積み重ねてきたことって、意味があったのかな。
最近、少しだけ落ち込むことがありました。
noteで記事を書いても、思うような反応がもらえなかったんです。
そんなとき、ふと思ってしまいました。
「今まで積み重ねてきたことって、意味があったのかな。」
皆さん、こんばんは。
日常を過剰に解釈する、
日常の過剰解釈屋 青井透子です。
noteには、毎回たくさんの「スキ」やコメントをもらっている人がいます。
読者との交流も多くて、
自然と人が集まっている。
そんな人を見ると、本当にすごいなと思います。
もちろん、その人たちも最初から順風満帆だったわけではないでしょう。
悩んだ日もあったはずです。
試行錯誤した時間もあったはずです。
きっと、私よりたくさん考えて、
私よりたくさん工夫して、
私よりたくさん積み重ねてきたのだと思います。
だから、その結果につながっている。
その人たちが評価されることに、何の違和感もありません。
それでも、つい比べてしまう。
「あの人は認められている。」
「結果を出している。」
「それに比べて私は……。」
記事の反応を見ていただけだったはずなのに、
気づけば、自分が積み重ねてきた時間まで疑っていました。
どうして、こんなに苦しくなるんだろう。
考えていて、ひとつ気づいたことがあります。
たぶん私は、認められたかったんです。
仕事でも。
創作でも。
自分がやってきたことに、
「意味があった。」
そう思える瞬間が欲しかった。
きっと、それは私だけではないと思います。
記事を書く。
イラストを描く。
音楽を作る。
本来なら、完成した時点で終わりでもいいはずです。
それでも公開するのは、
「読んでほしい。」
「楽しんでほしい。」
「誰かの心に残ったら嬉しい。」
そんな気持ちがあるから。
そして、その作品を通して、
「この記事が好きです。」
「読んでよかったです。」
そんな言葉をもらえたら、
作品だけではなく、
自分が大切にしてきた時間まで、少し報われたような気持ちになります。
創作って、不思議です。
誰かに届けたい。
でも、その反応に、自分も救われてしまう。
この二つは、きっと切り離せないものなんだと思います。
ただ、ここで少しだけ難しいことがあります。
相手には、
たくさんの反応。
温かいコメント。
積み重ねてきた結果。
それが見えています。
でも、自分は、
反応が少なかった日。
迷っている気持ち。
自信をなくした瞬間。
そんな部分まで全部知っています。
相手にも、見えていない悩みや苦しさがあるはずなのに。
そのことを忘れて、
結果だけを見て比べてしまう。
だから、よけいに思ってしまうんです。
「あの人は、私よりずっとすごい。」
「私は何をしているんだろう。」
でも、私が比べていたのは、
相手が積み重ねてきた結果と、
自分の不安な気持ちだったのかもしれません。
作品には、その人らしさが滲み出ます。
だから評価されると嬉しい。
評価されないと傷つく。
それは、とても自然なことだと思います。
でも、一つの結果だけで、
これまで積み重ねてきた時間の意味まで決まるわけではない。
……頭では分かっています。
それでも比べてしまうのが、人間なんですけどね。笑
だから今日も、また書こうと思います。
誰かに届けたいから。
そして、
「ちゃんと届いたよ。」
そう感じられる瞬間に出会いたいから。
今回のモヤモヤは、「評価されたい」という気持ちから始まったものでした。
でも、もう少し掘ってみると、
欲しかったのは数字そのものではなくて、
「自分が大切にしてきたものは、誰かに届いている。」
そう思える瞬間だったのかもしれません。
そんなことを考えていた、最近の私でした🤭
みなさんも、
誰かと比べて、自分が積み重ねてきたものまで小さく感じてしまったことはありませんか?
今日もまた、日常を一つ、過剰に解釈してしまいました 笑









あ、アンケートやってます!
A・B・Cから選ぶだけなので、気が向いたら下の記事からぜひお願いします🤲
【おまけ】










もはや、おまけとは…

▼ イラスト置き場 ▼
