Math Note Ⅰ 第8話
8 必要条件と十分条件――どちらが先か
まったく勉強する気になれない。
とか言っているうちに、もう九時になってしまった。田中の件が引っかかっているわけじゃない。昨日も一昨日もその前も、ずっとそうだ。もう三年生なんだから、そんなことを言っている余裕はないのはわかっているが、やる気が出ないのに勉強できるはずはない。俺はやる気さえ出ればやる男だ。
勉強できてる奴はどうやってやる気を出してるんだろうか。医者になりたいとか海外で働きたいとか、明確な目標があるなら、そりゃやる気も出るだろうが、俺みたいに具体的に目標が決まっていない奴はどうすればいいんだ。やっぱり、何か目標決めたほうがいいのかな。
ベッドに寝ころんだままそんなことをぼんやり考えて、頭の後ろで手を組もうとしたら、何かが手に当たった。見ると、夕方見た白いノートだった。さっきあれほど探しても見つからなかったのに。
寝ころんだまま、適当にページを開いてみた。そのページがぼんやり光ったように感じた。
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〈必要条件と十分条件〉
命題「$${A}$$⇒ $${B}$$」が真のとき、
$${B}$$ は $${A}$$ であるための必要条件
$${A}$$ は $${B}$$ であるための十分条件
2つの命題「 $${A}$$⇒ $${B}$$ 」、「 $${B}$$⇒ $${A}$$ 」がともに真のとき(「$${A}$$ ⇔ $${B}$$」のとき)
$${A}$$ は $${B}$$ であるための必要十分条件( $${A}$$ と $${B}$$ は同値)
※ $${B}$$ も $${A}$$ であるための必要十分条件

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たとえば、
『クジラである』ならば『哺乳類である』( クジラ ⇒ 哺乳類 とかくことにする)
という命題は真だ。このとき、
『哺乳類である』ことは『クジラである』ための必要条件、
『クジラである』ことは『哺乳類である』ための十分条件
であるという。
しかし、この命題の「ならば」の前と後をひっくり返して(この命題を、もとの命題の逆という)、
『哺乳類である』ならば『クジラである』( 哺乳類 ⇒ クジラ )
とすると、これは真ではない。だから、『哺乳類である』ことは十分条件ではないし、『クジラである』ことは必要条件にはならない。
一方、命題「 $${x=0 ⇒ x^2=0}$$」は真だが、この命題の逆である「 $${x^2=0 ⇒ x=0}$$ 」も真だ。このように、もとの命題もその逆も真であるとき、
$${x=0}$$ は $${x^2=0}$$ であるための必要十分条件( $${x^2=0}$$ は $${x=0}$$ であるための必要十分条件)
と言ったり、
$${x=0}$$ と $${x^2=0}$$ は互いに同値である
と言ったりする。
……だから何だよ。
やる気があるから勉強するってことは、「やる気がある⇒勉強する」ってことかな。「勉強する」ことは「やる気がある」ための必要条件、「やる気がある」は「勉強する」ための十分条件、……いや、逆じゃないかな。「勉強する」ためには「やる気がある」ことが必要なんだから、「勉強する⇒やる気がある」が真の命題なんじゃないか。うーん、頭がこんがらがってきた。
いや待てよ。これって、もしかしてどっちも成り立つ必要十分条件なんじゃないか。確かにやる気があれば勉強するけど、勉強するうちに乗ってきてやる気が出てくる、みたいなこともある。サッカー部の練習でも、最初はみんなテンション低いけど、やってるうちに楽しくなってくるじゃないか。気持ちと行動、どっちが先でもいいのかもしれない。
そうだ。「まずはペンを動かせ」だ。よし、何から始めようか。そういえば明日提出の英語の宿題があったな。
