自称するのは気がひける
ずいぶん前、転職活動をしていたとき、面接で聞かれた。「自分をどんな人だと思っていますか?」と。
言葉に詰まり、困り果てて「粘り強い人間だと思います」と答えた記憶がある。
実際のところ、私は粘り強くなんてない。
コツコツちまちまと物事を進めるのは好きだけれど、粘り強いとは言いがたい。ここぞというときの粘りは、弱い。私のまわりの人はきっと「そこで踏ん張れよ!」とツッコみたくなったことがあるだろうと、反省している。
「自称○○」はあやしい、とよく言われる。「私、サバサバしてるから!」と話す人ほどサバサバしておらず、ねちっこい……、というあれだ。
「私って変わってるんです」とみずから語る人がきわだって個性的なことはあまりない。「俺、同年代より20代の若い子と気が合うんだよね」と言う人物がとびぬけて若々しい感性の持ち主であることも少ない。そんな話も聞く。
私の場合、転職活動においては粘り強さを売りにしたほうが「面接官受け」するんじゃないかと考えて、発言してしまった。ほんとうに粘り強いかどうかはさておき、粘り強いタイプだと思ってもらいたかったのだ。
結局、選考を突破することはできなかった。回答が面接官に響かなかったのか、はたまた「こいつ、絶対に粘り強くないだろ」と思われたのか。理由はわからないけれど、その企業とはご縁がなかった。
それに、私の回答どおり、実際の業務で粘り強さを求められても、困った事態になっていただろう。
なにかを自称するときには、そのイメージにつきまとうあれこれを背負わなくてはいけない。
粘り強い人間なら、その性格をいかして難局を乗り切れなくてはならない。「私、サバサバしてるから」と言ったのなら、サバサバしているがゆえに身に降りかかってくるだろうやっかいごとを引き受けなければならない。
夜、ひとりでシャンプーしているときなんかに、あの面接での受け答えをふっと思い出す。同時に、自称することについて、思いをめぐらせる。
「私、○○な人間です」と言うのも難しいものだなぁ。いや、案外、言ってしまったもの勝ちで、実際のふるまいがあとからついてくるのかもしれない。
とか、煮えきらずにうだうだと考え続けている私は「優柔不断な人間」を自称してもいいだろうか。
