「すごく、だらしがない人なのでしょうか」|葬送のフリーレン
今回から、何本かに分けてアニメ『葬送のフリーレン』における相互理解の描き方について、書いていきたいと思う。
物語の最初から、エルフであるフリーレンというキャラクターは
「人間の気持ちがわからない」
という設定で描かれている。
そんな中、フリーレンが自分の弟子・フェルンと相互理解を深めていくきっかけのひとつとなるのが彼女の「だらしのなさ」である、と私は思う。
S1E4『魂の眠る地』では中央諸国グランツ海峡のとある町で、フリーレンとフェルンは、海辺の清掃の仕事を請け負う。
この町に数ヶ月滞在し、早朝から海の清掃に向かう2人の生活の中で、だんだんと露呈していくのが、以下のようなフリーレンの「だらしのなさ」だ。
朝は起こされるまで寝ている
無計画にガラクタを買い集める
すぐに部屋を散らかす
髪を乾かさずに寝る
弟子のフェルンは、そんなフリーレンの面倒を見る。
毎朝フリーレンを起こし、ご飯を食べさせて、服を着替えさせるところからフェルンの1日は始まるのだ。
ある朝、海辺で清掃の仕事をしながらフェルンが言う。
ふと、思ったのですが。
フリーレン様ってもしかして、すごく、だらしがない人なのでしょうか」
このフリーレンの「だらしのなさ」は、
「歴史上、一番多くの魔物を殺した大魔法使い」
という畏怖を抱かせるキャラクターを、親しみやすく魅力的にする要素だが、それだけにとどまらない。
この「だらしのなさ」があるからこそ、フェルンとの相互理解のきっかけを作るのだ。
フリーレンは先生として、フェルンに魔法や魔法史を教える。
一方フェルンは、生活面でフリーレンの面倒を見る。
フリーレンは、そんなフェルンに感謝をする。
フェルンは、師であるフリーレンに対しても、だらしがないところは、きちんと怒る。
フリーレンは、怒るフェルンに埋め合わせをしたり、「フェルンが怒るから」と先回りして行動するようになる。
こうやって2人は、相互理解を深めていく。
私はこの関係性が、とても好きだ。
もしフリーレンが日常を完璧にこなし、手助けを必要としない大魔法使いだったら、フェルンとこのような相互関係は、生まれづらかったかもしれない。
フリーレンは誰からも理解されず、相手のことも理解しようとしない、という孤高のキャラクターになっていたかもしれないと思うのだ。
相互理解とは時に、お互いの凸凹を開示し、補い合うことで生まれるものなのだ。
フリーレンとフェルンを見ていると、そう教えられている気がする。
余談になるが、私はアニメ『葬送のフリーレン』を見はじめてから、ファンタジーをイメージさせるようなケルトっぽい音楽を聴くと「癒される」と感じるようになった。
自分の作業用BGMとして、似た感じの雰囲気のものを作れないかと思い、『Tokyo Fantasy Soundscape』というアルバムを作った。
(Spotifyには『葬送のフリーレン』のBGMもあるが、私の場合はこれを聴くと感情が動いてしまい、作業にならない)
『Tokyo Fantasy Soundscape』は、東京の街を、冒険のように歩み進める—といった雰囲気を目指したが、成功しているかどうかはわからない。
1曲目は「旅の始まり(Departure at First Light)」をイメージし、後半は思い出に浸りながら旅をクロージングする(End Credits in Soft Light)ような曲にした。
全16曲を収めている。
生活の邪魔にはなりづらい音源になっていると思うので、聴いてみていただければ、嬉しい限りだ。
🪄
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