音楽話の続きをもう少し~マイルス・デイビスのこと
今回はジャズの帝王と呼ばれたトランぺッター、マイルス・デイビスのこと。私がマイルスの音楽を聴き始めたのは、大学生になってからで、ジャズ喫茶でコーヒーを飲みながら、ジャズ界のアーティストの音楽に、しばしば浸っていたものです。ジャズ音楽を爆音でかけてくれる喫茶店はさほど多くはなかったため、わざわざ出かけていたのです。
当時は楽曲アルバムを収録したのはレコード盤で、どの店でも高級スピーカーを含めて構成されるオーディオ装置によって再生される爆音を聴くことができたのです。喫茶店経営者の好みで曲がかけられるものの、来店客のリクエストも可能で、店内に流れる曲を長い時間楽しむのがマナーでもありました。
メイン・ストリームと呼ばれていた、アコースティックな楽器を主体にした楽曲が店内に流れるのが通常の状態ではあったのですが、私がリクエストするのは、マイルスがデビューして名声を獲得した以降の、そのころ流行っていたエレクトリックな楽器構成によるクロスオーバーと呼ばれる範疇の曲で、それらがまた私の好みでもあったのです。
その当時もっとも人気を博していた、日本のジャズ専門誌での人気投票のランク一位だった曲はピアニストのチック・コリアが率いるグループ、リターン・トゥ・フォー・エバーのアルバム曲で、それに続くのがマイルスという状況でもあったのです。マイルスはその直前に来日していて、彼の率いる七重奏団は大阪のフェスティバル・ホールでライブ公演を行い、「アガルタの凱歌」と名付けられたアルバムをリリースしていました。テープ録音によるこのアルバムは、静寂音の時に高周波数のテープ雑音が聴きとれるようなものでしたが、エレクトリックな爆音はほとんどの時間において雑音をかき消し、アルバムに添えられた説明書には、できるだけ大きな音でお楽しみくださいというメッセージも添えられていたほどでした。
マイルスはこの来日当時、体調が思わしくなく、その後長期間の休止期間に入ります。私が彼のエレクトリックなアルバム「ビッチェズ・ブリュー」「オン・ザ・コーナー」そしてアガルタの凱歌とともに日本での発売となっていた「パンゲアの刻印」などを聴いたのは、この期間のことでもあったのです。
さてそのようなマイルスの復帰コンサートが行われたのはおよそ5年後のこと。大阪の扇町公園にあった野外の「大阪プール」特設のコンサートでした。このコンサートのことを記したブログをいくつか見つけましたが、いずれにも肌寒い気候であったと書かれているものの、10月10日のごく穏やかな気温であったはずで、私は寒さなどみじんも感じなかったのです。プールの観客席は1000人以上を収容できる規模だったように思いますが、私はマイルスの演奏ステージからは50メートルのプールを間にした向かい側の席に座っていました。マイルスの登場を待っていると、私のプールスタンド席は少し高い位置にあり、プール外の様子が見えていたのですが、暗い中をやってきた車の明かりが見え、それが停車して数分後、演奏メンバーに抱えられて登場したマイルスを目に映したことが印象的でした。彼の体調はまだ万全でなく、演奏が始まってからのミュート・トランペットの音も弱々しかったのです。「アガルタの凱歌」のダイナミックな響きはそこにはなく、テクニカルなマイク・スターンのエレクトリック・ギター音が爆音として公園周辺に音を発散していたかのようでした。ビル・エバンスのソプラノ・サキソフォン、アル・フォスターのリズミカルで強いドラム音がいっそうマイルスの音響に対して目立っていました。
このコンサートは、私が中学生のころにやはり大阪の厚生年金会館(現オリックス・ホール)で聴いたベンチャーズ公演以来のライブ・コンサートで、生の音にわくわくした記憶が鮮明でしたが、残響がまだ頭の中に残っているような状態で、はじめて出かけた扇町公園から家に帰るのに、まず最寄りの駅の場所も不案内で、大勢の来場者の流れにただついて歩き、茫然としたままでした。
のちに近くの専門学校講師を勤めて、その時にはすでに老朽化のためにプール施設が取り壊されて広々とした公園越しに、遠い梅田のビル群を眺めたことが今も思い出されます。

マイルスはその後音楽活動に復帰しますが、偶然にも先日ご紹介したソビエト連邦崩壊直前のモスクワでのメタリカのライブ公演の日に、帰らぬ人となったのです。それは私の中の音楽の歴史の、二つの音楽結界の接点とでも言えるのかもしれません。
ところでマイルスが旧来のアコースティックなジャズから、急進的ともいえるエレクトリックな音楽に転身したのは、私の知る限り、ロック界の伝説的コンサート。ウッド・ストックが関係しています。この巨大なコンサートに出演したマイルスは、ロック・ファンからは場違いの音楽だとでも受け取られたのか、かなりの不評だったようです。マイルスはこのことに憤慨し、本当のロックを見せてやる、と意気込んでエレクトリックな音楽に転向したのです。それはマイルスの強烈な自負心、プライドによるものであったのでしょう。私は結果的にはそんな彼の意気込みに共感し、やがてその情熱を感じられなくなったのか、マイルスの音楽から遠ざかることになったのでした。
