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なぜ今、「長く使う」が見直されているのか——美徳から、生存戦略へ

昨今ジーパンを穿き込んで、色落ちがどうこうとか、革靴の経年変化とか、“長く使う”ことが、また見直されてきている。

かくいう僕も、「経年変化委員会」という大層な名前で、YouTubeを7年ほど続けています。

世はまさに、大経年変化時代である。
(大袈裟である)

8年穿いたLevi's501




◆10年前の自分の話

10年穿いてるローファー。何度も修理した。

そもそも経年変化って、贅沢なんだろうか。
それとも、節約なんだろうか。

ジーパンを「育てる」とか。
革靴を磨くとか。
服を修理しながら長く着るとか。

我々はそれを、どこかロマン、あるいは美徳として感じてきた。

僕が、トレンドに振り回されすぎずに、長く使えるものを買おうと決めたのは、今から12〜13年くらい前。

毎年服を買い足して、着なくなり、また買い足して。
そんなサイクルに、少し虚しさを感じていた。

そこで、いいものを長く使おうと思い始めた。


ものをお手入れしたり、修理したりしながら長く使う。
「育てる」って、なんかカッコいいやん、くらいのノリでした。

そんな感じで、ジーパンや革靴を育てたり、長く着られる服を愛でたりすることが、晴れて僕の趣味となった。

でも最近、ふと思う。

これ、いつまで「趣味」って言ってられるんだろうかと。

もしかすると経年変化って、これからの時代、“服好きのロマン”だけでは済まなくなっていくんじゃないか。

「育てる」って、すごく贅沢なことでもあり、同時に、かなり現実的な生存戦略にもなっていくんじゃないか。

今日は、“経年変化のこれから”について考えてみたいと思います。


◆なぜロマンだったのか

僕は、大量生産・大量消費のど真ん中で、10代・20代を過ごした世代だ。

安くて、すぐ手に入って、すぐに買い換えられることが当たり前。

ファストファッションの台頭。
100円均一ショップ。
マクドのハンバーガー60円。ナゲット無料(←!?)
牛丼1杯270円。

そんな物質的に豊かな時代を、当たり前のように過ごしてきた。

だからこそ逆に、

長く使われているもの。
修理されているもの。
時間を引き受けているもの。

そういうものに、惹かれたんだと思います。

ようするに、豊かすぎた時代へのカウンターだった。



◆昔の人は、ロマンで修理していたわけじゃない

お尻の穴(//▽//)の修理跡

けれど、僕が生まれる前の時代。

昔の人が、物を長く使い、直し、受け継いでいたのは、ロマンだったからじゃない。

ゴールドラッシュ時代のワーカーは、リーバイスを「育てよう」と思いながら穿いてない。

ただ金を掘り当てたい。
そのために、頑丈なズボンが必要だった。

今日もいい色落ちしたな〜、なんて考えていないだろう。そんな余裕はない。(けど、そんなやつが1人でもいたらアツい。)

それと同じように、「長く使う」というのは、当たり前、大前提だった。

買い替えるお金がない。
次がいつ手に入るかわからない。
そもそも、手に入ること自体が貴重。

だから「直す」「長く使う」は、今では美学みたいに語られるけど、昔は生活の構造そのものだった。

産業革命以前や戦前において、布製品は極めて貴重な「資産」だった。

江戸時代って実は、古着屋が現代とは比較にならないほど巨大なマーケットだったらしい。

今、古着ブームと言われていますが、そんな比ではない。

着物は何度も解いて縫い直され、最後は雑巾になり、最後は燃やして灰まで再利用されていたという。

その結果として生まれた「BORO(襤褸)」が、現代ではアートとして欧州を中心に高く評価されている。

当事者たちが、生きるために必死だったものが、時を経て、美学へと昇華された。

これは、日本人がジーパンの色落ちを“美”として育てた感覚とも、少し似ている気がする。

庶民が否応なく長く使うことを強いられていた一方で、欧州のお金持ち達は、「長く使えるものを持つこと」をステータスとしていた。

長く使える=いい物だった。

ツイードジャケットや革靴だけではなく、家具なんかもそうですよね。

そして彼らは、時間の痕跡や経年変化を、「パティーナ」と呼び、美徳としていた。

同じ「長く使う」でも、

庶民は、生きるため。
貴族は、美のため。

そこには、そんな違いがあったんだと思う。



◆円安という現実

そして、現代に話を戻そう。

円安。
物価高。
なかなか上がらない給料。

以前のように、気軽にバンバン買い物をできる時代では、なくなってきている。

でも一方で、こうも思う。

もしかしたら、今までが異常だったんじゃないか? と。



◆ロマンだったものが、生存戦略に変わった

かつて、十数年前の僕にとって、「長く使う」はロマンでした。

靴を磨くのは趣味で、修理するのは美徳だった。

でも今、長く使うことが、再び“生存戦略”の時代になってきたような気がする。

けれど、今の僕たちは、昔の庶民とも違う。
かといって、貴族でもない。

たぶん、その間にいる。

長く使うしかない現実と、長く使いたいという美意識。

そのあいだに、今の経年変化があると思う。

だからこそ、経年変化や長く使うことは、ロマンでもあり、節約でもある。

これからは、そういう時代になるのかもしれない。

実際、安くてすぐダメになるものばかりだった時代から、手の届く価格でも、ちゃんと長く着られるものを選びたい時代へ移ってきている。

「安さ」だけでは選ばれにくくなってきている。

アメカジブーム。
古着ブーム。
トラッド回帰。

これらは、ただの懐古趣味ではなく、“長く付き合えるものが欲しい”という感覚につながっているのかもしれない。

経年変化って、“役に立つ”と“美しい”のあいだにあると思う。

長く使えるから、役に立つ。
時間が刻まれるから、美しい。

ロマンと節約のあいだにあるもの。

それが、今の僕にとっての経年変化だ。



◆早く届くものばかりの時代に


時間を引き受けられるものを選ぶこと。
そして、その時間を少しだけ楽しみに変えること。

新品を買う喜びは、すぐにやってくる。
でも、経年変化の喜びは、少し遅れてやってくる。

早く届くものばかりの時代に、ゆっくり育つものを持つ。

それは、時代に逆らっているようでいて、実はこれからの時代を生き抜くための、かなり現実的で、かなりロマンのある選択なのかもしれない。

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