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知識不足でも、好きな肩書きをつけたほうがいい理由

先日、Podcastのイベントに応募した。

たぶんだけど、落ちる。だってそんなにおもしろいこと書けなかったし、ステッカーとノート作りたいし、インタビュー相手を見つけにいきたいけど、私のPodcastは始まって2ヶ月、フォロワーは3人だから。

ただ、その応募フォームには「フォロワー数よりも当日のブースの内容を重視します」的なことが書いてあった。

優しい世界だな、率直にそう思った。

フリーランスになって初期の頃のことを思い出すと、私はもっとすごく保守的な考えだったと思う。

例えば、ファッションライターになるならブランドの歴史を言えなきゃダメだと思っていたし、ららぽとかルミネに入っているお洋服屋さんが大好きだけど、そうじゃなくて1店舗しかないような路面店を言えるような人じゃなきゃ、ファッションライターと名乗る資格はないと思っていた。

同じような理由で、私がエンタメライターと名乗るようになるまでも、実は結構勇気が必要だった。

だって私は映画やドラマは好きだけど、そのわりにはあまりにも苦手なジャンルが多すぎるし、音楽も聞く聞かない偏っているし、読書だって私よりもたくさんの冊数を読んでいる人はたくさんいる。

なんでもできるけど、何かに突き抜けてはいない。いわば雑食な私にエンタメの人だなんて肩書きをつけてもいいのだろうかと悩んだ。

だけれど、その時、出会った友人が自分のことを「〇〇ライター」と肩書きをつけていて「〇〇が好きなんだ?」と聞くと、思った以上に私からしたら浅い好きだった。

例えるなら「え、映画好きなライターって言ってるのに、監督の名前も知らんの?」って感じで。心の中で、そう思ったのを覚えている。

だって、私はその直前に自分が好きだと思っていたジャンルの話を人にしたら「あーなるほど!要するにミーハーなのね!」「20代そこらで、そのジャンル好きでたくさんライブに行っていますみたいなファン、めっちゃいるからねー!」と言われて、やっぱり私がエンタメを仕事にするのは無謀なのかと、ちょっとした挫折を味わっていたから。(もはやこれを誰に言われたか曖昧なくらい、今はその人たちのことをぼんやりとしか思い出せない)

私にとっては、その時、全身全霊で好きだと胸を張って言えるものなのに、自分の属性だけでそんなふうに一蹴されてから、好きというのが怖くなっていたのだ。

そんな私をよそに、その子は、続けて言った。

「まあ、私より詳しい人はいるけど、好きなものは好きだし、これから増やしていきたいから!」と。

率直に羨ましいと思ってしまった。

このことについていろいろと思った後で、私はプライドを捨てることにした。

「あいつ、大した本数も書いていないのにエンタメとサンリオとか言ってるよ!」って私に意地悪を言ってくる仮想敵を見ないようにして、自分がなりたい方向性の肩書きをつけようと。

そしたら、みるみるうちにエンタメの仕事が中心になっていって、気づいたらフリーランスも8年目となっていた。

人の顔色を見ることは容易い。

私が最近読んだ本の中で「自分が好きだ!良い!と思っていた本を、SNSでセンスがあるなと思っていた人が酷評していて、自分の好きに自信がなくなった」ということを書いてあるのを見て、私は率直にあの頃の私だ、と感じた。

その本は、韓国で1人ひとりに話を聞いて、その人に合った本を選書するという「私的な書店」のオーナーであるチョン・ジヘさんのもの。

さらに、彼女はこのようなやりとりも乗せていた。

「え、こんな本しか読んでいないのに、人に本を選ぶつもり?」と、思うのではないかと恐かったのです。(中略)「深み」にハマっていく私に、知人が言いました。「ジヘ、読書はレベルの問題じゃなくて、好みの問題だよ」

「私的な書店」葉々社105-106ページ

正直なことを言うと、私にはまだまだやりたいことがたくさんある。

「そんな風に欲があるのは、10〜20代のうちよ!」なんて言われたことがあるけど、私の野望は尽きることがない。

これからも自分が置かれた状況に肩書きをつけるのではなく、自分がなりたい方に向かった肩書きをつける、2026年はさらに貪欲に。そんなことを思った読書体験だった。


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