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【短編小説】「悲しみの風景」

特別展《シャーデンフロイデ――人の不幸は蜜の味がするか?》

正面玄関は目玉の催しを報せる壁紙に覆われている。

(散財はよしたいけど、会社でどんな連休だったか喋る時のネタになるな)

その奇妙な題名に興味を引かれ、男は中に入ってみることにした。

館内は混雑していた。家族連れやカップルが行き交う中、男は大人一人分のチケットを購入し、展示室の前に立つ。ふと振り返ると、老若男女たちが息巻く中に、一人だけ中学校の制服を着た少年がいるのに気付く。少年はチケット売り場前のベンチに腰掛け、その視線を展示室の方へ注いでいた。目が合ったら気まずいと思い、男はそそくさと室内へ踏み入れた。

展示室は広いが、入り口から見渡せば7点前後の絵画しか見当たらない。

(ぼったくりか?)

男は舌打ちするも、順路に従って第一の絵画に歩み寄った。

(これ、ミレーだよな?)

それは男の知っている風景画だった。貧しい身なりの3人の農婦が身を屈めて麦の穂を拾い集めている。

ただの複製画じゃないか!
バカらしくなった男はその場を立ち去ろうと身を翻した。そして息を呑む。視界の彼方まで、田舎の原風景が広がっていた。

(なんだここ?)

展示室の面影はない。床も下草が茂る緑色の大地に変わっている。その上に、細かい黄金色の植物が散乱していた。

(麦の穂? ――まさか!)

男は恐る恐る背後を確認する。そこにはあの3人の農婦……否、本多と乙坂、それに五十嵐いがらし。職場の同期がいるではないか。
ボロを着て、汗水を垂らしながら落穂を拾う顔なじみ。その一本一本に明日が懸かっていると言わんばかりの形相だ。

(何だあいつら。ハハ、あんな泥だらけで必死に!)

舌で飴が転がるような愉悦を男は感じた。何せ、目障りな連中が揃いも揃って生活の苦労に喘いでいる。3人は男よりも早く昇進していたが、その割にはいつも涼しい顔でいるのが彼の気に触った。しかし今はこのザマだ。

(人の不幸を味わう。これが展示の趣旨か)

ミレーの絵画から解放されると、男は他の作品の前にも立ってみた。

例えばエッシャーのだまし絵。学歴主義の上司は、明晰な頭を使っても脱出できない無限階段に絶望している。
お次はロンドン。ホガースが描いた下級階層の街で、泥酔した母親の腕から振り落とされる幼児……あれは、実家が太く顔もツテもいい、運に恵まれた後輩!
そしてマネの描いた酒場では、女が暗鬱な表情で接待を強いられている。彼女は男の意中の相手だったが、告白する前にベンチャー企業の社長と婚約してしまった。

(いい。これはいいぞ)

男は隅から隅まで展示を堪能した。どの絵画にも必ず彼が反感を抱く人間が登場し、悲劇に見舞われていた。その没入感、にきびの奥の膿のような惨めさがえぐり出される爽快感と言ったら!

丸2時間、展示を満喫した男が部屋を出ると、ベンチには制服の少年がまだ座っていた。
充足感に溢れる男の脳裏に直観が走る。あの子はチケットを買う金がないのではないか。そうに違いない。
妙な親近感を得た男は、少年に声を掛けた。

「君、ひょっとしてあの展示を観たいんじゃない?」
「……」

少年は恥ずかしそうに俯く。ろくに理髪に通っていないようで、前髪は鬱陶しく伸びていた。
男は気前良く大人用の通常チケットを購入し、少年の手に握らせてやる。今や彼は誰かに善意を施したい気持ちでたまらなかった。

予期せぬ厚意に驚いて、少年は口を開いた。

「どうして僕なんかに」
「俺も昔は貧しかった。みんなが読んでる漫画すら買ってもらえなくてずっと独りだった。多分君と一緒さ。だから君にはそんな我慢をしてほしくないんだよ」
「でも」
「いいんだ。それに、君はあの展示をきっと気に入る。保証するよ」
「……ありがとう」

少年はようやく微笑を浮かべると、躊躇しながらも展示室へ向かった。

「お兄さん。さっきはありがとうございました!」

館内のカフェで昼飯を終えた男は、玄関の近くでまた少年に会った。

「やあ。展示はどうだった? スカッとしたろ?」
「あの展示、最高だったよ!」

彼は先ほどよりも溌剌とした調子になっていた。
男の口がほころぶ。俺と一緒だ。よほど気分が良かったのだろう。

「保証するって言っただろ?」
「うん! 自分を見つめ直す機会になったよ」
「へ?」

それはどういう感想だ?

「嫌いな同級生がサトゥルヌスに食われてた時に気付いたんだ。こんなことで喜んじゃって、僕は悲しい奴だなって」

その言葉に、男は低血糖の時の目眩を覚えた。
少年はなお感極まって続ける。

「このままじゃいけないって実感したよ。僕もこれからお兄さんみたいに、もっと積極的に周りの人と関わってみようと思う」

別れ際、外の風に煽られ、少年の制服からひゅっと何かが飛び出た。男はその背に声を掛けようとしたが止めた。チケットの半券だったからだ。
男は半券を拾い上げ、手荒く屑入れに捨てると、再びチケット売り場へ向かった。


※本文は1984字。
※以下に応募します。
#タイトルから書く文芸賞

画像はUnsplashから。


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