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全然文章が書けなくて

書きたいことが枯渇している。

仕事の繁忙期がひと段落し、出張の頻度も一時期に比べれば減り、日々にゆとりができたはずなのに。
本も今まで以上に読めるはずなのに、見なくても良いSNSばかりスクロールしてしまう。
このままじゃいけない、と思い、人と会う頻度を増やしてみたり普段なら参加しないような会社の飲み会にも参加してみた。


それでも書けない。書きたいことが浮かばない。
なんなら文章を読むのがしんどい。文章を書くことそのものが私は苦手なのかもしれない。


そんな時に、文章講座のお知らせが目に止まった。
申し込めば参加できる形式のものではなく、課題に通った人のみが受講できるタイプの講座であった。
課題のテーマは「私はこんな文章を書いてみたい」というものだった。

私はどんな文章を書きたいのだろうか。
そもそも、なぜ私は文章を書きたいと思ったのか。

ぐるぐるぐるぐる考えて、そういえば、と思い出した。
私はドキュメントに、夢中になって文字を打ち込んだ。

「では、小学校六年間の思い出を各々書いてください」
総合の時間に先生から渡されたのは、真っ白な原稿用紙2枚だった。

卒業文集用に書く作文は、どんな思い出をテーマにするかが重要である。
当時の私は6年間の中で一番思い出に残った、鼓笛隊のエピソードを書くことにした。

私が通っていた小学校では、六年生のメインイベントとして運動会の演目の一つに鼓笛隊があった。1学年100人近い児童が、リコーダーや鍵盤ハーモニカ、そのほか打楽器を鳴らしながら指揮に合わせて行進する。
私はオーディションを勝ち抜き、鼓笛隊の中でも花形とされる小太鼓の枠を勝ち取り演奏することとなった。地道な練習も、私にとっては楽しくて楽しくて仕方がなかった。本番も滞りなく終え、私の中で非常に楽しい思い出の一つとして刻まれていた。

本を読むことも好き、国語の授業も好きな私は、筆を止めることなくすらすらと鼓笛隊のエピソードを書いた。
句読点の付け方や作文の基本的なルールで添削されることはあっても、内容を修正されることはなかった。今になって思うと、小学生の書く卒業文集にそこまで赤入れをすることは基本的にないんだろうな、と思う。
そんなことも露知らず、私はクラスの中でも比較的早い段階で文章を書き終え、卒業するまで文集のことを思い出すことはなかった。


卒業式の写真を含めて卒業アルバムとして渡すため、私が卒業文集を読んだのは中学一年生の夏だった。
家に帰り、届いた卒業文集をひとり開いてみる。
クラブ活動、修学旅行、友達との思い出…私と同様に鼓笛隊のエピソードを思い出として書く子も多かった。
それぞれ思い思いの楽しかった出来事が書かれており、皆のエピソードに想いを馳せる。

その中に、一際目に留まる文章を書いていた子がいた。
彼女のテーマは「時間」だった。

“時の流れというものは、味方ともなるし、敵ともなるということを学校生活の中で知った。”

冒頭を読んだ瞬間、私は幼心に、すげえ、と思った。
なんなんだこの文章は。
と、同時に自分のこれまであった自信が崩れた瞬間だった。
私には、彼女が書いた一文一文が輝いて見えた。
大抵は出来事に焦点が当てられていることが多い中、彼女は6年間という時間そのものに焦点を当てていた。着眼点もさることながら、原稿用紙2枚という限られた文字数の中で自由自在に自分という存在を表現しているのだ。

一方で私の文章はどうだろう。
一般的な作文の書き方になぞらえて、それっぽくまとまっている。
ただ、「私らしさ」が見えてこない。こんな出来事があった、という事実はわかるが、私がどう感じたかが消えてしまっている。これでは伝えたい感情の三分の一も相手に伝わっていないんじゃなかろうか。


はじめての挫折だった。

ただ、その頃の私はかなり未熟であった。
彼女の作文を読んだあとも特段奮起することなく、ああ、才能がある人ってすごいわ、私にはこんな視点で物事を書けないや、と思い、そっと文集を閉じた。



あれから15年が経つ。
今になって、やっぱり自分は文章を書いてみたいと思い、この講座に申し込んだ。
なぜ書きたいと思ったのか。
正直なところ、張本人ですら分からない。
ただ、文章を書きたいと考えた時に浮かんだのは、自室でひとり読んだ、彼女の卒業文集だった。

彼女の文章を超えたい、だなんてそんな烏滸がましいことは思わない。
私は人より面白い視点を持っているわけでもないし、文章を構成する力だって小学校の時からそこまで変わっていない。

ただ限られた紙の上で自分が書いた言葉が、文章が、光り輝く瞬間を見てみたいのだ。
その一つの道標として、この講座に出る機会をいただけたら何より嬉しい。


結果、講座には落ちた。

だろうな、と思った。
結果については落ち込まなかったし、打ち込んだ文章を読み返しながら自己満足で拙い言葉の羅列だな、とも思った。


だけれども、「文章を書くことが苦手なのかも」という気持ちからは違った感情に変化していた。

これから先、私は何度も何度も「書きたい」と「書けない」の感情の狭間を行き来することだろう。そもそも何で文章を書きたいのか、と悩むこともあるだろう。
その時にはこの文章を読み返し、「拙いなあ」と呟きながら、せっせと言葉を紡いでいきたい。

枯渇した自分の心に、言葉の水を汲めるのは私しかいない。
いつか溜まった水たまりに陽が差して、水面がきらりと光る瞬間を夢見て。

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