まだまだ届けたいから
先日の夕方、実家に行ったら、父がお風呂に入っているところだった。
リビングに着替えが置かれたままになっている。父は着替えを脱衣所へ持ち込まずに入浴してしまったらしい。
「お父さん、着替えを忘れてお風呂いっちゃったのよ。持ってったげて」
母の指示を受けたわたしは、そっと脱衣所のドアを開け、ランドリーボックスの上に父の着替えを置いた。
「ここに着替え置いてくねーーー!」
浴室にいる父に向かって、声を張り上げた。すぐそばに人がいたなら「うるさい!」と叱られそうなくらいのボリュームで。
しかし、父から返事はなかった。ごきげんな鼻歌だけがドアの向こうから聞こえてくる。ああ、そうだ、お風呂に入るときは補聴器を外しているんだっけ。わたしはひとり納得して脱衣所を出た。
しばらく前から、父の耳は急に聞こえにくくなった。
今までであれば問題なく会話できていた程度の声では、父の耳に届かないようだ。冷蔵庫やIHクッキングヒーターのエラー音、インターフォンの音なども聞こえない。そのため、冷蔵庫の扉が開いたままになっていたり、宅配便が来たことに気づかなかったりしたことが何度もあった。
検査の結果、とくに耳に異状があるわけではないらしい。耳鼻科の先生は「まあ、お年ということもありますからね」と優しく語り、補聴器の使用を勧めてくれた。
母もわたしも補聴器の購入には大賛成だったけれど、肝心の父が渋った。
ネックは価格だった。父は若い頃から倹約家である。「締めるときは締める、使うときは使う」がモットーだ。
「30万円以上するんやて。こんなじじいに30万円もする医療機器をつけてもしゃあないやん」と、しばらくは頑なな態度だった。締めるとこはそこじゃないんだけどなあ、とわたしたち家族は頭を抱えた。
状況を変えたのは、うちの双子の娘たちだった。じいじが大好きな娘たちは、話しかけても父から返事がもらえないことを悲しんだ。「じいじ、長女ちゃん、~~って言ったんやけど?」と顔を覗き込まれることが増えた父。その上目づかいに負けたのか、とうとう補聴器を購入した。
今は補聴器の調整のため、ときどき専門店に通っている。つける人の聞こえ方に合わせてきっちり調整が仕上がるのに、3カ月ほど要するそうだ。このあいだ調整してもらったら、体温計の通知音などの高い音が聞こえなくなったとかで、再調整の日程を予約していた。
「締めるとこは締める、使うときは使う」。今、使うべきは補聴器のためのお金だった。父の生活の質を向上させるために有意義すぎるほどの使い道だと思う。
昨日、補聴器をつけた父が我が家を訪れた。わーきゃーと騒ぐ孫たちの声に驚く父の笑顔は輝いていた。
「ここはにぎやかやなあ」
にぎやかさを、孫たちの声を、わたしたちの話を、うんと聞いて笑ってほしい。長い現役生活を終え、やっと落ち着いた生活を手に入れた父に聞いてほしいことがたくさんある。届けたい声はまだまだあるのだ。
