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包容力のあるおばあちゃんになりたい

老後を楽しむには、どうすればいいんだろう、とときどき考える。まだ老後には遠い(いや、案外近い……?)私だけれど、先のことにぼんやりと思いを馳せがちだ。長い年月を生き延びた甲斐があったと思えるような、それなりの老人になりたいなあ。

今のところ答えの候補として挙がっているのは、思考の質や、思慮の深さがものを言うのではないかということ。そのために、現時点では浅薄きわまりない私の教養を少しでも深めたい。

あとは、筋肉。これは物理的な話で、自分の意思どおりに体が動く期間をできるだけ長く保ちたい。そのために筋肉をつけておこうと思っている。急角度の階段でもしゃっしゃっ、と上がっていく60代、70代になりたい。

さて、昨年会った旧友が、思いがけないことを言っていた。

「ときどき、消えてしまいたくなるときがあるよねえ」

正直、私は彼女の言葉を聞いてびっくりした。彼女は子どもの頃から裕福な家庭に育ち、容姿も整っているうえにいまも家庭円満。教養だって、じゅうぶんすぎるほどに備えている。

そんな人でも、消えてしまいたいと思うことがあるんだ、と知って、なんだかせつなくなった。私は「消えちゃったら私が困るんやからね!」と返すので精いっぱいだったし、彼女も「ごめん、そんな深い意味はないねん」なんて言ってその場は終わったけれど。

私のような者はしようがないとして、どれだけのものを持っていても、やるせない気持ちが襲ってくることはあるらしい。

「もっと恵まれない人たちのことを考えてみろ」という声もあるだろう。でも、どんな人も心に悲しみやせつなさを抱えているのだと思う。その生活水準や身につけた素養からはかならずしも判断できない、いろいろな思いを。

生育歴や経歴から、人となりや心のうちを判断してはいけないんだろうなあ、といまになって思っている。これから年を重ねていく日々を豊かにするのは、見かけで人にレッテルを貼らない姿勢なのかもしれない。

そして、消えてしまいたいと感じる人をそっと包んであげられるようなおばあちゃんに、いつかなりたいとも思う。私が苦しかった頃に、心に沁みる言葉をくれた人生の先輩方のように。そうなれたら、私の老後作戦は大成功といえるのだろう。

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