知らない人と話すこと
知らない人=素性がわからない。
怪しい人間。当たり前である。
私は自分で言うのもなんだが、結構人を見る目がある。なぜこの能力を得たかというと、トンデモヤンキー学校で過ごした数年間があったからだ。
一般的なヤンキー学校とは比べ物にならない大荒れの学校で過ごし、学級崩壊ならぬ学年崩壊。この世の終わりであったあの数年間は今になると本当にいい経験であったが、ある意味私の人格を形成するポイントであったのは悔しいところだ。
私の学校では、先輩の学年色の上履きを廊下で見かけたら知らない先輩でも挨拶をしなければならない。私は反骨精神なので知っている先輩以外挨拶せずに通り過ぎていたら、放課後に同学年のギャルに先輩に挨拶をしろと指導ビンタをされた。他にもたくさんあるが、言い過ぎると怖いのでこの辺にしておく。当時、平成だったにもかかわらずおかしな世界である。卒業式の日、みんなは別れの寂しさではなく、辞められる嬉しさが勝った。ギャルとヤンキーたちは別れに泣いていたが、他のみんなは満面の笑みである。
本題に戻る。私は知らない人と話すのが、割と好きだ。気の合わない絶妙な友人と話すよりは知らない人の方が面白かったりする。だが、知らない人にもパターンがある。
重要なのが、知らない人の立ち位置は
”知らないこと”である。
なので、何でも根掘り葉掘り聞いてくるような知らない人はあんまりだ。そう言う人は、サラッと交わしていく。私の知らない人の面白さと言うのは、温泉で知らないおばさまとお天気の話しするときの楽しさや旅先でその土地の話をすること、この何でもない人間が絡まない話が最高なのだ。逆に向こうの知らない人も私を知らないから気楽だ。何でもかんでも聞いてしまったら知っている人に変化してしまう。知らない上辺を攻めていく楽しさと難しさがある。ここで気を使ってしまうと疲れるのでいかに自然かつ器用に楽しみながらやるのが重要だ。
ここで去年・今年で面白かった知らない人をランキング発表していく。
1位 一緒に展示見たり、4時間散歩をしたおばさま
2位 旅先でランチ中、同郷出身だったおじさま
3位 飛行機で隣の席になった帰省おばさま
みんな面白いが1位がダントツであった気がする。
その日は、夜から予定があったためその間の時間に博物館に行った。作品も見終わり、その後の予定を決めていなく、キャリー片手に街をうろうろしていたら「旅行?」と声をかけてくれたおばさまがいた。初めはびっくりしたが、「これから別のギャラリーで展示を見にいくから一緒に行かない?」と言われ、始めは断り気味であったが、何だかアリかもと思いその場でタクシーを捕まえて勢いで一緒に仙台の街の方に向かった。道中にホテルがあると言うと「ホテルにキャリーを置いていらっしゃい。」とのこと。見ず知らずの私がここでいなくなったらどうするんだ!とヤンキー学校出身の私が不安になるくらいであったが、急いでホテルに荷物を預け、タクシーに戻った。そこからは仙台の街をたくさん歩きながら街のことなどたくさん教えてくれた。ここの和菓子が美味しい、この洋菓子店は私が学生の頃からあるのよ!特にエクレアが絶品。仙台の綺麗な図書館、展示も案内してくれた。仙台の人は牛タンをあんまり食べないことも教えてくれた。けど、仙台の人が行くならココ!と美味しい牛タンのお店を教えてくれた。(次の日の夜、1人で食べに行ったら牛タンが口の中でとろけて超美味しかった。)そして3時間が経ち、ギャラリーの売店でウィンドウショッピングをしていた時、ここで気づいた。2人とも名前すらまだ知らない状態で3時間以上過ごしている。
私は本当にリテラシーガチガチ人間なのでここまできても、知らない人に名前を教える不安で苗字だけ教えた。おばさまは「フルネームでも私は良いけどフフ…笑。」と苗字だけを教えてくれた。←最高
その後もたわいも無い話をしながら4時間くらいが過ぎ、解散することになった。連絡先も交換せず、おばさまをバス停でバスが来るまで見送った。
これが一回限りの出会いなのか、また奇跡的に会うことがあるかもしれないのか。
この偶然性と知らなさが楽しいなと思う。
けど、相手が嫌がっていたり1人を楽しんでいそうなら話しかけない。ここで私のヤンキー観察の経験が活きていく。私はヤンキー学校出身で見る目と経験と奇跡が起きているだけなので、どうかみんなは真似しないように。変な人もこの世にはたくさんいるし、自分もそっち側になりかねないので、本当に気をつけてください。マジで。
そして、私もみんなもおひとり様を楽しんでいる時もあるので、人ではなく景色や今の心地よさを楽しむ瞬間も忘れずに。ただ、知らない人と話すのは少し面白いなとも思う。
※これは私個人の実体験を書いたもので、他の人に同じ行動を推奨するものではありません。
それでは皆さまおやすみなさい~! godnat!
