会社を畳んだ父の言葉
社長も人間です。
偉い方ですし、大きな責任を背負っている人であることに間違いありません。
だからこそ、もちろん、私も敬意を払います。
しかし、どんなにすごい社長でも、どなたかのお子さんで、学生時代を経て、社会人になっています。そして、人間社会の中で生活しています。
それで、思い悩むことが、ないわけがない(笑)
私の父は経営者でした。
しかし、私が中学を卒業する頃に会社を畳みました。
子どもは4人、父は当時50歳でした。
それからの父は、お金のことを気にし続け、家族を養うことに苦悩し続けました。そのため、すぐに体調不良になり、毎晩父の寝室から、うーん、うーん、と唸る声が聞こえてきていました。
それでも父は、いつかまた、違う会社を始めてやり直すと言い、新たに登記した会社を70歳になるまで手放そうとしませんでした。
30歳頃だったか、私が父に「一緒に働こうか?」と言ったこともありました。
でも、父は、「誰かに仕事を手伝ってもらっても、その人の生活の保障はできないから」と言って断り、ひとりでフリーランスとして収入を得る方法を選びました。
結局、父が「取り返してみせる!」と言っていた、自ら建てた家の土地を取り返すことはできず、団地住まいの末、90歳も超えたので施設で生活しています。
高齢になった父は、施設に入所する前は認知症も出始めていました。
父は所有している銀行口座の残高確認をするために、毎日4つの銀行のATMで残高照会し、未払いなどなくても、常に支払いの心配をしていました。
家族のためだったのか、手放した会社のためだったのかわかりません。
でも、私は、そんな父の姿を見て、父はずぅーっと支払いの心配をし続けてきたのだと、痛感しました。
私は父の言葉で、忘れられない言葉があります。
学校を卒業してすぐに、私は学校からの紹介で、経営難の整骨院を立て直したいと言っていた院長の元で働くことになったのですが、経営難過ぎて、半年過ぎても給料は支払われませんでした。
院長から、来月は払うから、来月は払うからと言われていたので、私は実家暮らしでしたし、それならばと、払われる日を気長に待っていました。
そのことは、こっそりと母には伝えていたのですが、父には言えませんでした。
しかし、私が給料を貰わずに勤務していることを父に知られる日が来ました。
父は、「明日から金輪際あの整骨院に仕事に行くことは許さん!」と激怒しました。
私は、「経営大変そうだから、もう少し待ちたい」と伝えましたが、それが余計に父を怒らせました。
なんで、私が会社を潰したのか、おまえは全くわかってない!社員に給料を払う金を残すには、潰すしかなかったんだ!それだけの責任が経営者にはあるんだ!それを全うしてない経営者の下で、大切な娘を1日たりとも、私は働かせん!
父はそう言いました。
私には衝撃的な言葉でした。
父の本心と真実に、初めて触れたからでした。
結果的には、院長が父に謝罪の手紙を書いて来て、未払い分の給料全額を1回で支払ってくれ、丸く収まりました。
しかし、私は、あの時の父の表情と声が生涯忘れられません…。
私は、安易に、父のことをわかったつもりになっていました。それに、父を直接助けられなかったので、父と同じように苦悩している院長の力になれないかなと思っての行動をしました。
それは、私が21歳の時のことでした。
思えば、そこから、私の、父以外の経営者や管理職と関わる人生が始まったなと思います。
私は、税理士でも社労士でもコンサルタントでもありませんので、経営者に正解を示すことはできませんし、しません。
でも、その人が納得する道を、一緒に考え、見つけていくお手伝いはできます。
父は、教育だけが、親が子どもにあげられるものだからと、意地でも子どもたちを高校まで卒業させ、その上の学校にも行かせてくれました。
当時は反発したり、いろいろしましたが、大変だった時期でも愛情深く育ててくれた父に、今では感謝しかありません。
今日はちょうど父の日なので、そんなことを考えた夏至でした。
あの頃の私は、父の苦悩を本当の意味では理解できていなかったのだと思います。
父の姿を見てきたからこそ、私は経営者や管理職の声を聴いています。
