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その「27年」は、誰のための時間なのか。「旭川女子高生殺害事件」に、元刑事として

こんにちは、元警視庁刑事・治安戦略アナリスト、小比類巻文隆です。

旭川女子高生殺害事件で、内田梨湖被告に対し検察は懲役27年を求刑しました。ニュースを見て、多くの方が感じたのではないでしょうか。

「なぜ無期懲役ではないのか」

私自身も、この事件を追いながら強い違和感を覚えました。


法廷で響いた父親の叫び

今回、私が最も胸を打たれたのは、被害者のお父さまによる意見陳述でした。愛する娘を突然奪われた父親の言葉は、どんな解説や分析よりも重く、苦しいものでした。

法廷で被告を指差しながら発した叫び。
それは単なる怒りではありません。
人生そのものを奪われた人間の慟哭だったと思います。

刑事時代、私は数多くの事件に関わってきました。しかし、どれほど時間が経っても忘れられないのは、被害者遺族の表情です。事件は判決で終わっても、遺族の苦しみは終わりません。

なぜ27年なのか

もちろん、司法には司法の論理があります。
その一つが「永山基準」という、被害者数や犯行態様、反省の有無などを総合的に判断し、量刑を決める考え方です。今回も、おそらくその枠組みの中で27年という求刑が導き出されたのでしょう。

法治国家である以上、感情だけで刑を決めることはできません。
それは私も理解しています。

しかし一方で、私はこうも思うのです。
本当にそれだけで良いのでしょうか。

法律と国民感情のあいだ

私は元刑事です。
だからこそ、感情論だけで物事を語るつもりはありません。
しかし今回の事件は、あまりにも残虐でした。

長時間の監禁。
逃げ場のない恐怖。
そして橋の上から突き落とされるという凄惨な結末。

その事実を前にして、多くの国民が「27年でいいのか」と感じるのは自然なことだと思います。

法律の論理と国民感情。
その距離が広がりすぎているのではないか。
そんな疑問を抱いています。

被害者には未来がない

もし刑期を満了すれば、被告は50歳前後で社会に戻る可能性があります。
新しい人生を歩むこともできるでしょう。
しかし、被害者にはその未来がありません。

当たり前の日常も。
夢も。
家族との時間も。

すべて奪われています。

私は刑罰を復讐のために使うべきだとは思いません。
しかし、被害者の命の重さを社会がどう評価するのか。
そこはもっと真剣に議論されるべきではないでしょうか。

元刑事として、今あらためて問いかけたいこと

私はこれまで数多くの犯罪者を見てきました。そして同じ数だけ、被害者や遺族の悲しみに触れてきました。だからこそ今回の事件を見て感じるのです。

事件は数字ではない。
量刑の相場でもない。
そこには奪われた命があり、壊された家族がある。

旭川女子高生殺害事件は、私たちに重い問いを突きつけています。
その「27年」は、誰のための時間なのか。
司法のためなのか。
加害者のためなのか。
それとも、被害者の命と向き合った結果なのか。

私はこれからも、一人の元刑事として、この問いを考え続けたいと思います。

YouTube動画でもお話しています。


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