Math Note Ⅰ 第9話
9 対偶の証明――反対から考える
「ちょっと話さない?」
晩ご飯を食べ終わった後、母に呼び止められた。昨日の続きを聞かされるのかと思うと気乗りのしない部分も少しあったが、モヤモヤしたまま部屋に戻るよりも真相をはっきりさせたほうがいいと思い、リビングに残ることにした。まだ父は帰っていなかった。
母は、父が会社でリストラにあうかもしれないこと、もしそうなった場合の経済的な援助を祖父に相談したところ、父と離婚するように言われたことなどを話してくれた。その上で、どうするべきか父と一緒に話し合うつもりだったのだが、父が先走って「離婚する」という話だけを僕に伝えたらしい。
「なんだ、そんなことか」と僕は言って席を立った。できるだけ無関心と冷静を装って部屋に戻り、扉を閉めてベッドに腰かけた。わずか十数段の階段を上がっただけだったが、富士山に登った時のように、空気が薄く感じ、心臓がバクバクと音を立てていた。倒れるように椅子にもたれかかり、それから何度も深呼吸した。
本当は母の前で感情がこぼれ落ちるのが恥ずかしくて、リビングから逃げ出したんだ。
すごく安心した。家族が崩壊する訳ではないことに。父と母が同じ方向を見ながら話し合っていたことに。正直、それだけで良かった。父がリストラされるとか、お金がないから大学に行けないとか、そんなことはとても些細なことのように感じた。
とは言っても、現実的な問題であることには変わりがない。「オセロ」に例えるなら、角のマスを先に一つ取られた感じだ。ここから逆転するいい方法はあるのだろうか。
突然本棚から何かが落ちてきた。それは僕の頭に一度ぶつかり、机にぶつかり、床の上でもう一度角をぶつけて落ち着いた。それは昨日見たあの白いノートだった。ノートはどこかのページを開いて少し光っているように見えた。
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〈問〉$${n}$$ は整数とする。次の命題を証明せよ。
$${n^2}$$ が偶数ならば、$${n}$$ は偶数である。
〈証明〉この命題の対偶は、
「 $${n}$$ が奇数ならば、$${n^2}$$ は奇数である。」
これを証明する。
$${n}$$ が奇数であるとき、$${n=2k+1}$$ ( $${k}$$ は整数)
と表される。このとき、
$${n^2=(2k+1)^2=4k^2+4k+1}$$
$${=2(2k^2+2k)+1}$$
ここで、$${2k^2+2k}$$ は整数なので、$${n^2}$$ は奇数である。
よって、対偶が真であるので、もとの命題も真である。
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命題「 $${A}$$ ならば $${B}$$ ($${A}$$ ⇒ $${B}$$とかく)」について、$${A}$$ にあたる部分を「仮定」、$${B}$$ にあたる部分を「結論」という。もとの命題「 $${A}$$ ⇒ $${B}$$ 」に対し、「 $${B}$$ ⇒ $${A}$$」というように仮定と結論を入れ替えたものを「逆」の命題、「 $${A}$$ でない⇒ $${B}$$ でない( $${\bar{A}}$$ ⇒ $${\bar{B}}$$とかく)」のように、仮定も結論も否定してつくったものを「裏」の命題という。この逆と裏を組み合わせて「 $${B}$$ でない⇒ $${A}$$でない($${\bar{B}}$$ ⇒ $${\bar{A}}$$ と表す)」というように、仮定も結論も否定して、さらに順番も逆にしたものを「対偶」の命題という。そして、これが最も重要なことだが、もとの命題とその対偶は真偽が一致するという性質がある。

この問題の場合は、問題の命題を直接証明しようとすると何だか難しそうなので、その「対偶」の命題を証明しようとするところに工夫がある(対偶の証明なら、中学生でもできるレベルだ)。そして、対偶が証明できた、つまり「真」だとわかったなら、もとの命題も真だとわかるんだ。
……だから何だ。
父がリストラされるのも今は可能性の話で、まだ決まったことじゃない。しかし、もし本当にリストラされたとしたら、確かに家計は今より苦しくなるだろう。家計が苦しくなったら、確かに僕の大学進学は難しくなる。
そうか、反対から考えよう。学費の負担がかからない大学に入ればいいんだ。奨学金をもらえればなおいいし、それが無理でもバイトをすれば自力でなんとかなるかもしれない。そうすれば、父のリストラなんて気にしなくていいんじゃないか。そのためには今よりもっと勉強しなくてはいけないけど、もっと勉強することで家族が楽になるなら、今の僕にとってそんなに良いことはない。
早速スマホで国公立大学の学費を調べてみる。大学生がよくやっているバイト、時給、月にだいたいどのくらい稼いでいるか、勉強とバイトは両立できるのか……夢中になって検索した。何かやっていけそうな気がしてきた。奨学金のことも、学校で誰かに聞いてみよう。
あとは勉強するだけだ。
それから久しぶりに時間を忘れて勉強した。もう十二時になっていた。ふと気づいたら、あのノートはまたどこかに消えてなくなっていた。
