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『異常気象』という言葉への違和感

『異常気象』という言葉に違和感がある。

人的行為が地球温暖化を引き起こし、それが気候や動植物に影響を与えているのだとしたら。
もしそこに明確な因果関係が存在するなら、それは『異常』ではなく、むしろ当然の結果なのではないか。

自然に対する人間の行為こそが、『異常』なのかもしれない。
気象は、それに対して自然に反応しているだけにすぎない。

つまり、気象現象そのものは正常で、
ただ私たち人間が、それに耐えられなくなってきている。

もちろん、これは言葉遊びのように聞こえるかもしれない。
けれど、『異常気象』という言葉には、どこか人間の責任を曖昧にし、自然のせいにしてしまう響きがある気がする。

まるで自然の側が突然おかしくなったかのように聞こえる。
でも実際には、自然はただ反応しているだけなのかもしれない。

改善されないのは気象ではなく、
それを引き起こしている私たち自身の考え方なのではないか。

正常な気象反応を『異常』と呼ぶことで、
私たちは、その現実を認めたくないだけなのかもしれない。

本当に『異常気象』と呼べるものがあるとしたら、
それは、人類とは無関係な偶然──巨大隕石の衝突のような出来事なのではないかと思う。

けれど、その“完全に無関係な偶然”ですら、
いつか人間の行為と結びついてしまう可能性はないだろうか。


人類は、気候だけではなく、
偶然の解釈そのものにまで介入し始めているのかもしれない。

かつて自然は、人間の外側に存在していた。
しかし今は、海も大気も、宇宙でさえも、少しずつ人類圏に接続され始めている。

だから、私たちが『異常』と呼んでいるものは、
本当は自然の異常ではなく、
人類という存在そのものの拡張なのかもしれない。

もはや「自然」は、
人類の外側には存在できないのかもしれない。


Twister (1996, dir. Jan de Bont)
Armageddon (1998, dir. Michael Bay)
Interstellar (2014, dir. Christopher Nolan)

The Sirens of Titan — Kurt Vonnegut

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