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雲の向こうにあったもの


以前、私は「20年間、雲を消し続けた男」という記事を書きました。


沖縄で雲消し仙人と出会い、それから二十年ものあいだ、
空を見上げ続けた一人の男性の物語です。

けれど、あの記事を書き終えたあと、
不思議なことに私の中には、もう一つ残った問いがありました。

雲が消えた、その先に彼は何を見たのだろう。

きっと、それは青空ではありません。

それはもっと静かで、
もっと答えのないものだったのではないかと思うのです。


私は最近「自分らしさ」という言葉をよく考えます。

自分らしく生きたい。
誰でも一度はそう願うのではないでしょうか。

でも、自分らしさって何でしょう。
憧れの人のようになれたら、それが自分なのでしょうか。
好きなことだけして、のんびり暮らせたら、自分らしいのでしょうか。

一生懸命に働いている自分。
誰かの役に立っている自分。
夢を追いかけている自分。

そんな自分は好きです。
でも、それは本当に「私」なのでしょうか。

誰かが描いた理想を、
一生懸命追いかけているだけなのかもしれません。


水谷さんは子どもの頃から
「お父ちゃん」を探していたような気がすると書いていました。

その言葉が、なぜか心に残っています。

誰もが何かを探して生きていますよね。

夢を探す人。
居場所を探す人。
認めてくれる誰かを探す人…。


水谷さんは東京へ出て、
恋を失い、仕事を失い、それでも答えを探し続けました。

沖縄へ行き、雲消し仙人に出会ったこと。
そこで学び、やっと夢をみつけたかもしれない、と思ったこと。

その後、言霊やフトマニに出会い、陰陽五行も学び、
四国八十八か所を歩いたこと。
研究に研究を重ね、
それでもなお、心が満たされなかったこと。

その歩みを読んでいると
「この人はずっと、自分自身を探していたのだ」と思えてきます。


私も、自分を探しています。
誰かに認められたいからでしょうか。

それは親でしょうか。
友人でしょうか。
読者でしょうか。
神様でしょうか。

神様に「よく生きたね」と言ってもらえたら嬉しい。
そう思います。でも、その続きを考えて、ふと笑ってしまいました。

神様に喜ばれるような生き方をしている自分を、
私は好きなのです。

結局、自分を認めたいのは、自分なのだと。

誰かの拍手は嬉しい。
「すごいね」と言われたらもちろん嬉しい。

でも、それだけでは足りません。
一日の終わりに「今日はこれでよかった」

そう静かに言える自分でいたい。


水谷さんは、長い旅の最後に
「空っぽでよかった」と気づいたと書いていました。

般若心経の
色即是空。空即是色。

空っぽだからこそ、新しいものが入ってくる。

空っぽだからこそ、人の悲しみも喜びも、
そのまま受け取ることができるのです。

自分らしさは、立派な自分でも、完璧な自分でもなく、
弱さや情けなさ、本当は見せたくなかった
恥ずかしい自分の中にあるのかもしれません。

そう思うと「自分らしくなろう」と力を入れていた肩の力が、
少しだけ抜けませんか?

自分らしさは、作るものではなく、思い出すものなのかもしれません。

そんなことを考えていたら、「20年間、雲を消し続けた男」
の続きを書きたいような気持ちになりました。

雲を消すことが目的ではなかった。

雲を見上げ続けたその先で、
自分という存在に、静かに出会っていく。

あの物語は、まだ終わっていなかったのです。


もし、この続きを自分でも歩いてみたい
と思った方がいたら、下にそっと置いておきます。

水谷さんがイベントを企画しました。
必要な人にだけ、届けばいいと思っています。

https://www.reservestock.jp/events/1167129


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