ここは猫の街ミルミア1-7〜新しい歌い手〜
その夜、港町ミルミアの広場には、いつもより少しだけ静かな緊張があった。
ランタンの灯りの下に立っているのは、白と茶のまだら模様の若い猫。名前はレオ。
レオは今日、はじめて一人で歌う。
足は二本でしっかり立っているのに、ひざが震える。
しっぽは落ち着かず、左右に小さく揺れている。
(逃げてもいいかもしれない)
そう思った瞬間、視界の端に仲間たちが見えた。
トトがアコーディオンを胸に抱え、やさしくうなずく。
ガルフが腕を組み、「声は腹からだぞ!」と小声でささやく。
クロエは舞台袖で、レオのマントの襟をまっすぐに整える。
マダム・リリィは、赤い小さな花を一輪、レオの胸元に挿してくれた。
そして隣には、ミコ。
「大丈夫。最初の一音だけ、一緒に吸い込もう」
レオは小さくうなずく。
レオは、もともと港で荷物運びをしている猫だった。
力仕事は得意。でも、声は小さい。
ある日、仕事帰りに聞いた合唱に、胸を打たれた。
(あの中に、入りたい)
でも自分の声が好きではなかった。
低くて、少しかすれていて、目立たない。
「目立たなくていいのよ」
そう言ったのはマダム・リリィだった。
「合唱はね、“一番大きな声”じゃなくて、“必要な声”でできているの」
それからレオは、仕事のあと毎晩練習した。
倉庫の陰で、海に向かって。
波の音にかき消されながらも、何度も。
広場に静寂が落ちる。
レオは息を吸う。
最初の一音は、たしかに震えていた。
でも、ミコのハモりが寄り添う。
トトの音が足場を作る。
ガルフの低音が土台になる。
レオの声は、逃げなかった。
二音目は、少しだけまっすぐだった。
三音目で、震えがほどける。
その声は高くも華やかでもない。
けれど、あたたかい。
まるで、夜の港にともる小さな灯りのような声。
気づけば、広場の猫たちが目を閉じて聴いていた。
歌い終わったとき、ほんの一瞬、静寂。
それから大きな拍手。
レオは驚いた顔で、仲間を見る。
ガルフが親指を立てる。
クロエが静かにほほえむ。
リリィが誇らしそうにうなずく。
ミコは、目を細めて言う。
「ね? 必要な声だったでしょう?」
レオは胸に挿した赤い花に触れる。
あの夜まで、彼は“力の猫”だった。
でも今、彼は“声を持つ猫”になった。
それからというもの、広場で歌う若い猫の隣には、
いつも少し低くてあたたかい声がある。
目立たなくてもいい。
主役でなくてもいい。
けれど確かに、なくてはならない声。
港町ミルミアでは今夜も、
新しい勇気がひとつ、生まれている。
ここは猫の街。
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