「付き合う人を選ぶ」が正解だとしても。〜人生が「おすすめ表示」だけになっていませんか?〜
最近、SNSやビジネス書でよくこんな言葉を目にします。
「付き合う人は自分で選びましょう」 「嫌な人とは距離を置き、自分の機嫌をとりましょう」 「あなたの周りの5人の平均が、あなたです」
これらは、自分の身を守るためにとても大切な考え方です。
私も、理不尽な攻撃をしてくる人や、心を壊す人からは、全力で逃げるべきだと思います。
でも、最近ふと思うのです。
「気に入らない人を全部ブロックして(排除して)、綺麗な世界だけで生きることが、本当に『強さ』なのだろうか?」と。
今日は、あえて主流とは逆の、少し苦い話をします。
1.リアルな人生まで「アルゴリズム」任せにするのか
「話が通じない人」「不快な人」「未熟な人」。
こういう人が現れるたびに、シャッターを下ろして関係を断つ。
いわゆる「人間関係の断捨離」です。
これを徹底すれば、確かにストレスは減ります。
自分の周りは「気の合う人」「自分を肯定してくれる人」だけで埋め尽くされます。
でもそれって、何かに似ていませんか?
そう、SNSの「おすすめ(レコメンド)機能」です。
自分が「いいね」したものしか表示されない。 見たくないものは、AIが裏側で勝手に排除してくれる。 非常に快適で、最適化された世界です。
私たちは普段、「アルゴリズムに操作されるのは嫌だ」「偏った情報ばかり見るのは危険だ」と警鐘を鳴らしたりします。
それなのに、いざ自分のリアルな人生となると、せっせと「嫌いな人」をブロックして、自分自身で「おすすめ表示だけの世界」を作り上げようとしています。
自分にとって「快適な正解」しか流れてこない世界は、楽園のようでいて、実は、「現実を見る目」を曇らせる鳥籠(とりかご)なのかもしれません。
2.「ノイズ」への耐性が落ちていく
アルゴリズムで守られた世界に慣れすぎると、どうなるか。
「異物(ノイズ)」に対する免疫力が、極端に落ちていきます。
少しでも予想外の反応をする人が現れただけで、パニックになったり、激しい拒絶反応が出たりする。
「なんで私の思い通りにならないの?」
「こんな不快なものは視界に入れたくない」
そうやって排除を繰り返すうちに、気がつけば、自分と全く同じ意見の人間としか会話ができなくなってしまう。
それは「選ばれた人間関係」ではなく、ただの「温室育ち」です。
3.「嫌い」なまま、そこに置いておく
そこで提案したいのが、 「感情」と「行動」を切り分ける という、少しドライな大人の距離感です。
相手のことが「嫌い」でもいいし、「未熟だな」と呆れてもいい。
無理に好きになろうとしたり、アンガーマネジメントで怒りを消そうとしたりしなくていいのです。
ただ、「だからといって、即座に排除(シャットアウト)はしない」という選択肢を持つこと。
イメージとしては、 「自分の家のリビング(心の中)」には入れないけれど、 「家の前の道(視界の端)」を歩くことまでは禁止しない、という感覚です。
「私はあなたのことは好きじゃないし、期待もしてないよ」
「でも、あなたがここに居たいなら、居てもいいよ」
相手を自分の世界から追い出すのではなく、 「風景の一部」として、ただそこに置いておく。
4.「清濁併せ呑む」人が一番強い
「付き合う人を選べ」というのは、確かに賢い生き方です。
でも、選り好みしすぎて、世界を狭めてしまってはもったいない。
「綺麗な水」だけじゃなく、「泥水」も流れているのが現実社会です。
その泥水を、飲み込む必要はありません。
でも、 「ああ、泥水が流れてるな」と眺めながら、横で涼しい顔をして生きていける人。
アルゴリズムで排除するのではなく、ノイズすらも「まあ、そういうのもあるよね」と飲み込める人。
そういう「清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)」強さを持った人の方が、 私は、何倍もしなやかで、本当の意味で「賢い」と思うのです。
「嫌い」と「排除」はセットじゃなくていい。
その間に、「ただ置いておく」というグレーな選択肢を持てる人が、本当の自由な人なのかもしれません。
