東西線は修行、京葉線は誇りだった
16年前、こんなツイートを書いていた。
東西線流の満員電車内でのやり過ごし方。足を踏ん張らない。でもバランスが保てる足位置はキープする。プレスに身を任せる。座席の前のポジションはバランスを崩しやすいので上級者向け。視線は斜め上。
当時は軽い気持ちで書いたものだが、今振り返ると、これは単なる「あるある」ではなく、当時の自分なりの“生存戦略”だったのだと思う。
東西線という圧縮空間
私は1990年前半から2000年台半ばまで、東京メトロ東西線で通勤していた。区間は行徳から門前仲町。時間帯は朝7時台だ。
この路線の特徴はシンプルだが過酷だった。都心に向かうにつれて、乗る人は増え続け、降りる人はほとんどいない。茅場町あたりまで、その状態が延々と続く。
つまり車内の混雑は「強い」のではなく、「積み上がっていく」。
特に印象的だったのは葛西、西葛西だ。ホームから乗り込んでくる人たちは、もはや個人ではなく、塊として押し寄せてくる。スクラムを組んでいるかのような圧力で、一気に車内へ流れ込んでくる。
あの空間は満員電車というより、圧縮空間と呼ぶほうが正確だったかもしれない。
東西線流・サバイバル術
そんな環境の中で自然と身についたのが、あのツイートに書いた「やり過ごし方」だ。
まず、足は踏ん張らない。踏ん張ると、押されたときにバランスを崩す。代わりに、崩れない位置だけはキープする。
そして、プレスに身を任せる。自分で立っているというより、周囲の圧力に支えられている状態に近い。
座席の前は上級者向けだ。人の流れがぶつかり合う場所で、ちょっとした油断で体勢が崩れる。
最後に、視線は斜め上。これは物理的な意味もあるが、心理的な逃げ場でもあったと思う。
こうして振り返ると、あれは単なる通勤テクニックではなく、「抗うのではなく適応する」という、都市生活の処世術そのものだった。
新浦安への転居と、通勤の変化
20年ほど前に新浦安に転居したことで、通勤路線は京葉線へと変わった。
同じ「混雑する路線」ではあるが、その性質は大きく異なっていた。
京葉線では、新木場で多くの人が降りる。さらに武蔵野線直通電車では舞浜でまとまった降車がある。
つまり、混雑は続かない。途中で一度リセットされる。
東西線が「積み上がる混雑」だとすれば、京葉線は「波のある混雑」だった。
この違いは体感としてかなり大きい。「ここを過ぎれば楽になる」という見通しがあるだけで、通勤のストレスは随分と変わる。
非日常が流れ込む路線
もう一つ、京葉線で印象的だったのは、レジャー客の存在だ。
スーツ姿の通勤客の中に、明らかに非日常へ向かう人たちが混ざっている。その光景は、最初こそ少し不思議に感じたが、不思議とストレスにはならなかった。
むしろ、自分の住んでいる街が、他の人にとっては特別な目的地であるということに気づいた。
東京ディズニーリゾートへ向かう人々の流れを日常的に見ることで、「ここは誰かにとっての非日常なのだ」と実感するようになった。
それは、少し誇らしい感覚でもあった。
「京葉線は罰ゲーム」という視点
そんな話を同僚にしたとき、こんな言葉をもらったことがある。
「京葉線通勤という時点で、すでに罰ゲームじゃないですか」
理由は明確だ。東京駅での長い乗り換え、八丁堀での接続の悪さ。効率だけを考えれば、確かにそう見えるのかもしれない。
でも、その言葉を聞いたとき、自分の中では少し違和感があった。
同じ路線を使っていても、見ているものが違う。
効率で見るか、意味で見るか。
その違いだけで、通勤の価値は大きく変わるのだと気づいた。
通勤が教えてくれたこと
東西線では、環境に適応する術を身につけた。
京葉線では、自分のいる場所の意味を知った。
どちらも単なる通勤路線に過ぎないが、そこから得たものは意外と大きい。
不便なこと、混雑していること、それ自体が問題なのではない。どう捉えるかで、体験の質は変わる。
あの満員電車の中で身につけたのは、立ち方ではなく、世界の見方だったのかもしれない。
