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年賀状を出す意味

地味〜にパソコン作業ばかりしていると、ものすごく閉鎖的な気持ちになってくるのは気のせいでしょうか。
ウェブサイトやショップの修正、画像の加工、資料作り、こういった作業は微調整に時間がかかるので「気づいたらもうこんな時間」なんてことになりがちです。
そのくせ思ったより進まないとか、イメージ通りにまとまらないとか、消化不良的なことが起きるので、なかなか達成感を得られないからイヤになっちゃうんだと思うんですがね。

こんな、パソコンとにらめっこな日が多い中、母から年賀状の作成を頼まれました。
ワタシ自身は、昨年から年賀状を出すのをやめているので、この時期の「年賀状を早いとこ印刷しなきゃプレッシャー」に襲われることはなくなり快適ですが、この年賀状については長年疑問に思っていたんですよ。
この、社交辞令的挨拶文書でしかない年賀状ってヤツは出す意味があるのか?と。
社会人なら出すのは当たり前、みたいな昔からの風習にも疑問を覚えるわけです。

年賀状を出さないってことは、送ってくれた方にも返事を出さないってことですね。
例えば、LINEが既読スルーだった場合、送った側は「なんで返事よこさないわけ?」とイラッとします。
これが、新年の挨拶文書だったらどうでしょう。
相手は、頭の柔軟な若者ではなく、団塊の世代とそのジュニアの間の層で「我慢や競争は当たり前、評価がなんぼ」で育った人たちです。
そんな人相手に返事を送らない行為は、ある意味ケンカを売っているようなものですからね。『喜びを申し上げる新年の挨拶に返信なき無礼者』として深く記憶されちゃう上に、人としての評価がガクンと落ちるわけですよ。
年賀状を出さないってだけで「人間失格レベルの烙印」を押されてしまう気がしちゃう、そんな風習いります?

「年賀状でのお付き合いは今年を最後に遠慮させて頂きます」なんて内容の年賀状を送ってから出すのをやめる方もいるみたいですが、めでたい新年の挨拶に加える文言としてはふさわしくないと思うのでワタシはしませんがね。
「突然出すのをやめるのもどうなんだ?」って言われそうですが、それはこっちの都合なので何と思われようがいいんです。
やめないと来ちゃうでしょ。いつまでも。
面倒というよりも、意味が見出せないのでやめた、っていうことです。

母も年賀状は社交辞令的挨拶文書状態のようで、毎年結構な数を書いて発送しているんですが、年々減りつつあります。
今回は25枚。
出来上がった年賀状を母に渡すと「だいぶ減ったわ。結構死んじゃってるからね〜」なんて笑いながら言ってましたよ。
「この歳になると、安否確認みたいなもんだね」と、年賀状はお互いの生存確認的連絡文書の役割になっているようです。

ワタシもバアさんになったら安否確認するようになるのかな〜、なんてふと思いましたが、その頃には年賀状自体がなくなっているかもしれませんね。

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アユミ@絵描き 応援に感謝します。