人生迷子~言葉の定義から考える「平和」
争いを避けるのが「平和」だと思っていた
今日は自分のなかの
「平和」という言葉の定義について、
改めて考えてみました。
昔から、私はとにかく「平和」が第一優先でした。
争うのも、誰かが傷つくのも嫌。
誰かと意見がぶつかりそうになったら、
自分の本音は心の奥底に鍵をかけて封印する。
その場が丸く収まりさえすれば、
それでいいと思っていました。
「争いがないこと=平和」
そう信じていたからこそ、職場でも、家庭でも、
とにかく波風を立てないように生きてきました。
私が常日頃願っていた平和は叶っていたのです。
でも最近、私の中でその「平和」の定義が
崩れ始めています。
「分かり合えたフリ」の裏にあったもの

人間関係において、どれだけ親しい間柄でも
価値観が100%一致することなんてありません。
そんなことは分かっているはずなのに、
私たちは無意識に
「自分が正しくて、相手が間違っている」
というジャッジをしてしまいがちです。
私の場合、自分の良かれと思った行動が
相手に受け入れられないと感じると、
まるで「自分という存在そのもの」を
否定されたような気持ちになっていました。
だから、嫌われるのが怖くて。
関係が壊れるのが怖くて。
納得していなくても「分かった」と微笑み、
その場をやり過ごす。
それが自分の身を守る術であり、
優しさだと思っていたんです。
でもある日、ふと
「もし逆の立場なら、私は寂しいんじゃないか?」
と同時に
「真正面から向き合ってくれようとした人に対して申し訳なかった」
と感じました。
自分が本心で向き合おうとしているのに、
相手が笑顔のまま心を閉ざしていたら。
「私、信頼されていないのかな」
と悲しくなるはずです。
家族なのに、深い話ができない。
友達なのに、本音が言えない。
「平和」を守っていたはずの私は、
ただ「人を信頼すること」からも
「自分に自信を持つこと」からも
逃げていただけだったのかもしれません。
漫画の「悪役」に感情移入してしまう理由

アニメや映画を観ていると、
最初は嫌な奴だった悪役に深い過去
(バックグラウンド)があると知った瞬間、
一気に感情移入してしまうことがありませんか。
人の関係も、きっと同じです。
誰かの正義が、私の悪かもしれない。
私の正義が、誰かの悪かもしれない。
言葉を交わし、相手の本当の想いを知ることで、
初めて「そうだったんだ」と歩み寄れる。
でも、衝突を恐れて本音を隠している限り、
その機会すら永遠に訪れません。
「自分の意見を通すため」に
戦うから衝突が怖くなる。
でも、もし
「お互いの違いを知り、尊重するため」に
対話するのだとしたら?
目的が白黒つけることになっていると
きっとそれは争いのまま。
向かい合ったまま。
相手はずっと敵のまま。
でもやり方が違うだけで
ゴールは同じ方向だと思えたとき。
争いではなく歩みよりになる。
きっと同じ方向を向ける。
相手は味方だと知ることができる。
「本物の平和」とは、波風を立てないことじゃない。
お互いの違いを知り、傷つくことを恐れずに
歩み寄った「その先」に、
自分たちの手で築いていくものなんだと思います。
まずは「自分という迷子」を見つけることから

相手を知ろうとするには、
まず「自分が本当はどうしたいのか」を
知る必要があります。
自分の弱さも、ドロドロした本音も、
これでもかというくらい理解する。
自分のなかには色んな自分がいるけれど、
どれも全部自分だと認識する。
自分を深く理解できたとき、
初めて周りの人が差し出してくれていた
優しさに気づけるし、
「もっとこの人のことを知りたい」
と心から思えるようになるはずだから。
いま人生に迷ったり、人間関係に疲れてしまっているあなたへ。
波風を立てないように自分を殺すのは、
もうやめにしませんか。
本音を語る怖さを少しだけ手放して、
大切な人と「本当の平和」を築く一歩を、
ここから踏み出してみませんか。
大丈夫、世界は思っているよりもやさしいです。
一緒に「持続可能な美しさ」、
そして「一生ものの自信」を手に入れませんか?
あなたが暗闇のトンネルを抜け出すまで、
私はここで伝え続けます。
本当の意味で心からの笑顔を引き出し、あなたに寄り添える、そんな人生をアシストする美容師でありたいです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
P.S.
この記事を読んで感じたこと、ハッとしたことなどがあれば、ぜひ教えてください。
自分の気持ちを言葉にすることは、自分を知るための「最初の大きな第一歩」です。
一言だけでも構いません。コメントを残していただけたら、とっても喜びます♡
