『ホラーが書けない』43話 異能があるだけで苦労している(最終)【Web小説】
第43話 背中を押してくれる大事なやつ
コーヒーのいい香りが染み込んだ店は、年季の入ったテーブルや椅子があって雰囲気がいい。せわしい東京の街とは対照的で、ゆっくりと時間が流れているような静かな店内は、ずっといたくなる心地良さだ。
ほかの客はすでにいなくなっていて2階は貸し切り状態だ。俺――紫桃――が思い悩んでいると、向かい席で眠っているコオロギ――神路祇――の体がぴくりと動いた。
2時間ほど仮眠をとったコオロギは目を覚ました。座ったまま両腕を上げて大きな伸びをする。熟睡できたようですっきりした顔をしている。腕を下げるとおもむろに時計を見た。
「うわわっ、もう朝じゃないか!
コーヒーを飲み終えたら24時間営業のカフェに行こうと思っていたのに、長居しちゃっている!」
朝になっていることに驚いたコオロギは、ばたばたと帰り支度を始めた。荷物をまとめて準備が整うと1階へ降りた。1階に着いたらコオロギは先に店を出ていてと言ってからカウンターへ向かった。
ドアを開けたときにちらと見ると、コオロギは支払いをしながらマスターと言葉を交わしていた。
外で待っていたらコオロギが笑顔で店から出てきて、そのまま連れだって駅へ向かった。空は白んできていて、ひさしぶりに完徹した俺にはとてもまぶしく見える。駅へ向かう道中で俺はコオロギに質問した。
「なあ……コオロギ……
妖の体験を語るのは……嫌か?
体験したことをホラー小説として書かれるのは……つらいか?」
「いきなりどうしたの? なんでそう思うんだ?」
コオロギは驚いた口調で聞き返し、俺に顔を向けたら思考をさぐるように見つめてきた。
そうか、コオロギは話しながら眠ったから、言った台詞を覚えていないんだ。言ったつもりはなかったかもしれないけど……。
「コオロギは明るく話すけど……本当はつらい記憶もあるんじゃないのか?
つらい思いをしているなら、掘り返すように体験を聞くようなことはしたくないし、小説も書きたくない……」
俺はコオロギの目が見れなくて視線を地面に落とした。
他人事だからどこか軽く考えていた。
俺にはわくわくするような物語でも、コオロギにとっては我が身に起きた出来事だ……。
コオロギからすぐに返答はない。やっぱり嫌な思いをしていたのかと後悔の念がわき、手に汗がにじんできた。
「紫桃、書くことをやめるなよ」
意外な言葉が聞こえてきて、俺は地面からコオロギへと視線を移した。コオロギは俺の目を真っすぐとらえて、やわらかい表情で言葉を続ける。
「たまたま異能をもつ体質でさ、能力にふり回されて一人で悩んでいる人がどこかにいるかもしれない。
異能は……理解されにくい。他人に頼らず一人で解決しようとしても迷うことが多い。情報が少なくて比較することができないから自分自身に半信半疑になる。身に起こっている現象が精神的に参っているからなのか、異能によるものなのか判断できなくて苦しむこともある。
だれにも話せず自己解決しようと苦心していて、どんなに小さな情報でもいいから、藁にもすがる思いでさがしている人がいるかもしれない。紫桃の小説はそんな人たちに、情報を与えているかもしれないんだから」
「でも……」
いいことだけじゃなく、むしろ嫌な目に遭うことのほうが多いんだろう?
俺が体験を聞くことでコオロギの精神を傷つけていないか?
答えが怖いから言葉にすることはできなくて黙ってしまう。いたたまれなくなった俺はコオロギから視線をそらした。
コオロギの視線を感じているが見ることができない。もう駅のすぐそばまで来ていて、このままだと嫌な雰囲気のまま別れてしまうことになる。
なにか……なにか言わないと。
コオロギに、なにか。
でもなにを言えばいい……?
気持ちばかりがあせり、下手なことを言ってコオロギとの関係が崩れてしまうことが怖い。
「……ねえ、紫桃。『霊能者に会った』っていう話、聞きたい?」
唐突に問われて耳が反応した。コオロギの声に全神経が集中していることが自分でもわかる。
「一般に『死神』っていわれているやつの話、聞きたい?」
コオロギの言葉を聞き逃すまいと必死で、気まずい状況にいても奇譚が聞きたいという衝動に駆られる。
罪悪感よりも探求心が勝り、我慢ができずに顔を上げた。おそらくコオロギはいたずらっぽく笑っているんだろうと思っていたら―― 違った。
穏やかな眼差しを向けており、いつもの人なつこい顔ではない。大人の顔……いや、それ以上の……なんと表現すればいいのか……。柔和な見覚えのある表情だ。
どこで見たんだろうと思考をめぐらせていたら、コオロギの顔にいつぞやの古寺で見た中性的な容姿をした菩薩の表情が重なった。
すべてを知っていて、受けとめるような強さとやさしさを併せもち、静かにたたずむ菩薩像。内にあった喧騒がなくなり、安心感を与えてくれたあの像と同じように柔和な顔をしていた。
俺が見とれていたら、コオロギの表情が変わった。
「なに、紫桃。じっとにらまないでよ。
今日は話してあげないぞ。また今度、ね」
にぱっと歯を見せて笑い、いつもの人なつこい顔に戻っていた。目をきらきらとさせて俺の反応を待つ表情はさっきとは逆の、いたずらを楽しむ子どもそのものだ。
俺がこれからも体験を聞きやすくするために、わざと明るい雰囲気をつくっているのか?
それとも本心からのことなのか?
コオロギの内心を完全に知ることなんてできないか。
『いい』って言うなら……甘えさせてもらうぞ……。
「なんだよ、もったいつけやがって! 今すぐ教えろよ!」
コオロギは楽しそうに笑いながら駅の改札へ軽快に歩いていく。
朝日はすでに昇っていて周囲は明るい。電車の走る音が聞こえていて、今日も東京の一日がスタートした。
― 了 ―
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