noteで見つけたギフテッドの生き方〜こだわりと承認欲求の両立〜
noteを始めて2ヶ月が経過しました。
今回は、書く中で感じた喜びと葛藤にフォーカスして
"大人のギフテッドとしてどう生きるか?"
考えてみたいと思います。
思考の過程で、他のユーザーとの交流、そして旧友との会話にも触れていきます。
2ヶ月間の振り返り
まずは2ヶ月間のnoteを振り返っていきます。


3月は記事数、文字数ともに減らしましたが、ありがたいことに多くの方から反応をいただき、とても楽しく過ごすことができました。
特に3月後半は沢山コメントをいただき、皆さんと交流できて毎日充実感がありました。
ただ、一部の記事に反応が集中していたのも事実です。
投稿前から良い反応がもらえないのは分かった上で、書きたい事を書いて投稿した記事もありました。
分かっていても、記事に対する自己評価と他者からの評価に乖離があるのは少し悲しい気持ちになります。
このギャップから、文章に限らず大人のギフテッドとして生きていく上でのヒントを見つけましたので、以下にまとめていきます。
こだわりを貫くかウケを狙うか
まずnoteを始めた直後、2月は完全に書きたいことを書きたいように書き続けていました。
その結果 ”ギフテッド” のワードがある記事のみ反応が良く、それ以外の記事はどれだけ時間をかけて書いても全く読まれないことが分かりました。
最初は「書きたいことを書けたら満足だ」と思っていましたが、やはり
人間誰しも ”承認欲求” には勝てません。
しかし、反応が良い分野のことだけを書いて、それ以外の記事は書かないというのも違う気がします。
この葛藤の末、3月は1記事あたりの文字数を極力減らし、時間をかけて推敲しないことにしました。
文字数が多いと労力がかかる上、最後まで読む人が減って反応がもらえないため心が折れるのです。
また、自己評価では素晴らしい記事だと思っても、内容が必要以上に詳細でマニアックになってくると離脱者が多く、読者の反応が悪くなるというのもあります。
書きたいことは書きつつ、1つの記事に過剰な労力をかけない。
この意識を持ったことで、ある程度執筆に対する ”こだわり” と ”承認欲求” の両立ができたように感じます。
少数に深く刺さる文章
逆に読む側に立って感じたこともありました。
自分の記事にスキをつけてくれたことがきっかけで、とある人のnote記事を読んだ時のこと。
その分野について自分は全く興味がなかったのですが、その人の文章には引き込まれました。
その人自身の過去の体験と作品鑑賞との接続や、秀逸な比喩、主観と客観の切り替えなど、とても綺麗な文章。
しかし、綺麗なだけではなく強い批判的な自己主張があり、そこがオリジナリティになっていました。
一般的なその映画の感想文とはテイストが大きく異なっていたため、万人受けはしないだろうなと感じる記事。
けれど、その人が書きたいことを正直に書いている。
自分はその強さに感動し、記事にコメントを残しました。
すると返信があり
「”広く読まれなくても少数の人に深く刺さる文章を書きたい”
という原点を思い出しました」
と感謝の言葉が綴られていました。
本当にこの気持ちには共感したのですが、
「現実はそう上手くいかないよなあ」
とも思いました。
というのも、自分の経験上、こだわりの強い記事はほぼ読まれないし反応はゼロだからです。
自分がコメントを残したこの記事のように、たった一人でも反応してくれたら報われますが、実際には誰にも届かず終わることが殆ど。
いくらこだわりを貫いて書きたい事を書いても、反応ゼロが続くと虚しくなってしまいます。
集客と、こだわりのコーヒー
ここで、少しnoteを離れて現実世界に飛びます。
学生時代の同級生が最近オープンしたカフェに行った時の話。
その店は、彼がこだわって作り上げた数種類のコーヒーを軸に提供していました。
ちょうど他のお客さんが居ないタイミングを見計らい、
「最近ブログを始めたんだけど、ブログで記事を書く上でこだわりと承認欲求のバランスが難しい」
という話をしてみたところ、彼はこのように答えました。
「それはコーヒーも同じかな。ある程度自分が納得できる味のコーヒーしか提供してないけど、自分の好みだけじゃなくて万人受けするように調整してるよ。
こだわりを貫いて尖りすぎてたら、ライト層にはウケないし経営が成り立たないからね。
実は今度、自分が本当に好きでこだわった高級なコーヒーをラインナップに加える予定なんだけど、そういうのは一部のディープな人にだけ分かってもらえたらいいと思ってる。
ある程度みんなが好きな味を提供して集客しつつ、本当に深くコーヒーが好きな人にはスペシャルなものを提供する。
そうやって承認欲求とこだわりを両立しようかなと思ってるよ。」
この言葉を聞いて、気持ちがスッと楽になる感覚がありました。
コーヒーも文章も同じですね。
というより、これはこの世の普遍的な法則なのかもしれません。
こだわり過ぎたら誰にも届かなくなる。
だから、まずは広く集客して分母を大きくし、そのうえでディープなものも提供する。
そうすれば、集めたお客さんの中から本当に分かってくれる人が現れるかもしれない。
最初から究極のこだわりコーヒーだけを提供していたら、誰もその店を訪れないのです。
人生に折り合いをつける
ここまで考えて
「これは人生に活かせそうだぞ?」
と気付きました。
ギフテッドの人生はまさに ”こだわり” そのものです。
文章にしても人間関係にしても、全力を出したらついてきてくれる人はごく少数になってしまいます。
少数の友人やnoteで交流するギフテッドの人達と全力のやりとりをしつつ、普段はある程度万人受けする振る舞いで浅く広くというバランスを取る。
勿論、浅く広くをやりすぎると疲れるだけなのですが、知り合いの分母を増やせば同類を発見する確率も上がります。
多くの人との人間関係が疲れるからと言って、ずっと家に閉じこもっていては少数の通じ合える仲間にも出会えません。
このように、こだわりを貫くだけではなく、人生に折り合いをつけていくことで最終的な幸せに近づくのではないかと思うのです。
さいごに
コーヒーと文章から気付いた人生の普遍的な法則。
日常生活でも、無理のない範囲で少しずつ浅く広くを心掛けていきたいと思います。
そして、今まで通りnoteでは時々ディープな記事も書いていきたいなぁ。
もし良かったら、あまり評価されていない過去記事も読んでもらえたら嬉しいです。
時々当たりがあるかもしれません。
この記事も、誰かの心に届くといいなあ。
そう願って、投稿ボタンを押します。
彼のこだわりのコーヒーを飲みながら……
