県境をまたぐ空港名 — 富山・高山・萩・石見に見る地名の力学
1. 交通インフラの名称という切り口
地方の交通インフラの名称には、その土地の歴史的な力関係や、実際の生活圏の姿がふと透けて見えることがある。
路線名、駅名、そして空港の愛称。
行政が決めるものであるはずなのに、なぜかそこには行政区分そのものとは違う論理が働いていることに気づかされる瞬間がある。
きっかけは、富山空港の愛称が「富山きときと空港」から「富山高山すし空港」に変わる、というニュースだった。
県が発表した新しい愛称には、隣県・岐阜県の観光地「高山」の名前が組み込まれている。
先に断っておくと、私自身は富山にも岐阜にも縁のない、いわば第三者である。
したがってこのnoteは、どちらかの県民感情を代弁したり、どちらが正しいかを判定したりする立場では書いていない。
あくまで、報じられた事実をもとに、この命名の背後にある構造を整理してみたい、という試みである。
2. 何が起きたのか
富山県は2026年7月8日、富山空港の愛称を「富山高山すし空港」に変更すると発表した。
県によれば、愛称に他県の地名が入るのは全国的に珍しく、山口県萩市の名前を取り入れた石見空港(島根県益田市)の「萩・石見空港」に次いで、国内では2例目にあたるという。
この命名の構造をあらためて見ると、興味深い点がある。
自県名である「富山」はそのまま残しつつ、そこに他県の地名「高山」を丸ごと足す、という組み方になっていることだ。
「高山」は空港の所在地でも、富山県内の地名でもない。
岐阜県高山市という、県境の向こうにある人気観光地の名前である。
加えて英語表記では "Toyama-Takayama Sushi Airport" となり、県名と他県の地名が並列で掲げられる形になった。
県側の説明では、飛驒高山地域を訪れる外国人宿泊客が年間100万人近くにのぼることを踏まえ、富山空港をその「空の玄関口」として世界に発信する狙いがあるという。
インバウンド需要を取り込みたいという実利的な判断が、この一見大胆な命名の背景にある。
3. 先行事例との比較 — 萩・石見空港
「他県の地名を入れる」という点で先例とされたのが、島根県益田市にある石見空港の愛称「萩・石見空港」である。
ただし、その成り立ちを見ると、今回の富山のケースとはいくつかの点で性格が異なっている。
萩・石見空港の愛称は、2002年、石見空港利用拡大推進協議会が地域住民から公募し、多数の応募の中から選ばれたものだった。
対象となったのは島根県西部と山口県北東部という、もともと約33万人規模の一つの生活圏として捉えられてきた地域である。
空港は行政区分上は島根県益田市にあるが、利用圏には山口県萩市や阿武町も含まれており、運賃補助制度の対象地域としても両県にまたがる形で設計されている。
つまり「萩・石見」という名前は、県境をまたいで一体的に運営されてきた利用圏の実態を、そのまま名称に反映したものと言える。
一方、富山高山すし空港の場合は、空港運営会社が知事に提案し、県が検討を進めるという行政主導のプロセスで決まった。
県民から広く意見を募る公募は行われず、この点は決定後に大きな批判を招くことになる。
北日本放送(KNB)が実施したアンケートには2日間で2800件以上の意見が寄せられ、「なぜ県民の声を聞かないのか」「勝手に決めた」といった、決め方そのものへの不満が全体の6割近くを占めた。
同じ「他県地名の採用」という現象でありながら、萩・石見空港が住民公募による並記型の命名であったのに対し、富山高山すし空港は行政主導による、自県名の一部を他県名に譲るような組み方の命名だった。
この決め方と組み方の違いが、後に見るように、両者の受け止められ方の違いにもつながっているように見える。
4. 当事者たちの温度差
富山県内の反応は、はっきりと批判に傾いた。
KNBのアンケートに寄せられた声には「富山県民を馬鹿にしている」「地元から愛されるとは思えない」といった厳しい言葉が並び、新しい愛称に入れたいものを聞いた質問では、実際に採用された「高山」はわずか3.4%、「すし」も10.3%にとどまった。
最も多かったのは「変えないほうがいい」の41.5%である。この結果からは、県が想定した「インパクトのある名前」への支持よりも、既存の愛称や県名そのものへの愛着の方が強く残っていたことがうかがえる。
背景には、「高山」という県外の地名が入ることへの抵抗感がある。
空港名から「富山らしさ」が薄まることが、単なる好み以上に、県民のアイデンティティに関わる問題として語られていた点は興味深い。
空港の愛称という、一見些末に見える話題が、これほどの反応を引き起こしたこと自体が、地名というものの持つ重みを示しているようにも思える。
一方、名前を「もらう」側となった高山市の受け止めは対照的だった。
飛驒・高山観光コンベンション協会の会長は「大変歓迎している」とコメントし、名前によって富山との距離感が縮まり、空路という選択肢が増えることへの期待を語った。
高山市長も、広域観光の推進が両地域の発展につながることを望むとコメントしている。
ただし、この歓迎ムードには留保もつく。
高山市中心部は富山空港から80キロ近く離れており、直行バスもまだ存在しない。
報道では、歓迎の声とともに「地元空港に他県の地名がつくことになった富山県側を気遣う声」も紹介されていた。
つまり高山側は、実利を素直に喜びつつも、当事者として矢面に立っているわけではない、という距離感がにじんでいる。
整理すると、今回の命名をめぐっては「名前を削られる側」の富山と「名前を借りる側」の高山という、非対称な立場が存在している。
同じ「県境をまたぐ地名」という出来事でも、それぞれの陣営にとっての意味合いはまったく異なっていたということになる。
5. 歴史を掘る — なぜ富山と高山なのか
この非対称な関係を離れて、そもそもなぜ「富山」と「高山」という組み合わせが成立し得たのか、歴史を遡って考えてみたい。
富山と高山を結んできたのは、江戸時代から続く飛騨街道である。
越中国(現・富山県)の富山と、飛騨国(現・岐阜県)高山を結ぶこの街道は、富山側からは「飛騨街道」、飛騨側からは逆に「越中街道」と呼ばれた。
神通川(岐阜県内では宮川)の谷筋に沿って延びるこの道は、富山湾で獲れた「越中ぶり」が大量に運ばれたことから「ぶり街道」の異名でも知られている。
塩ブリはその日のうちに加工され、高山まで32里の道のりを歩荷によって運ばれ、正月を控えた飛騨の人々に届けられた。米や塩、海産物が富山側から飛騨へ運ばれる一方、飛騨側からは木材や鉱物が運ばれるという、相互補完的な交易関係がそこにはあった。
この街道筋は近代以降、JR高山本線という鉄道路線に姿を変えて受け継がれている。
富山—猪谷—飛驒古川—高山という経路は、江戸期の街道とほぼ重なっている。
そもそも飛騨地方は、地理的には隣接する富山県(越中)と経済的・文化的な結びつきが強く、両者をまとめて「飛越地方」と呼ばれることさえある。
裏を返せば、飛騨は岐阜県内の太平洋側地域とは山脈に遮られ、交通の便が悪かったということでもある。
こうして見ると、「富山高山すし空港」という命名は、県境をまたいだ突飛な思いつきというよりも、数百年にわたって積み重ねられてきた生活圏・交易圏の実態に、行政上の名称がようやく追いついた出来事、という見方もできるかもしれない。
もっとも、これは命名の妥当性を裏付ける根拠にはなっても、県民感情への配慮が不要だったことを意味するわけではない。
歴史的な必然性と、当事者の納得感は、また別の話である。
6. 逆説 — 同じ県内の方が遠かった
ここで視点を変えて、同じ岐阜県内における美濃地方と飛騨地方の関係を見てみると、富山—高山の関係とは対照的な構図が浮かび上がる。
飛騨国と美濃国は、そもそも令制国として別々の行政区分だった。
江戸期には飛騨は幕府の直轄領(天領)、美濃は複数の藩による統治というように、統治の系統からして異なっていた。
明治維新後もすぐに一つの県にまとまったわけではなく、飛騨国はいったん飛騨県、次いで高山県となり、さらに信濃国側の県と合併して筑摩県の一部になった時期を経て、1876年頃になってようやく美濃のみで構成されていた岐阜県に編入されている。
「同じ岐阜県」としての歴史は、越中—飛騨の交易関係の蓄積に比べれば、はるかに新しいものなのである。
地形的な隔たりも大きい。
美濃地方南西部は濃尾平野が広がる低地であるのに対し、飛騨地方は3,000m級の飛騨山脈をはじめとする山岳地帯で、平地は高山盆地などわずかしかない。
県はこの対照性を「飛山濃水」という言葉で表現し、県文化のキーワードとして掲げているほどである。
気候区分も、美濃の大部分は太平洋岸気候、飛騨の大部分は日本海岸気候〜内陸性気候というように、そもそも異なる気候帯に属している。
方言についても、飛騨は山岳地帯ゆえに交通が限られ、外部の影響を受けにくい古い言葉の特徴を残す一方、美濃は尾張や京都との交流を通じて語彙の混ざりが見られるなど、今なお別系統の言語文化を保っている。
つまり、「県境」という行政上の線引きと、「生活圏・歴史」という実態の線引きは、必ずしも一致しない。
富山と高山は行政区分としては別の県でありながら生活圏としては一体だったのに対し、美濃と飛騨は同じ県でありながら、山脈によって隔てられた別々の生活圏として長く存在してきた。
今回の空港改称をめぐる違和感は、この二重のねじれ――「県境をまたぐことへの違和感」と「県境の内側にある隔たり」――が、たまたま一つのニュースの中で同時に可視化された結果だったとも言えそうだ。
7. 交通インフラという鏡
同じ構図は、空港だけでなく鉄路にも見つけることができる。
富山と高山を結ぶJR高山本線は、岐阜駅から猪谷駅まではJR東海、猪谷駅から富山駅まではJR西日本の管轄と、猪谷駅を境に会社が分かれている。
面白いのは、この境界の扱われ方が、列車種別によってまったく違うことだ。
特急「ひだ」は名古屋・大阪から高山を経て富山まで直通しており、猪谷駅では両社の乗務員が交代するだけで、乗客は乗り換えを意識することなく県境・社境をまたいでいく。
一方、普通列車は猪谷駅で完全に系統が分かれており、両方向とも全列車がこの駅で折り返す。
国鉄時代には美濃太田—富山間や高山—富山間を通して走る普通列車も設定されていたが、2003年10月以降、猪谷駅を越えて直通する普通列車はなくなった。
つまり、広域から訪れる観光客やビジネス客が使う特急は境界を意識せず一体的に運行される一方、沿線に暮らす住民の日常の足である普通列車は、会社境界に忠実に分断されているということになる。
これは「富山高山すし空港」という愛称の構図とも重なって見える。
県境を越えた広域観光向けの"看板"は一体感を演出する一方、その足元にある生活インフラの実態は、むしろ境界線に沿って律儀に分かれているのである。
交通インフラの名称や運行形態は、行政区分そのものというより、それぞれの利用者層――広域から訪れる客か、そこに暮らす住民か――にとっての実態を映し出す鏡になっている。
そしてその鏡には、しばしば「県境」と「生活圏」のねじれがそのまま映り込む。
これは富山・高山・岐阜という一地域の特殊事情というより、日本各地の県境をまたぐ交通インフラに、多かれ少なかれ共通して見られる構造なのかもしれない。
8. 結び
行政区分としての県境と、歴史的に積み重ねられてきた生活圏は、必ずしも一致しない。
富山と高山はそのズレが「一体感」の方向に働いた例であり、美濃と飛騨は同じ県内でありながら「隔たり」の方向に働いた例だった。
そして高山本線の猪谷駅を見れば、県境をまたぐ一体感と分断は、同じ路線の中に同居してさえいる。
「富山高山すし空港」という名前をめぐって富山県民が示した違和感は、県境という線引きが自分たちのアイデンティティを支える境界だという感覚に根ざしていたのだろう。
一方で、その境界の外側にある高山の人々にとっては、同じ線引きはさほど重い意味を持たない。
県境という行政上の線と、生活圏という実態としての線がねじれるとき、地名や愛称はいったいどちらに従うべきなのか。
あるいは、そもそもどちらか一方に従う必要などないのか。
答えを急ぐより、この問いをしばらく手元に置いておきたいと思う。
