「夜のことば」の誘惑
なんとなく「昼の言葉」と「夜の言葉」がある気がしている。
なまめかしい言い回しや卑猥な表現は、真っ昼間のビジネスシーンには向かないだろうと思う。あと、陰鬱で、読む人の気がふさいでしまいそうなフレーズなんかもそうだ。だから、夜のイメージ。
また、夜といえば、子どもが寝静まる、大人の時間でもある。ならば機知に富んだ、大人ならではの渋い文章を楽しみたい。ちょっと意地悪で皮肉っぽい表現を味わう心の余裕だってある。飲み会で大人のジョークが飛び交っていた時代もあったけれど、あれだって、夜だからできることだっただろう。
そんなふうに、夜には夜の言葉があるんだろうと思っている。逆に、昼には明るくはつらつとした言葉。受け取り手が判断に迷わないフレーズ。そういう棲みわけがあるんだろうと。
20代の頃、私が一人暮らしをしていたマンションの隣室には、夜の仕事をしていた女の子が住んでいた。私より少し年下に見えたその女の子は、猫のような目に細い鼻筋の、ものすごい美人だった。
何度か立ち話をしたことがあって、彼女は「○○のキャバで働いてんねん」と言っていた。喋ると、けっこう声が低いのが意外だった。私はふうん、とだけ返した記憶がある。ふだんの彼女は夜遅くに帰宅していたのだろうし、それ以上の交流はなかった。
ある朝早く、彼女を見かけた。
駅前のセルフサービスカフェ。出勤前に私がコーヒーを買っていたら、テーブル席に彼女が座っていたのだ。ドレスらしきあでやかな洋服に、ラフなジャケットを引っかけていた。そういう衣装は、お店で着替えてくるものなんじゃないだろうかと思うけれど、細かいことはよくわからない。
夜の香りを色濃くとどめたその風情は、朝のカフェに違和感をふりまいていた。なのに、それはそれでとても魅惑的に映った。彼女の、もの憂げなのに堂々とした佇まいのなせるわざだったのかもしれない。
あの眩しさが、今も忘れられない。私がすご腕カメラマンだったら、絶対に写真を撮って、素敵な一葉に仕上げていた。
彼女のことを思い出すたび、私も夜っぽい言葉を昼間につかってみたい衝動に駆られる。場面をあえてずらした言葉選びが文章に深みを与えることもあるかもしれない、と思って。違和感がつくりだす妙、といったところだろうか。
でも、やらずにいる。飛び道具的な手法を使うなんて、私には100年早い。あんなに魅力的な風情、まだ醸し出せそうにない。
