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ミニマリストの視点から見る高価な「買い物」が人生に与える効果|ミニマリストのモノ語り

高価なカメラは必要ない。は本当か?

最近はSNSを通じて、なにかと他人の趣味・嗜好や好きでやっている事に対して一家言を持つ方が多い。

車や時計、ブランドもののバッグやファッションなんかが分かりやすい例だと思う。

そして、これはカメラ界隈でも同じなようで、写真家を名乗る方が「高価なカメラは必要ない」「高価なレンズで写真は上手くならない」とSNSで繰り返し注意喚起を促しているのをよく見かける。

なるほど、確かにプロになるほどの人であれば、上手な写真を撮るために高価な機材は必要ないかもしれない。
そして、アマチュアにとっては高価な機材があるからと言って写真が上手くなるかどうかはわからないだろう。

その主張には何の否定も反論もない。

ただ、そこだけを見て写真を語るには、ちょっと視野が狭すぎないか?とも思う。

そもそも写真をやっている人が、全員上手くなるためだけにやっているわけではない。
機材を所有することを楽しむ人もいれば、最新の機材で最新の機能を堪能したい人だっている。

新しい機能を使うことで、より写真に興味を持ち、ハマり、そこから機材ではない撮影方法へと目覚めていく人だっているだろう。

むしろ簡単にいい感じに撮れるからこそ広がる裾野だってある。
その意味では、初心者こそフラグシップモデルを買え。という主張のほうが一理あると思ったりもする。

また、高価なカメラがダメなのであれば、どのカメラだったら良いのかは教えてほしいところでもある。
例えばNIKONの場合、Zfcは良くて、Z9はダメなのだろうか?
その基準は何なのだろうか?

さらに視野を広げるとしたら、そもそも多くの人が新しい機材を買わない限り、日本のカメラ業界はいよいよシュリンク(縮小)していく。

カメラ業界、写真業界の衰退を憂うのなら、むしろ高価な機材はたくさん売れたほうが良いのではないか?とさえ思う。

Leicaを持つ素人の戯言

さて、ここからは素人ながらにLeicaを持ち、写真を楽しんでいるアマチュアカメラ好きの戯言だと思って聞いてほしい。

元々ミニマリストである私は、Leicaを手にしてから、物の価値や持つ意味について、より深く考えるようになった。
それは、Leicaというカメラが写真を撮るためだけの道具だとしたらあまりに高額だったからに他ならない。

そして、それはこれまでにはない気づきを与えてくれた。

たとえば、一つの高価なアイテムを手に入れることが、何気ない日常に新たな意味を与えることがある。

それは単なる「所有欲」ではなく、品質や価値を重んじる心の豊かさ、日常や道具への感謝と敬意、そしてその道具を大切に、大切に使おうとする心のあり方だと思う。

極端な話、1万円のものを100個買っても人生はたいして変わらない。

でも、100万のものを一個買うと、人生はちょっとだけ変わる・・・かもしれない。

Leicaというカメラは、写真描写の楽しさ以外に、Leicaという道具を通じて多くのカメラ仲間とつながる奇跡のような出会いを与えてくれた。

写真家の野村誠一さんや、プロフェッショナル・フォトグラファーの南雲暁彦さんなど、本来なら会いたくても会えない方とつながり、気にかけていただけるのは間違いなくLeicaという共通言語があったからだ。

いまでも一緒にスナップを撮り歩く仲間たちだって、Leicaがなければこの人生の中で出会うことも、知り合うこともなかっただろう。

良い道具は、人をつなぎ、縁を繋いでくれるし、人生を交差させてくれる。

さらに言うなら、高価な道具、自分のお気に入りの道具を使い込むことはミニマリストの基本的な考え方である「選択と集中」に通じる大事な部分だと思っている。

ミニマリズムは、シンプルで意味のある生活を追求する思想や哲学みたいなものだ。
こうでなくてはならない。というルールはない。

ただ、たくさんのものを持つことが幸せではなく、本当に必要なものに焦点を当てることで、少ないものでも豊かさを感じるということが大切になる。

そして、人にとって必要なものは千差万別で、ミニマルとは「生きるための必要最低限」ではなく、「心豊かに暮らすための必要最小限」であることが重要だ。

ミニマリストにとって、価値のある買い物とは何か、それを見極めることで、その選択が未来に影響を与えてくれる。

例えば、私はカメラがLeicaだったからこそ、写真にハマった。
他のメーカーのカメラでは感じなかった撮影体験をしたからだ。
自分に合うカメラ、ハマる機材を手に入れることで、写真に対する新たな視点や体験が生まれる可能性は絶対に否定できない。

もちろん、思わぬ沼にハマるというマイナス面もあるだろうし、高価なカメラがすべて良い!と言いたいわけではない。
あくまで「その人に合っているか?」が大事であって、それは他人が決めるべき価値観ではないということを言いたいだけだ。

上質なものを味わう価値

ミニマリストは買い物をするとき、単なる価格や外見だけでなく、品質や使い勝手、それが生活に与える影響をしっかり考える。
だからこそ、値段だけを評価基準にはせず、そのモノが持つ「本質的価値」が何なのかを精査する。
そして、本当に自分にとって価値のある、大事なものを精査、選択するためには、そのモノを「知っている」という少なからずの経験が必要となるのだ。

たとえば、松屋や吉野家の牛丼はとても美味しいし、かなりリーズナブルな価格で提供されている。
だからと言って、すべての肉は松屋か吉野家で良い、とはならないと思う。

A5ランクのお肉、例えばかの有名なシャトーブリアンなどは、高価だけど、やはりその値段でしか味わえない食体験を提供してくれる。

「松屋も吉野家もとても美味しい。」
は間違っていないが、それはシャトーブリアンとも食べ比べてから言う感想だからより価値があると思う。
(ちなみにボクはシャトーブリアンは食べたことがない。松屋は美味しい。)

ワインだってそうだ。
ただ酔いたいだけならコンビニの1000円ワインだって十分美味しい。

でも、ワイン好きの方の解説を聞きながら飲むオーパス・ワンは格別な美味しさを感じる。
味ではなく、知識や歴史と一緒にいただくからだ。
(これはいただいたことがある。ごちそうさまでした。)

モノには、それぞれに機能的価値と情緒的価値がある。
この話は長くなるので、今回は割愛するけど、その2つの価値が相まって、本質的価値になる。

本質的価値は、万人にとっての価値となるわけではない。
でも、その人だけの、唯一無二で最高の価値になるのだ。

ミニマリストは、自分にとって本当に価値のあるものを見極め、それに投資することを重視する。

だからこそ、ミニマリストの視点から見た「買い物」は、単なる物質の取引ではなく、自己表現であったり、自分の人生を味わうための体験でもある。

高価なものを手に入れることで得られる新たな価値観や経験は、結局は高価なものからしか享受できない。

もちろん、ただ高いものを買えば良い、ということではない。

本当に自分にとっての価値ある買い物をするためには、自分の本当に欲しいものや必要なものを見極めることが重要だ。

そして、その選択が自分の人生に新たな可能性をもたらすことがあると、信じて疑わないことも大事になる。

少なくとも、他人の主張を鵜呑みにして、自らの思考や経験を放棄しない方が良い。
・・・と写真・カメラ好きな素人は思ってみたりする。

いろんな考え、価値観はあっていい。
でも、それは他人に押し付けるべきじゃない。

そして、いくら押し付けられても、最後は自分の考え、価値観で判断するようにしたい。

だってこれは、誰でもない、あなたの人生なのだから。

Leica購入時の動画はこちら

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