期待に応える私が、一番自分を傷つけていた

私の最初の記憶は、
感情を飲み込んだ3歳の日だ。
「明日からあの保育園にいくんだぞ」
見知らぬ男性に抱き上げられ、
居間の窓から外を見せられた。
田舎の狭いアスファルト道路と、
稲刈りが終わった田んぼの向こうに、カラフルな遊具が見えた。
「私は明日からあそこに行く…」
意味はよくわからなかった。
私を抱き上げてくれている男性は母方の伯母のご主人だった。
40歳くらい、東北なまりが強く大きく明るい声だった。
この日が私と初対面であったと思う。
初めての人に抱かれて私は恥ずかしいような、居心地が悪いような気がした。
その日の夜、伯父の運転する車に、私、母、伯母が乗っていた。
私は運転席側の後部座席にいた。
3歳の私の目は、車の窓にやっと届く高さだった。
それでも車から見える外は真っ暗なことがわかった。
車が小さな駅に停まる。
母が車から降り、外から窓越しに私を覗き込んだ。
「じゃあね、よっちゃん」
それだけと言うと、母は一人で駅に歩いて行った。
私は車の中から母を見送った。
やはり意味が分からなかった。
赤と白の千鳥格子のコートを着た母の背中が泣いていた。
「お母さんが泣いている」
だけど、今は何も聞いてはいけない、そう思った。
このときから、私は
自分の感情を後回しにすることを覚えたのだと思う。

私は今、大学教員として働いている。
その一方で、
ESN(エモーショナル・セルフ・ネグレクト)を専門に
「自分責めをほどくママコーチ」としての活動もしている。
いずれは教員を離れ、
この活動に専念していきたいと思っている。
ESNとは、
自分の感情を無視し、自分を後回しにしてしまう状態のことだ。

3歳から数年間、私は伯母の家に預けられていた。
6歳で両親との生活に戻ったが、
その頃から私は、
“ちゃんとする私”を身につけていった。
父にはアルコールの問題があった。
トラブルが起きるたびに、
母が父を責め立て、父が謝る。
それは、日常だった。
私は、
テレビをつけたまま、
見ているとも、聞いているともつかない状態で、
ただ、何も起きないように
時間が過ぎるのを待っていた。
一方で、学校では
図画工作、作文、朗読、書道で評価される子どもになっていった。
中学3年生のある日、
私は、初めて両親の間に入った。
台所から、怒鳴り声と物音がした。
覗くと、父が母の後頭部を叩いていた。
「やめて!頭が割れてしまう!」
私は泣きながら飛び込み、
「お父さん!やめて!」
そう叫んだ。
父は手を止めた。
怒りに燃えた顔は、今でも忘れられない。
その夜、
私は母と二人で、部屋で焼きそばを食べた。
泣きながら、もくもくと。
それでも私は、
この出来事を、誰にも話さなかった。
大人になってからも、同じだった。
看護師として働きながら、
家では、父の借金問題や、両親の関係の悪化が続いていた。
父にお金を渡すこともあった。
母は父を責め続け、
父は家の中で居場所を失っていった。
私は、どうすることもできなかった。
ただ、最悪のことが起きないように、
そこに居続けていた。
そして、気づけば私は
自分の気持ちを無視することに慣れていた。
周囲の期待に応え、
役割をきちんとこなし、
表向きは順調にキャリアを築いていた。
自分に自信があると思っていた。
でも、ESNは消えない。
必ず、どこかで表に出てくる。
私の場合は、子どもたちが教えてくれた。
40歳で双子を授かった。
子育ては、思い通りにならなかった。
日常のすべてが、子どものペースで止まる。
積み重なっていく苛立ち。
抑えてきたものが、あふれ出てくる感覚。
私は、子どもを怒鳴るようになった。
子どもを可愛いと思えない自分に、
戸惑いと恐怖を感じていた。
特に息子との関係は、苦しかった。
息子は、成長とともに困りごとが増え、
癇癪、衝動性、集団への不適応など、さまざまな問題が重なっていった。
家庭の中は、常に緊張状態だった。
そして、娘も不登校になった。

あるコーチとの出会いで私は、ようやく気づいた。
子どもの課題ではなかった。
私自身が、自分の感情を無視して生きてきたこと。
「ちゃんとしなければ」
「やるべきことをやらなければ」
「役割を果たさなければ」
そうやって生きてきた結果、
私は、自分に対して
条件つきでしか価値を与えていなかった。
子どもたちは、
その生き方を、そのまま映し出し、
私が苦しい生き方をしていることを教えてくれていた。
もし、子どものことで苦しんでいるお母さんがいるなら、
向き合うのは、子どもではありません。
自分自身です。

自分の感情を無視してきたこと。
自分を後回しにしてきたこと。
そこに、目を向けることです。
私は、そのプロセスを経験してきました。
そして今、
ESNを手放す方法を伝えています。
自分を責めることをやめること。
条件つきではない、自分の価値を取り戻すこと。
それは、きれいごとではなく、
現実の中で、少しずつ取り戻していくものです。
私は、その伴走をしています。
母親が子育ての中で苦しくなるカラクリを、
少しずつ紐解いていく場所です。
「できない私でも、ここにいていい」
そう思える感覚を、
取り戻していく場所でもあります。
I'm always here.
