ここは猫の街ミルミア1-5〜クロエの仕立て屋〜
港町ミルミアの細い路地に、静かな仕立て屋がある。
看板にはこう書いてある。
「クロエ洋装店 ― 日常も、特別も。」
店主は黒毛の猫、クロエ。
すらりとした姿勢、落ち着いた声。やわらかな微笑みの奥に、揺るがない強さを秘めている。
彼女は、布を扱うだけではない。
“その猫のこれから”を縫い上げるのだ。
ある日、魚屋のガルフが困った顔でやってきた。
「なあクロエ、このエプロン……また破けちまった」
見ると、あちこちに裂け目。しかも派手に魚のうろこが光っている。
クロエはふっと笑った。
「あなたの元気に、布が追いついていないのね」
針を持つ指は、迷いがない。
「丈夫にします。でも少しだけ、格好よくもしておきましょう」
数日後、出来上がったエプロンは、動きやすく補強され、さりげなく青い刺繍が入っていた。
ガルフは胸を張る。
「おお……なんか俺、できる魚屋に見えないか?」
「見えるわよ。中身も、ちゃんとね」
またある日。
広場で歌う若い猫が、震える声で店を訪れた。
「今度、ソロで歌うことになったの。でも、何を着たらいいかわからなくて……」
クロエはしばらくその猫を見つめた。
「あなたは、どんな自分で歌いたい?」
「……強く、見えたい。でも、本当は少し怖い」
クロエは深くうなずいた。
出来上がったドレスは、夜空のような深い紺色。
けれど裾の内側には、やさしい薄桃色の裏地が縫い込まれていた。
「外は強く。内側には、あなたの本当の気持ちを」
晴れ舞台の夜、その猫は堂々と歌い上げた。
ライトの下で、ドレスは静かに揺れた。
クロエは、派手ではない。
広場で大声を出すこともない。
けれど、嵐の夜には真っ先に店を開ける。
「濡れた服は風邪をひくわ。脱いで」
避難してきた猫たちに毛布や上着を貸し、破れた袖を縫い直す。
眠る子猫の上に、そっと上着をかける。
針が布を通る音は、小さい。
でもその音は、確かに街を支えている。
ある晩、トトがたずねた。
「どうして、そんなに強くいられるの?」
クロエは糸を結びながら答えた。
「強いわけじゃないわ。必要とされる場所に、立っているだけ」
そして少し笑う。
「布はね、引っぱれば裂ける。でも、重ねれば強くなる。私たちも同じよ」
ミルミアでは、誰かの毎日が始まるとき、
誰かの晴れ舞台が近づくとき、
そして誰かが少し弱くなったとき、
必ずクロエの灯りがともっている。
彼女は縫い続ける。
生活のための服を。
夢のための衣装を。
そして、心のほころびを。
優しく、そして強く。
港町ミルミアの布地の奥には、
きっと今日も、クロエの静かな祈りが縫い込まれているのだ。
ここは猫の街。
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