9(キュウ)・君色のフォックス 第1部
9(キュウ)・君色のフォックス 第1部
by Ryoji M.
第1部 出会い
第1章 お小遣いと雨の約束
春。
放課後のチャイムが鳴り響くと、教室は一瞬にして喧騒に包まれる。
「なぁ、今日あいつの家でゲームしようぜ!」
「いいよ、宿題終わらせてからな!」
そんな楽しげな声が飛び交う中、少年は、一人、静かにランドセルに教科書を詰め込んでいた。
机の端に置かれたスマート・フォンの画面を見る。画面に映るのは、初期設定のままの味気ない壁紙と、通知が一件も届いていないメッセージ・アプリのアイコンだけだった。
周りのみんなには「普通」にあるものが、自分にはない。
友達の作り方なんて、学校の教科書にはどこにも載っていなかった。
少年は、誰からも声をかけられることなく、ただ俯いたまま、一人で教室を後にした。
帰り道、楽しそうにグループで肩を並べて歩く同級生たちの後ろ姿が、遠くに見える。
少年は、その集団から大きく距離を置き、ただ自分の靴の先を見つめながら、トボトボと家路を急いでいた。胸の中にあるのは、すっかり居座ってしまった分厚い孤独の塊だった。
「どうしたら、友達ができるのかな…」
ぽつりと呟いた言葉は、通り過ぎる車の音にかき消されていく。
少年は、ふと足を止めた。目の前にあるのは、古びた石の鳥居だった。
近所にある、普段は誰もいない小さな神社。夕暮れの赤い光が、静かな境内を寂しげに照らしている。
少年は、引き寄せられるように鳥居をくぐり、境内の奥へと進んだ。
ポケットの奥に手を入れ、小さな財布を取り出す。それは、彼が大切に貯めていたお小遣いだった。
少年は、その中から、一番綺麗な100円玉を1枚、指先でそっとつまみ出した。
賽銭箱の前に立ち、小銭を握りしめる。
手の中の硬貨は、少年の緊張を映すようにじんわりと熱を帯びていた。
意を決して、手を伸ばす。
カラン、コト。
静まり返った境内に、古い木箱の底に硬貨が落ちる、小さく乾いた音が響いた。
少年は、小さく息を呑み、胸の前でぎゅっと両手を合わせた。
そして、痛いほど強く目を閉じる。
(神様…。どうか、僕に友達をください。一人ぼっちは、もう嫌です…)
神様にすがるような、切実な願い。それが少年の、精一杯の叫びだった。
しばらくじっと手を合わせた後、少年は、ゆっくりと目を開け、小さく息を吐き出して神社の階段を下りていった。
神社を出て、薄暗くなり始めた住宅街の路地を歩いている時のことだった。
コンクリートの壁の隙間から、かすかな、本当に小さな音が聞こえた。
「…ミャー…ミャー…」
少年は、耳をすまし、足元を見つめる。
そこには、潰れた小さなダンボール箱があり、中から一匹の捨て猫が、震えながら顔を覗かせていた。
体は、泥で汚れ、今にも消えてしまいそうなほど細い声で鳴いている。
少年がそっとしゃがみ込むと、猫は怯える風でもなく、少年の靴の先に、いとおしそうに小さな頭を擦り寄せてきた。
「あ…。君も、ひとりぼっちなの?」
その温もりに触れた瞬間、少年の胸に、放っておけないという強い感情が湧き上がった。
この子を救いたい。
少年は、汚れるのも構わず、小さな猫をそっと両手で抱き上げ、ジャケットの胸元に包み込むようにして、急いで家に連れ帰った。
「ただいま!」
少年は弾んだ声で玄関のドアを開けた。
しかし、その期待は一瞬で打ち砕かれる。
廊下に現れた母親は、少年の胸元にいる泥だらけの猫を見るなり、厳しい表情で首を振った。
「ダメって言ったでしょ!ウチはマンションだし、生き物は飼えないお約束よ。可哀想だけど、元の場所に返してきなさい!」
「でも、このままだと死んじゃうよ…!」
少年は、必死に食い下がったが、母親の決意は変わらなかった。
都会の現実的なルールが、少年の小さな優しさを拒絶する。
少年は、悔しさと悲しさで視界を滲ませながら、再び猫を抱きかかえ、夜の街へと飛び出した。
いつの間にか、空からは冷たい雨がポツポツと降り始めていた。
少年は雨に濡れながら、必死に走ってあの近所の神社へと戻ってきた。
神社の軒下、雨が当たりにくい場所に、持ってきたダンボールを置く。
猫をその中へ戻そうとすると、猫は、少年の服の袖を小さな爪で引っ掛け、「ミャーミャー」と悲しげに鳴いて、どうしても離れようとしなかった。まるで「置いていかないで」と懇願しているかのように、少年の手を濡れた鼻先で押しつづける。
「ごめんね…ごめんね…」
少年の目から、冷たい雨に混じって、熱い涙がポロポロと溢れ落ちた。
自分の無力さが、たまらなく悔しかった。
少年は、何度も何度も猫の小さな頭を撫で、必死に声を絞り出す。
「でも、明日、学校が終わったら絶対にまたここに来るから!裏山のご飯も持ってくるから!約束する、約束するから…!」
自分を呼ぶ猫の声を振り切るように、少年は、立ち上がった。
「ミャー!ミャー!」
と後ろで激しく鳴く声を背中に浴びながら、少年は、振り返ることなく、泣きながら暗い夜道を全力で走り去っていった。
冷たい雨が、少年の頬を激しく叩き続けていた。
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