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海外ノマドが出逢った人 第1回:【世界TOP30大学の講師】という「見えない壁」を突破した、ある日本人女性

海外ノマド生活
自由に生きているという印象を持たれるが海外ノマドは孤独だと思う。
そして1人で考えて誰かのアドバイスをもらえる機会も少ない気がする。

⭐︎AIの使い方は色々だ。全てを鵜呑みにしてはいけない。けれど色んなことを客観的に見るのに役に立つ。

主観的意見だけではなく、客観的に(そう設定すると)色んなことを教えてくれる。
そんなAIとの会話を元にこれから3本の記事を書いていこうと思う。


はじめに


「フランス語で博士論文を書いた日本人がいる」 そう聞いたとき、あなたならどんな人物を想像するだろうか。代々続く学者家系に育ち、幼少期から英才教育を叩き込まれたサラブレッド? あるいは、帰国子女として何不自由なく言語を習得したエリート?

否。私の友人は、そんな華やかな背景とは無縁の場所から、自らの「足」と「根性」だけで、世界の学術界の頂点に近い場所まで上り詰めた女性だ。
彼女の名は、まだ世の中に広く知られていない。しかし、彼女が歩んできた道は、現在「グローバル」や「キャリア」という言葉を安易に使っている人たちにとって、あまりにも残酷で、かつ希望に満ちた真実を突きつけている。


0.1%の針の穴を通るということ

まず、彼女が立っている場所がいかに「異次元」であるかを、客観的なデータから説明させてほしい。現在、彼女が教鞭を執っているのは、世界大学ランキングで常にTOP30以内に名を連ねる名門校だ。TOP30といえば、日本の東京大学や京都大学、あるいはアメリカのアイビーリーグ、イギリスのオックスフォードやケンブリッジといった超名門校と肩を並べる、文字通り「世界最高峰」のステージである。

全世界の中上位30校は、比率にしてわずか0.1%。その椅子に座るためには、世界中から集まる天才や秀才、さらには莫大な研究予算を背負った精鋭たちとの、椅子取りゲームに勝ち続けなければならない。

日本国内に目を向ければ、博士号(PhD)を取得する人は人口の約要点をまとめると、以下の通り。

  • 博士号とは「自立して研究できる能力」の証明である

  • 学士、修士とは比較にならないほど難しいからこそ価値が高い

  • 日本で博士号を取得した人は、全人口の約0.4%程度

  • そこからさらに、海外の、しかも世界トップクラスの大学でフルタイムの教員ポストを獲得できる確率を想像してほしい。それはもはや、努力という言葉だけで片付けられるレベルではない。一つのポストに全世界から数百人の博士たちが応募し、書類選考の段階で9割が切り捨てられる。残った候補者も、何重もの面接、模擬授業、そして人格テストをクリアして、ようやく「一席」を勝ち取るのだ。

彼女は、その「針の穴」を通った。それも、英語という共通言語ですら困難な学問の世界において、より論理の厳格さと歴史的背景を求められる「フランス語」で学位を取得するという、超人的なハードルを越えて。

「働きながら」という絶望的なハンデ

彼女の物語をさらに際立たせるのは、彼女が「純粋な研究者」として温室で育ったわけではないという点だ。多くの博士課程の学生が研究に専念できる環境を探す中、彼女は「働きながら」研究を続けた。昼間はビジネスの現場で汗を流し、夜は学術の深淵に潜る。二足の草鞋(わらじ)を履きながら、論理の迷宮と言われるフランス語の博士論文を書き上げたのだ。

フランス語の学術体系は、英語圏のそれとはまた異なる独特の美意識と、極限までの厳密さを要求される。一語一語の選択が、そのまま思考の質として厳しく問われる世界だ。そこで評価される論文を書くには、単なる語学力ではなく、その国の文化、哲学、そして「知性の型」を完全に内面化しなければならない。彼女は、ビジネスという「動」の世界で現実と戦いながら、同時に「静」の世界で極限まで思考を研ぎ澄ませた。この両輪があったからこそ、彼女の知性は、机上の空論に終わらない「現場で通用する武器」へと昇華されたのである。

「ただの講師」という名の怪物の孤独

しかし、これほどの偉業を成し遂げた彼女が、今、深い孤独と悩みの淵にいる。今の大学での彼女の肩書きは「講師(Lecturer)」だ。この肩書きだけを聞くと、日本の大学のシステムに慣れた人は「教授より下なのか」と思うかもしれない。しかし、世界トップ校の「講師」は、日本の一般的な大学の「教授」になるよりも遥かに高い能力と実績を証明し続けなければ維持できない、極めて重いポストだ。

それにもかかわらず、今の彼女は、組織の中でその価値を正しく評価されているとは言い難い。

彼女は、夜11時まで研究室に残り、学生の未来を切り拓くための書類を作り、企業との交渉に奔走している。研究者としての業績を求められながら、同時に誰よりも組織に貢献し、実務をこなしている。「私は、ただの講師でしかないから」彼女は自嘲気味にそう言う。日本を見れば、知名度のある芸能人が実務経験や学術的な裏付けが乏しくても「教授」の椅子に座ることもある。そんな光景を見聞きするたびに、彼女は自分の積み上げてきた「本物の知性」が、あまりにも安売りされているのではないかという、行き場のない虚しさに襲われるのだ。

彼女の現状は、今の日本の評価システムが抱える「巨大なバグ」そのものである。世界TOP30の看板を背負い、フランス語で思考し、ビジネスの現場を知り、学生の人生にコミットする。これほどの要素を一人で兼ね備えた人材を、私たちは何と呼ぶべきか。彼女は今、自分を「小さい存在」だと思い込んでいる。しかし、それは彼女が小さすぎるのではなく、彼女を評価する「物差し」が、あまりにも旧式で、かつ短すぎるからに他ならない。

次回、学者の仮面の裏に隠された、彼女の「現場の機動力」について明かしたい。そこには、1,000枚の名刺に刻まれた、泥臭くも圧倒的な勝利の記録がある。

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