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くまさんと暮らしています

ごく親しい友人たちは私の夫のことを「くまさん」と呼ぶ。ほかの人が聞いたら、なんて失礼なことを言う女たちだと思うかもしれない。

彼はがっちりした体型で、柔道は黒帯だと言うと納得する人が多い。ほんとうに長年熱中していたのはサッカーなのに。

けれど、体型ゆえに彼はくまさんと呼ばれているわけではない。

夫と出会った十数年前は、私の人生でもけっこうひどい時期だった。手垢のついた表現を使うなら、心を閉ざしきっていた。心身ともに傷つく事件の被害者になったり、それにともなってまったく無関係の人から心ない言葉を受けたりしていたから。

トンネルから這い出て、おそるおそる人のあいだに戻ってきた私は、夫と出会い、おつきあいを始めた。私にとっては大きな一歩だった。

それでもときどき過去を思い出しては落ちこむ私に、夫が言った。

「宇多田ヒカルの『ぼくはくま』っていう歌、知ってる?」

知らない。宇多田ヒカルは好きだけれど、ヒットナンバーしか覚えていない。そんなほのぼのしたタイトルの歌があったなんて。

「たぶん子ども向けの歌やと思うんやけどさ、くまのぬいぐるみがずっとそばにいるみたいな歌詞やねん」

彼はその曲が収められたアルバム『HEART STATION』を聴かせてくれた。「ぼくはくま」から始まる、くま目線の優しい言葉たちが流れてくる。くまは生活のなかにいて、おそらく子どもたちを見守っている。そういう世界観の歌だ。

「俺はくまみたいなもんでさ、ちなみちゃんのそばにいるねん。なにもできへんけど。海老フライがライバルでさ」

宇多田ヒカルの透明感ある歌声がふわんと心に入ってくる感じがした。彼の穏やかな声も。しばらく私の心のなかには誰も入ってこなかったなあ。しみじみと歌詞を噛みしめた。

その話を聞いた小学校からの友人Tちゃんは叫んだ。

「ちなみちゃん、そのくまさん、逃したらあかん!」

私は苦笑いしながらも、その通りかもしれないと思っていた。「なにもできないけど」と前置きしてそばにいてくれる人がいる、それって幸せなことじゃないだろうか。

なにかしてあげようと言われるのも、自分もなにかしてあげたいと思うのも、どちらも息苦しくなることがある。意識しない程度の息づかいが私にとっていちばんいい塩梅と言えそうだと気づいたのだ。

逃したらあかんと言われましても、相手が嫌なら逃げちゃうよなあ、とTちゃんの前で考えてから10年以上。私と夫は今のところパートナーとしてわりといい関係を築けている。少なくとも私はそう思う。

我が家にはくまさんがいる。劇的なことは起こらないけれど、あたたかな空間があって、くまさんはただそばにいる。そんな関係も心地好い。そして、実はたくさんのものをもらっていることも知っている。

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