恋する銀座四丁目
恋する銀座四丁目
by Ryoji M.
第1部 待ち合わせの夏
第1章 銀座四丁目
夏。
待ち合わせは、銀座四丁目の和光前で。それが2人の恋の始まりだった。
SNSで知り合って、いきなり銀座四丁目で待ち合わせ。こんなんで本当に上手く行くのか?
龍介の不安は、待ち合わせ時刻になって見事に的中した。
待ち合わせ時刻の15時を10分過ぎ、30分過ぎ、1時間を過ぎても彼女は現れない。
龍介は、涙を堪えて、遠くの青空を見た。爽やかな白い雲の合間に雨雲が微かに見える。
大学1年生の春。
背伸びをして降り立った銀座の街は、自分だけを置き去りにして華やかに動いている。
人波の中でいつまでも立ち尽くしているのが急に耐えられなくなり、龍介は、逃げるように地下鉄の階段を降りた。
結局、彼女は現れなかった。
彼は、地下鉄のホームへと続く階段に、やり場のない苛立ちをぶつけた。
やがて、彼は、狭いアパートの部屋に帰り着き、一人暮らしの暗い部屋の電気をつけた。
そして、今日のために新調した服のままベッドの端に腰掛け、スマホを取り出した。
画面を開くと、SNSのダイレクトメッセージ(DM)に「1」の通知がついている。
相手は、同じ女子大生…のはずの、今日待ち合わせをした彼女からだった。
『ごめんね。銀座はちょっと気後れして行くのが怖くなったの。だから、待ち合わせ場所を変えない?』
だったら、最初から、そう言えよ、と龍介は思った。
1時間も和光の前で立ち尽くしていた自分の時間が、あの惨めな気持ちが、一瞬でアホらしくなってくる。
怖くなったからって、連絡もなしにすっぽかしていい理由になるわけがない。スマホをベッドの上に放り投げ、龍介は仰向けに倒れ込んだ。
天井の白いクロスをじっと見つめる。
このままブロックして、二度と関わらないことなんて簡単だ。それが一番賢い選択だってことも分かっている。
けれど、胸の奥でくすぶる惨めさと不甲斐なさが、どうしてもそれを許さなかった。和光の前で一人、みじめに青空を見上げていたあの1時間。あの惨敗の記憶を、ただの「苦い思い出」として終わらせたくなかった。
彼は、思い切ってDMに打ち込んだ。
『じゃあ、どこにしようか?』
すると、すぐに返信が来た。
『あなたが決めて』
画面に表示された文字を指で辿りながら、龍介は、起き上がった。
今度は絶対に逃げ出させない。
気後れなんてさせない。
けれど手頃過ぎもしない。
完璧な待ち合わせ場所。
龍介は、リベンジの思いで、東京の待ち合わせ場所についてネットで全力で調べ始めたのだった。
第2章 渋谷
スマホの画面を見つめながら、龍介は指を滑らせた。
『じゃあ、どこにしようか?』
『あなたが決めて』
画面に表示された短い文字。相変わらず悪びれる様子のない無機質な返信に、龍介は微かに舌打ちした?
そのままベッドの上に仰向けになり、天井の白いクロスをじっと見つめる。
今度は絶対に逃げ出させない。
気後れなんてさせない、けれど手頃すぎもしない、完璧な場所…。
龍介は、リベンジの思いで、東京の待ち合わせ場所について調べ始めた。
スマホで「東京 デート 待ち合わせ 定番」「大学生 待ち合わせ」と検索を重ねる。
候補をいくつかスクロールした末、ひとつの場所で指が止まった。
『明日の15時、渋谷のハチ公前でどう?』
送信ボタンを押してから、画面から目を逸らした。
渋谷なら、同じ大学生なら気後れする理由なんてないはずだ。これでまた来ないなら、その時は完全に終わりでいい。
数分後、スマホが短く震えた。
『分かった! 明日の15時、ハチ公前ね。絶対行くから』
「絶対、ね…」
暗転した画面に映る自分の顔は、冷ややかで、どこか冴えない顔をしていた。
翌日。
翌日の待ち合わせは、渋谷のハチ公前、15時。
休日のスクランブル交差点から溢れ出す圧倒的な人波と喧騒の中、龍介は半信半疑のままハチ公像の脇に立っていた。
周りには自分と同じようにスマホを握りしめて誰かを待つ人々。
昨日、銀座四丁目の和光前で感じたあの刺さるような孤独感とは違うものの、今日もまたすっぽかされるんじゃないかという苦い思いが、どうしても頭の隅をよぎる。
14時58分。
14時59分。
手首の時計に視線を落とし、息を呑む。やっぱりダメか…そう諦めかけた、まさにその時だった。
「龍介さん…?」
雑踏の喧騒をすり抜けて、透き通った声が届いた。
人込みを割るようにして、彼女…マイが現れた。
初めて見る彼女の笑顔は、この世のものとは思えないくらいに美しく輝いていた。
SNSの写真越しでは到底伝わらない、吸い込まれそうな大きな瞳と、初夏の光を浴びて透き通るような肌。
人混みの色合いが一瞬で褪せ、彼女のまわりだけが鮮やかに光を纏っているかのような、圧倒的な存在感だった。
昨日、和光の前で一時間立ち尽くした惨めさも、胸の奥にくすぶっていた理不尽な苛立ちも、その一瞬で跡形もなく吹き飛んでしまうほどに。
マイは、龍介の顔を見るなり、
「昨日は、本当にごめんなさい」
そう言って、スカートの裾をキュッと握りしめ、深々と頭を下げた。
前夜の冷めた駆け引きから、一瞬で彼女の美しさに全身の力が抜けてしまう龍介であった。
第3章 スペイン坂のカフェ
「あ、頭あげて…!大丈夫だから、本当に気にしないで」
圧倒的な美しさと、あまりに素直な謝罪に…急角度で機嫌の良くなった龍介は、慌てて手を振った。
ハチ公前の人波のど真ん中でいつまでも深々と頭を下げさせておくわけにもいかない。
周囲の視線も少し気恥ずかしかった。
「とりあえず、ここじゃ落ち着かないし…どこか入ろうか」
龍介は、マイを促し、雑踏のスクランブル交差点を渡った。
センター街の騒がしさを避け、スペイン坂の緩やかな石畳の坂道へと足を向ける。
目指したのは、昨夜アパートのベッドの上で必死にリサーチしておいた、坂の途中に佇む落ち着いた雰囲気のカフェだった。
階段を少し下りた先にある店内は、木目調のインテリアと控えめな照明が包む静かな空間だった。
二人とも、この春に上京してきたばかりだ。
東京の人の多さにも、複雑な地下鉄の構造にも、街が放つ独特の熱気にも、まだ完全には馴染めていない。
店内奥の角にある小さなふたり席に腰を下ろし、冷たいアイスコーヒーと紅茶が運ばれてくると、ようやく二人分の肩の力がすっと抜けた。
「…本当にごめんね。昨日、私、急に怖くなっちゃって」
グラスの縁を指先でなぞりながら、マイが申し訳なさそうに視線を落とす。
「ううん。まあ…最初はびっくりしたけどね」
苦笑いを浮かべながらも、龍介の胸の奥には、昨日までの惨めさを通り越した安堵と温かい感情が広がっていた。
実は、二人は今日が本当の意味での「初対面」ではあるものの、まったくの赤の他人というわけではなかった。
高校2年生の春、受験勉強の合間にたまたま趣味の投稿でつながり、それ以来ずっとSNSのDMで言葉を交わし続けてきた仲だったのだ。
模試の結果が悪くて落ち込んだ夜も、進路に迷って眠れなかった日も、スマホの画面越しに言葉を送り合い、お互いを励まし合ってきた。
『無事に大学に合格したら、絶対に東京で会おうね』
あの頃、地方の田舎町の勉強机に向かいながら何度も交わした約束。
画面の向こうの「まだ見ぬ同士」だった存在が、いま、こうしてスペイン坂のカフェでテーブルを挟んで座っている。
「…銀座って聞いたときにさ、すごく大人な街じゃない? 私、上京してきたばかりで着ていく服も全然持ってなくて…こんなダサい格好で銀座に行ったら、龍介さんにがっかりされるんじゃないかって思ったら、直前で足がすくんじゃって」
マイは、恥ずかしそうに頬を染め、自分のカーディガンをギュッと握りしめた。
その言葉に、龍介は、思わず目を見張った。 気後れしていたのは、自分だけじゃなかったのだ。
自分も昨日、慣れない銀座四丁目で背伸びをして、浮いているんじゃないかと怯えていた。
「…マイさんが前のやり取りで銀座に行ってみたいって言ってたから銀座にしただけで…がっかりなんて、するわけないよ。…むしろ、綺麗すぎて驚いてるくらいだし…」
ポロリと本音がこぼれ落ちると、マイは、ハッとしたように顔を上げ、今度は耳まで真っ赤にして俯いた。
高校時代の画面越しだった時間が、リアルの熱を帯びてゆっくりと動き出していく。
目の前に座るマイは、ずっと支え合ってきた「いつもの彼女」であり、そして何倍も魅力的で美しい、一人の女の子だった。
第4章 遠距離恋愛
店内を包む心地よいBGMと、グラスの氷がカランと音を立てる静けさの中で、二人の緊張はゆっくりと溶けていった。
顔を合わせて話すのは今日が初めてだというのに、一度会話の糸口が見つかると、高校時代のDMの延長のように滑らかに言葉が紡がれていく。
「龍介さんは、東北のほうからだっけ?」
マイがアイスティーのストローに唇を寄せながら、首を少し傾けて尋ねる。
「うん、東北の田舎の方。マイは九州だったよね?」
「そう、九州。…ねえ、やっぱり東京って、人多すぎない? 電車乗り換えるだけでも目が回りそうだよ」
「すごく分かる。俺も引っ越してきた初日なんて、部屋の荷解きだけで疲れ果てて、結局夕飯はコンビニのカップ麺だったし」
「あはは! 全く一緒! 私もダンボールの山に囲まれながら、実家のご飯が恋しくてちょっと泣きそうになったもん」
東北と九州。
地図の上でははるか遠く離れた故郷から、それぞれ大きな期待と、それ以上に膨大な不安を抱えて上京してきた二人。
慣れない東京での一人暮らしの心細さ。
段ボールだらけのアパートの部屋。
鳴りやまない車の音や見知らぬ街の孤独感。
互いに語り合う引っ越しの苦労話に、ふたりは
「やっぱり同じだったんだ」
と可笑しそうに笑い合った。
画面の向こうにいた「文章の中の相手」が、いま目の前で表情をコロコロと変えながら笑っている。その事実だけで、龍介の胸の奥は、じんわりと温かくなっていった。
ひとしきり上京後の失敗談や大学の授業の話で盛り上がり、グラスの表面に結露した水滴がテーブルへひとしずく落ちた頃。龍介は、意を決して、マイの瞳をまっすぐに見つめた。
「ねえ、マイ。この後、どこか行きたいところある?」
マイは、一瞬、考えるように長いまつ毛を伏せた。それから少し恥ずかしそうに頬を染め、けれど意思の籠もった強い瞳で龍介を見返した。
「…銀座に、行きたい」
「え…?」
思いがけない街の名前に、龍介は、思わず声を漏らした。
「やっぱり、最初に二人で行こうって決めてた場所に行きたいの。昨日は一人で怖くなっちゃったけど…今の龍介さんと一緒なら、もう全然怖くないから」
まっすぐな言葉と、照れたように微笑む表情。
昨日、和光の前で一人、冷たい青空を見上げていた惨めな記憶が、一瞬で色鮮やかな愛おしさに塗り替えられていくのを龍介は感じていた。
「…よし。じゃあ、俺が、しっかりマイをエスコートするよ!」
龍介は、胸の高鳴りを隠すように照れくさく笑い、伝票を手にして立ち上がった。
カフェを出て、スペイン坂を下り、再び雑踏の渋谷駅へ。
地下の階段を下りて、鮮やかなオレンジ色のラインが映えるホームへと向かう。二人は、滑り込むように来た銀座線の車両に乗り込んだ。
ドアが閉まり、地上から地下へと滑り出す電車。
ガタゴトと揺れる車内で、吊り革を掴む龍介のすぐ隣に、マイがそっと寄り添う。
昨日すっぽかされたはずの「銀座四丁目」へ…本当の恋の始まりを再び迎えるために、二人は、銀座へと向かっていた。
第5章 再びの銀座
銀座線の階段を上り、地上へと足を踏み出すと、そこには渋谷の喧騒とは全く異なる世界が広がっていた。
整然と立ち並ぶ重厚なビル群。
仕立ての良い服を着た人々。
高級ブランドのショウウィンドウ。
洗練された大人の街の空気が、二人の身体を包み込む。
「うわ…すごい…」
マイは、足を止め、圧倒されるように街並みを見上げた。
その時、すぐ脇の車道を重厚なエンジン音を響かせて車が通り過ぎ、風がふわりとマイの髪を揺らした。
「きゃー、怖い!」
マイは、小さく声を上げると、とっさに龍介の右腕に笑顔でしがみついた。
「わっ…!?」
不意の衝撃と、腕に伝わる柔らかい感触。ふわりと漂う甘い香りに、龍介の胸がドクンと大きく高鳴った。
「ごめん! なんか街の雰囲気に呑まれちゃって…でも、龍介さんの腕、すごく安心する」
無邪気に笑うマイの眩しさに、龍介は、自分の顔が一瞬で赤くなるのが分かった。腕を解くこともできず、
「あ、ああ…任せてよ」
と掠れた声で答えるのが精いっぱいだった。
マイが腕にしがみついたまま、二人は、通り沿いにある大きな書店の前に辿り着いた。
自動ドアをくぐり、奥にあるエレベーターへと向かう。
静かにドアが閉じ、エレベーターが上階へと動き出すと、密室の中のふたりの距離感がフッと浮き彫りになった。
エレベーターを降り、二人が向かったのは絵本売り場だった。
ずらりと並ぶ色鮮やかな絵本。
静かで優しい光に包まれた空間に足を踏み入れると、さっきまでの「大人の街・銀座」の緊張感が嘘のように溶けていく。
「すごーい、懐かしいのいっぱいある!」
マイは、龍介の腕をそっと離すと、子供のように目を輝かせて棚に並ぶ絵本へ手を伸ばした。
幼い頃に読んだ記憶。
故郷の風景。
そして、画面越しに語り合っていたあの日々…。
絵本売り場の優しい空気の中で、二人の距離は、さらに、そして、静かに、やがて、確実に…近づいていった。
To be continued.
※良いね!をいただけた作品のみ連載を続けます…莫大な時間をかけて作った作品です。良いね!をいただけるとありがたいです。
よろしくお願い申し上げます🙇♂️。
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