おもしろセンサーがはたらく日々を
笑いに関していうなら、かなり不謹慎なたちである。
昔、ミッションスクールに通っていた頃、ミサ中に神父さまの帽子に虫がとまるのを目撃してしまい、こみあげてくる笑いをこらえるのに苦労したことがある。ありがたいはずのお話も、ひそかな笑いの波にかき消されて憶えていない。なんてばち当たりな。いや、カトリックだから、ばちとか関係ないのだろうか。
先日、料理をしていたとき、半分に切られた大根の置き場所に困ってしまった。まだ洗っていないので、まな板の上には置きたくない。かと言って、キッチントップにそのまま置くのもなあ……。
結局、切り口を下にして、小型のカッティングボード上に立てて置くことにした。大根は変にすっくと立って、ふさふさと緑の葉を茂らせている感じになった。
その大根の佇まいが「ツボ」に入ってしまい、私の笑いは止まらなくなってしまった。自分でもよくわからないのだけれど、大根がきりっとした風情を漂わせているような気がして、おかしくてたまらなかった。ひひひひ、と不気味に笑う母を、怪訝な面持ちで見つめる娘たち。
箸が転げてもおかしい、なんていう年頃はすっかり過ぎてしまったのに、まだこんな調子とは。
それを聞いた夫が言った。
「『面白い』としょっちゅう思えるなんて、幸せやん。つらいときはおもしろセンサーが働かないでしょ」
ふむむ、彼の言うこともわかる。苦しいとき、困っているときは、なかなか「面白いポイント」を見つけられないもの。久しぶりに笑ったことに気づいて「ああ、私、ここんとこつらかったんだな」と自覚したことが何度もある。
笑えるとは、生活を楽しめているってこと。そのことを思い出させてくれる人がそばにいる。まずは家族に感謝だなあ、と思った。
きりりと葉を茂らせながら立ち、私を笑わせてくれた大根は、豚バラ肉と煮ておいしく食べた。笑いのある家でみんなで豚バラ大根を味わう。お肉の苦手な長女はぶーぶー言っていたけれど、いつかこの食卓と私の笑いを懐かしく思い出す日も来るのかな、なんて考えてしまった。
おもしろセンサーが機能するおだやかな日常を、大切にしていきたい。
