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日常にドラマは詰まってないけど

昨夜、日記を読み返していて、思わず「ふっ」と笑ってしまった。

一日も欠かさずつけている5年日記は、もうすぐ3年目。ある日のところにこう書かれていた。

「雨の合間の貴重な晴れ。洗濯物を何回も干せてうれしい」

喜びの種、ちっちゃいな! 自分でもそう思えて、ついつい、ふふふ。

けれど、日常ってこんなものだろうと思っている。セレブリティの方々ならいざ知らず、私みたいな一般市民にそうそうドラマティックな出来事はふってこない。

毎日7時に起きて、娘たちに朝ごはんを食べさせ、ときどき叱り、あわあわとあたりのものを散らかしながら支度をし、幼稚園へと送る。

幼稚園から戻ったら、ちょうど洗濯機の標準洗いモードが終了している。洗濯物を干すという、大好きな作業を終えると、自室にこもって仕事を開始する。ハーブティーかコーヒーの入ったマグカップをキッチンから持って行くのを忘れないように。

「ノッてきた、筆が進む!」となった頃に、娘たちを迎えに行く時間になる。今かーい、と小さくひとりツッコむ。なぜかそのタイミングで取引先の方からメッセージやメールが届くことが多く、またあわあわする。

娘たちが降園、帰宅してからはジェットコースターのように時間が過ぎる。お風呂、寝かしつけまであっという間。

かわりばえしないし、ドラマも生まれない日々だ。

そのさというか、退屈さを晴らすために、ときどき街中に出て友人とアフタヌーンティーを楽しんだり、ちょっとだけ大きな買い物をしてみたり。そうやって毎日が進んでいく。

これが私の暮らし。うん、いいんじゃないかなぁ。たしかに私と家族はここで生きていて、ささやかな幸せをつむいでいるのだから。最近そう思うようになった。

夢を諦めているわけではない。いろいろと努力もしている、つもり。

ただ、「自分探し」とか「ほんとうの自分」といった言葉に惹かれなくなった。小さな家で、非ドラマティックな暮らしを営んでいるのがまぎれもない私。丁寧じゃないかもしれないけれど、自分なりに工夫して過ごしている。

諦めとはまた違うところで「明日もまた洗濯物がカラッと乾くとうれしいなぁ」とか考える。それが私なんだろう。

英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。

ベルトルト・ブレヒト『ガリレオ・ガリレイの生涯』

こういうことを言った偉い人がいたわけで、暮らしのなかに「ほんとうの自分」なるものやドラマを必要としていた昔の私は、けっこう不幸だったんじゃないかと思うことがある。

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