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ししゃも記念日

けっこう前の話になるけれど、夕食にししゃもを焼いた。スーパーマーケットで、樺太からふとししゃもではない子持ちししゃも10尾が税抜199円だった。これは買わないと! とついカゴに入れてしまったのだ。我が家の娘たち(6歳)はまったくそれを好きではないというのに。

おととしのある日、自宅で焼いたししゃもを少しかじらせたら、二人はとんでもなく顔をくしゃくしゃにした。

「うええ、苦いよおー」

そ、そんなに苦い……? 私の口の中のししゃもはぷちぷちとした卵の食感も楽しい、豊かな味わいのものだった。子どもの舌というのは、苦みに敏感なのだろうか、と思いながら、娘たちのぶんまで私が食べた。

あれから約2年。娘たちにふたたびししゃもを出した。あやしいものを見る目つきでまずは一尾、口に運ぶ二人。

意を決した様子で食べた彼女たちの感想は「なにこれ、おいしい!」。めっちゃおいしいいー、と言いながら、一人三尾ずつ平らげていた。ついでに、ごはんもおかわり。

私と娘たち、三人だけの夕食だからと、2合炊いていた白米がすっからかんになってしまった。私はお茶碗に軽く一杯しか食べていないのに、炊飯器はほんとうにすっからかんなのである。

私はちょっぴり震えた。彼女たちが二人とも小学生になり、いわゆる育ちざかりを迎えたら、私はごはんづくりに追われる日々を過ごすのだろうか。食事をつくってもつくってもすぐになくなるという、噂に聞いていたあの感じになるのだろうか。

というのも、三人の男の子を育てた義母が「あの頃は大変やったわ……」ともらすのをなん度か聞いたことがあるからだ。夫を含めたきょうだいたちは年が近かったので、ある時期の義母は「もう飯炊メシたきおばさんよ」と自分で言いたくなる状況にあったらしい。男児のいない私でも、なんとなく想像がつく。母親業務はごはんづくりだけではないし、お義母さん、大変だっただろうな。

けれど、義母はこのあいだ言っていた。

「まあ、それはそれで幸せやったけどね」

もし我が家にもそういう時期が来たら、私はポジティブな義母のように「楽しく元気な飯炊きおばさん」になれるだろうか。

むむう、なれない気がするけどなあ、とうなりながら炊飯窯を洗ったのを憶えている。

最近のごはんづくりは戦々恐々、そしてししゃもをおかずに白米がすっからかんになったあの日はししゃも記念日。とか、おもしろくもないことを頭の片隅に、今晩も夕食をつくる。なんだか心強い。なにせ私は、子育ての先輩に恵まれているのだ。

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