第2回メソポタミアは、分断の始まりだったのか 【分断と調整のあいだで、日本は何をしてきたのかシーリーズ】
―― 文明が分かれた「断層」ではなく「分水嶺」 ――
前回は、
個人主義と集団主義の違いは、
思想や性格ではなく、
気候と農業という「暮らしの型」から生まれたのではないか、
というところまで書きました。
では、その違いは
どこで、はっきりと形になったのか。
話を進めていくと、
どうしても避けて通れない場所があります。
メソポタミア。
世界史で必ず出てくる、
あの「文明発祥の地」です。
メソポタミアは、東西の境界ではなかった
メソポタミアというと、
「ここで東洋と西洋が分かれた」
みたいなイメージを持たれがちです。
でも、少し視点を引いて見ると、
実は逆かもしれないと思えてきます。
メソポタミアは、
境界線というより、交差点でした。
東にはインダスや中国。
西には地中海とヨーロッパ。
南にはエジプト。
北にはアナトリア。
人も、モノも、思想も、
ここを通って行き交っていた。
つまりこの場所では、
「東」と「西」は、
まだはっきり分かれていなかった。
決定的だったのは、水の性格だった
では、
なぜここが重要なのか。
鍵になっているのは、
水の性格です。
メソポタミアを潤す
チグリス川とユーフラテス川は、
とても気まぐれな川でした。
洪水は不定期で、
ときに恵みをもたらし、
ときにすべてを破壊する。
予測しにくく、
放っておくと命に関わる。
この環境では、
自然は「寄り添う相手」ではなく、
管理し、制御しなければならない対象になりやすい。
管理するために、世界を切り分けた
水を制御するためには、
その場その場の感覚だけでは足りません。
測る。
記録する。
分ける。
決める。
どこからどこまでが誰の土地か。
いつ、誰が、何をしたのか。
責任は誰にあるのか。
こうして、
暦が生まれ、
文字が生まれ、
法が生まれ、
契約が生まれる。
世界を要素に分解し、
線を引き、
因果関係で理解する。
この「分析して扱う」感覚が、
ここで一気に強まったように思えます。
同じ大河でも、東は違った
ここで、
中国の黄河や長江を思い浮かべてみます。
氾濫はあるけれど、
ある程度、周期がある。
治水は長期戦で、
世代を超えた協力が必要になる。
この環境では、
自然を完全に支配するというより、
付き合い続けるしかない。
結果として、
・個人より集団
・契約より慣習
・法より礼
といった感覚が、
生活の中に根づいていく。
同じ「大河文明」でも、
水の性格が違うだけで、
人の世界の捉え方は、こんなにも変わる。
神の位置が変わった場所
もう一つ、
メソポタミアが大きな意味を持つ理由があります。
それは、
神が人の外に置かれたこと。
神は怒り、
裁き、
罰を与える存在。
人は、
神の前に一人で立ち、
説明責任を負う。
ここから、
・善と悪
・正と誤
・白と黒
を分けて考える感覚が、
強くなっていく。
一方、
東側では、
天や道は世界に内在し、
人は流れの一部として存在する。
この違いが、
後の宗教観や倫理観にも、
静かに影響していきます。
メソポタミアは「断層」ではない
ここまで書いてきて、
私が感じているのは、
メソポタミアは
文明を真っ二つに割った断層ではない、
ということです。
むしろ、
同じ雨が集まり、
そこから流れが分かれていく
分水嶺
に近い。
ここで一気に分かれたのではなく、
ここを境に、
それぞれの方向へ流れやすくなった。
ここから、西は「切る」方向へ進んだ
メソポタミアから地中海、
ローマ、
キリスト教、
近代科学へと続く流れは、
世界を
・分けて
・測って
・管理する
方向へ、
どんどん洗練されていきます。
それが、
後の西洋的な分析思考の土台になる。
東は「つなぐ」方向で安定した
一方で、
東に流れた文明は、
・関係性
・循環
・場
を重視する方向で、
比較的早く安定していく。
日本も、
その流れのかなり先の方に位置しています。
こうして見ると、
個人主義と集団主義の違いは、
どこかで誰かが決めた思想ではなく、
水と土地と暮らしの延長線上
だったように思えてきます。
次は、
この二つの流れが
それぞれ「完成形」に近づいた場所。
東の端・日本
西の端・アングロサクソン
なぜ文明は、
真ん中ではなく、
端で極端な形を取ったのか。
次回は、
その話を書いてみようと思います。
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