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駆け込んだ子供はゼロだった ―「いちょう110番」導入の顛末と、機能しない制度の価値



きっかけは管理組合理事長の一言だった

自治会長を務めていた頃、当時の管理組合理事長から「いちょう110番」という制度への登録を勧められた。
正直なところ、それまでこの制度の存在すら知らなかった。
理事長は過去にPTA会長を経験されていて、その頃から「自分のマンションでもぜひ取り入れたい」と考えていたのだという。

浦安市における「いちょう110番」という制度は、他の自治体で言うところの「こども110番の家」にあたる仕組みだ。
子どもたちが身の危険を感じたときや、不慮のことで負傷したときに、身近に緊急避難できる場所として、地域の民家や店舗、事業所に協力を依頼して設置される。
浦安市では青少年健全育成連絡会が窓口となっている。

理事長からの相談を受け、私自身でも制度を調べ、自治会の防犯担当にも話を持ちかけた。
この防犯担当もまたPTA活動の経験者で、話は思いのほかスムーズに、前向きな検討へと進んでいった。


「誰が申し入れるべきか」という最初の分岐点

最初に整理する必要があったのは、申入れの主体を管理組合にするか、自治会にするかという問題だった。

結論としては、管理組合よりも自治会が申し入れるべきだろうということになった。
管理組合は区分所有法に基づき、建物や共用部分の管理を本来の業務とする組織である。
一方で、地域の子どもを見守るという活動は、対外的かつ地域社会に開かれた性質のものであり、本来的には自治会が担うべき領域に属する。

同じマンションの中に同居しながら、管理組合と自治会はまったく異なる座標軸の上に立っている。
前者は「建物」という固定された物理的単位の管理者であり、後者は「地域社会」という関係性の単位を代表する。
マンションという一つの場所に、性質の異なる二つの組織体が重なって存在していることを、この検討の過程で改めて意識させられた。


オートロックという壁

制度の理念と、実際のマンションの構造との間には、すぐに壁が立ちはだかった。

いちょう110番は「駆け込める場所」であることが前提になる。
しかし当マンションのエントランスはオートロックであり、管理人は常駐しているものの、外部の子どもがそのカウンターまでたどり着くことができない。
理念としては駆け込み先になり得ても、物理的な動線が存在しないのでは意味がない。

さらにもう一つ、自治会長という立場の限界もあった。
申入れの名義は自治会長になるとしても、自治会長は数年ごとに交代する。実際に子どもが駆け込んできたときに対応するのは、その時々の自治会長ではなく、常駐している管理人でなければ現実的ではない。

つまりこの制度を機能させるには、属人的な担当者(自治会長個人)ではなく、制度として固定された担当者(管理人という役職)に責任を紐づけ直す必要があった。
そのためには管理組合を通じて、管理会社への委託業務としてこの対応を追加してもらうことへの了承が不可欠だった。


閉じていた小窓を、もう一度開けてもらう

物理的な解決策として着目したのが、エントランスのオートロックに入る手前にあった小窓だった。
もともとは管理事務室につながる窓だったが、当時はまったく使われておらず、カーテンが閉められたまま閉鎖状態になっていた。

この小窓に、いちょう110番のマークを掲げてもらい、カーテンを開けてもらうことで、子どもたちが駆け込める場所として機能させることができないか。そう申し入れた。

何も新しく作る必要はなかった。
すでにそこにあった構造に、マークという記号を付け加えるだけで、意味と機能が生まれ直す。
以前、東海道新幹線の「こだま→ひかり→のぞみ」という命名の変遷を「事後的整合性」として書いたことがあったが、この小窓の再稼働も同じ構造を持っている。
既存の物理的条件を動かさずに、後から意味づけを行うことで機能を成立させる。パッケージの色分けのように、記号の付与そのものが機能を生み出す例の一つと言えるかもしれない。

管理組合側は、理事長がもともと導入に積極的だったこともあり、これらの条件をすべて承認してくれた。
自治会長名義での申し入れ、管理人による実務対応、委託業務への追加、そして小窓の再稼働。
設計としては一応の完成を見た。


駆け込んだ子供の数、ゼロ

その後、私の任期中に、この窓に駆け込んできた子どもは一人もいなかった。
当時、市の関係者からは「市内では制度を利用した事例は聞いていない」と説明を受けた。

一見すると、これは制度が「使われなかった」という話に見える。
しかし小学校などでは、いちょう110番という制度自体が常に啓蒙されており、子どもたちの認知度は高い。
近隣にそうした駆け込める場所が複数存在すること自体が、子どもたちにとって安心感につながっている。
そして、地域に見守りの目が張り巡らされていること自体が、多少なりとも犯罪の抑止力になっているのではないか、という話も出た。


発動しないことが成功、という逆説

防犯や防災に関わる仕組みの多くは、「発動しないこと」がそのまま成功を意味するという逆説を抱えている。
保険がそうであるように、価値は発生確率と被害の大きさの掛け算をどれだけ減らせたかにあり、実際の発動件数そのものでは測れない。

むしろ、駆け込み件数がゼロであることは、啓蒙と可視化がうまく機能していることの裏返しとも読める。
子どもたちが「駆け込める場所がある」と知っていること自体が、不審者側から見れば「この地域には見守りの目が多い」というシグナルとなり、犯行対象として選ばれにくくなる。
プレートやマークの設置は、実際に使われるためというより、まず「見られる」ことによって機能している面が大きいのだろう。

これは以前触れた防災士としての実感とも重なる。
避難訓練も備蓄も、本来は「使われないこと」が望ましい仕組みだ。
だからといって不要にはならない。
むしろ「使われない状態を維持し続けるコスト」を、地域社会がどう合意し、誰が負担していくのかという問題として立ち現れてくる。

浦安市全体で通報事例がゼロだったという事実も、「制度が機能していない」のではなく、「可視化された安全網が、そもそも犯罪の機会自体を減らしている」可能性を示しているのかもしれない。
もっとも、これは因果関係を実証しにくい領域でもある。
効果があったと言い切ることは難しいし、なかったと切り捨てることもまた難しい。

効果を測定できない制度を、それでもなお維持し続けることの意味を、私たちはどう社会的に合意していけばいいのだろうか。答えの出ない問いとして、ここに置いておきたい。

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