物破損」の罪に当たるようなことをやってしまったのは、2人の卒業生だった。
彼らはそれぞれの教師に対して納得できない思いがあったようで、その腹いせに、自分の対象の車に向けて各々が卵を投げつけたらしい。
私の車を狙った生徒には、彼の担任や学年主任が対応して話を聞いてくれたのだが、最後まで彼は私に直接謝らなかった。
どのようにこの話が収められたのか、ショックが大き過ぎて私の記憶が曖昧なのだが、私にも非があったことを私自身が認めたような覚えがある。
彼の私への怒りの理由は、私のつけた成績への不信感だった。
彼の成績が下がったのは私の指導が悪かったからだ、と彼は思っていた。そんな彼の不満が「卵を車に投げつける」という行動に繋がってしまったようだ。
大学を出たばかりの私には、当然、熟練の先生のような授業はできない。
卵の彼もおそらく、私の授業に対して最初から不満があったのだろう。
学習能力は高い子だが全く学習意欲を見せないという感じで、授業中、常に私を観察しているような冷めた目をしていた。
2学期になり、彼は定期テストを白紙で出してきた。明らかに私への抗議だと思った。しかしその行為のせいで能力に見合った成績を付けられず、彼は学力はあるものの成績が下がった。
それ以降は、高校受験も近づいたのでテストもきちんと受けるようになったが、芯の部分では彼との関係を修復できないまま彼は卒業を迎えたのだった。
彼の気持ちを知った私は、教師を続けることに自信をなくしてしまった。
新しい門出の日に、彼がわざわざ卵を学校に持ち込み、実際に私の車へ卵を投げつける行動に出たことを考えると、彼の私への怒りがかなり大きかったことがわかる。
なぜ、じっくりと彼と向き合わなかったのだろう。
なぜ、彼の気持ちに寄り添えなかったのだろう。
成績のこと以外にも、私は彼の不信感を招くようなことしてしまったのだろうか。
反省と後悔を繰り返しながらも、ゆっくり立ち止まる暇もないほど、私はまた煩雑な日常に埋もれていった。
救われた言葉
部活動の指導が終わり、誰もいない2階の廊下の窓からグラウンドを見ていると、ある男性教諭に声をかけられた。
「優しい子だな、石じゃなくて卵を投げつけるなんて。」
まわりの職員が、まるで腫れ物にさわるように私に接していたなかで、卵事件のことをいきなりさらりと言われて、私は驚いた。
しかも、ぬるいきれいごとのような言葉に、少しザラっとした気持ちにもなった。
しかし、生徒の立場に立ってあの状況を捉えている先生の感性には心が大きく揺れた。
それに本当は、気を遣われずにはっきりと、卵事件について誰かと話したかった。
その先生は私とは担当学年が違い、ほとんど話したことがなかったが、存在感が大きな人で、いつも生徒たちに囲まれていた。少し話しただけでも心の中を見透かされているような気持ちになるので、私はずっと先生が苦手だった。
けれどもその日の私は、もう少し先生の話を聞きたいと思った。夕焼けの廊下で、先生と長い立ち話をした。
先生はひと言も私を責めたりはしなかったが、話しているうちに、私は自分のやってきたことを、いや、自分がやらなかったことをずっと振り返り続けていた。
石ではなく卵を選んだ生徒の気持ち。
そこまでして、彼は私に何を伝えたかったのか。
私に何が足りなかったのか。
私は傲慢ではなかったか。
私は生徒と深く関わることから逃げていたのではないか。
出口や答えが見つかったわけではなかったが、話をした後、私はまた、教師として頑張ってみたくなっていた。
手紙
そんな中で迎えた次年度、1年生の担任になった私は、生徒の気持ちに寄り添うことに全力を注いだ。
もちろん失敗も繰り返し、うまくいかないことばかりだったが、次第に彼らの生活の背景までもがよく見えるようになってきて、学校での日々にやりがいやおもしろさを感じ始めていた。
それから3年が経ち、あの日のことを忘れかけていた頃に、卵を投げつけた彼から手紙が届いた。
恐る恐る手紙に目を落とすと、便せんにびっしりと彼の気持ちが綴られていた。
「申し訳ありませんでした」
その一文が目に入り、涙が溢れた。
違う、申し訳ないのは私の方だ。
人として真摯に生徒と関わることから逃げ、成績という武器で純粋な心を切りつけたのは私だ。
彼は卒業後も、自分のやってしまった罪を背負い、ずっと苦しんだのだろう。
3年経って、当時のことを振り返って私へ手紙を書こうと思ってくれた彼が、私よりもぐんと、ぐんと大人に思えた。
彼宛に、私も長い手紙を書いた。
そして、未来に向かって頑張っている彼に精一杯のエールを送った。
紺と黄色
その後の私は、彼から受けた黄色い洗礼を忘れることはなかった。
あの経験を軸に、精一杯、生徒たちと過ごしてきた。
しかしそのわずか3年後、家庭の事情のため、志半ばで教師を辞めなくてはならなくなった。
そんな私が、今年の春、28年ぶりに学校の現場へ戻る機会を得られた。
ふと、あの日のことが心に浮かび、あらためて彼の手紙を読みたいと思ったのだ。
手紙を読み終えて目を閉じると、紺と黄色のマーブルな色合いが浮かんだ。
ずいぶん時間は経ってしまったが、あの日の痛みも、あの経験から教わった光も、私の心はしっかりと覚えていた。
彼の強い筆圧が、「驕ることなく、生徒に寄り添う人でいてほしい」と私に語りかけてくるように思えた。
