心の巣を持っている
先週末は、一泊二日で東京に行っていた。双子の娘たち(6歳)は夫にまかせ、単身である。大阪の郊外に住む今の私にとって、大都会への大冒険だった。
直前まで行けるのかどうなのか検討していて、とりあえずホテルだけは押さえていたという状態。結局、弾丸上京ツアーになってしまったため、機会があればお会いしてみたいと願っていた方々にはお声がけもできなかった。はっきり言って心残りだ。
東京行きで感じたこと、東京で起こったことなどはまた改めてまとめようと思う。今回は、旧友と会ったことについて。
上京当日は用事を済ませ、ホテルに一泊。翌日、帰阪のための新幹線は午後に取ってあったので、東京で暮らす大学時代からの友人二人に声をかけ、ランチをした。
友人たち(男性二人)はそれぞれ自分の子どもたちを連れてきてくれた。私と子どもたちは初対面だけれど、彼らがまったく物怖じしないのに驚いた。それに、幼さを感じさせないお行儀のよい子たちで、思わずなん度か「か、かしこいね!」と言ってしまった。
友人たちと大学時代に京都で出会って20年以上経つ(当時の私はなぜか京都によくいた)。それが、齢40を超え、東京の六本木で子どもたちを交えておいしいお肉に舌鼓を打っているのだから不思議なものだなあ、とずっと思っていた。お互いの状況も変わり、昔とは暮らしぶりも住む場所も違うのに、会えば学生のままでいるかのようにたわいのない話で盛り上がれる。あと、ほかの人とはなかなかできない政治や思想の話もできるのがありがたい。
「おばちゃんはねえ、大阪から来たのよー。仲良くしてねー」と子どもたちに話しかけ、焼き菓子を渡す。おばちゃんと自称できるようになったことが、しっかりと時の流れを証明していた。
毎日、仕事や育児に追われていると、どうしても目先のことに気を取られてしまう。自分の心がもともとはどこで育ったのかを忘れてしまう。そういうとき、青くさい話をともに繰り広げた仲間とふたたび語り合う時間が持ちたくなる。そこに心の巣があったなあ、と思うのだ。
常日頃はいろいろなことに挑戦し、成長しようと努力している。けれど、私という人間のすみっこにはいつまで経っても飛び立たない雛鳥もまた棲んでいることを思い知らされる。心のなかにこの子を飼いながら生きていくんだろう。帰りの新幹線のなかで、そんなことを考えていた。
