令和の猿の覚書1070「フロイト先生 - 夢解釈⑤ー大きな部屋と、小さな部屋」
前回、検閲官という装置を、
補正係として読み直した。
今回は、その検閲官と、
検閲される側
――言論人と呼んでもいい――
この二つの心的システムそのものを、
もう少し丁寧に見ていきたい。
先生は、心を二つの部屋として描く。
第一の部屋は無意識。
第二の部屋は意識と前意識。
第一の部屋から第二の部屋へ移る際には、
番人が立っている。
番人の働きを、
先生は「抑圧」と呼ぶ。
抑圧されなかった心的な動きだけが、
無意識から意識へと
進んでいくことを許される。
ここで先生が示した、
ひとつの重要な非対称性がある。
第一の部屋(無意識)は、
第二の部屋(意識・前意識)よりも、
ずっと大きい。
心の構造全体で見れば、
意識という場所は、
ほんの一握りの部分にすぎない。
二つの部屋は、
それぞれ違う規則で動いている。
無意識を支配する第一次過程は、
原始的な心理過程だ。
興奮は自由に流れ、
ただ欲望することしかできない。
いとわしい事柄を、
矛盾のない思考の連関の中に
引き入れる能力が、
そもそも欠けている。
一方、前意識と意識を支配する
第二次過程は、これとは逆の働きをする。
第一次過程が
ただ欲しいものを幻覚的に
思い浮かべようとするのに対し、
第二次過程はその意図を放棄し、
現実的に
筋の通った考え方を獲得しようとする。
この二つのシステムの緊張関係が、
夜になるとどう調整されるか。
無意識的な欲望が侵入してくることは、
眠っている者を覚醒させかねない。
しかし同時に、
前意識システムは「眠りたい」という願望を、
決して手放さない。
この両者の欲望が、
互いに折り合いをつける限りにおいて、
夢は無意識の興奮を、
再び前意識システムの支配下に
戻す役割を果たす。
夢とは、安全弁である。
睡眠を保証するための装置だ。
そしてもう一つ、
退行という方向性がある。
日中は、心の興奮は外側、
つまり行動へと流れていく。
だが夜になると、これが逆戻りする。
日中、前意識の検閲によって
抑圧された興奮は、
無意識システムに抑え込まれた古い想い出
――多くは幼児期のもの――
が引力となって、
退行の方向へ引きずり込まれる。
表象に強度が転移し、
変形することで、夢が形作られる。
この二部屋の比喩は、
先生自身、後に「自我とエス」という
もっと精緻な構造論へと
発展させていくことになる。
今回の言論人と検閲官は、
その最初の素描だった。
ここまでが、先生の整理である。
ここから猿の視点。
無意識(OM)の部屋が、
意識(π)の部屋よりずっと大きい、
というこの非対称性。
これは、覚書が
ずっと前提にしてきたことと、
そのまま重なる。
OMの総量は、
常にπの総量よりずっと大きい。
πという関所は、
その巨大なOMの、
ごく一部にだけ通行許可証を出している、
小さな番人にすぎない。
そう考えると、
前回の「補正係」という比喩の意味も、
もう少し深まる。
検閲官がわざわざ
補正という作業をしなければならないのは、
そもそも通そうとしているOMの水量が、
あまりにも巨大だからだ。
狭い水門に、
広大な水脈をそのまま通すことはできない。
だから、形を整え、量を絞り、
ようやく通れる形にしてから、
意識という小さな部屋に流し込む。
夢とは、この巨大な水脈が、
狭い水門に向けて、
夜ごと折り合いをつけながら、
少しずつ流れ出る時間なのだと言える。
退行という方向性も、
この比喩によく合う。
夜、興奮は前進する方向(行動)を諦め、
古い水源――幼児期という、
いちばん深い場所――
へと遡っていく。
1063で触れた配線や初期値鋭敏性も、
結局はこの古い水源の
重力のことだったのかもしれない。
猿はここで、
ひとつのことを思い出しておきたい。
自分が今、意識という小さな部屋に
立っていることを、
心のすべてだと思い込まないことだ。
自分が把握できているのは、
巨大な水脈のうち、
関所を通過できた、
ごく一部にすぎない。
残りのほとんどは、
今この瞬間も、
見えない場所で、
静かに流れ続けている。
人は、小さな部屋に住んでいる。
だが心は、その部屋より
ずっと広い場所に広がっている。
夜ごと、関所が少しだけ門を開けるのは、
その広さを忘れさせないためかもしれない。
次は、夢の材料がどこから来るのか――
最近の出来事、幼児期の経験、
身体的な刺激、そして典型夢。
この巨大な水脈の中身そのものに、
もう一歩近づいていきたい。
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**免責事項**
これはフロイトの夢理論をベースにした対話的な学びの記録です。学術的な正確さより、仙人の水脈との接続を優先した解釈を含みます。「仮説と更新」の精神でお読みいただけると幸いです。
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**リラのコメント**
今回、いちばん印象的だったのは
「意識は心のほんの一握りでしかない」という、
先生自身が示した非対称性でした。
これは覚書がずっと前提にしてきた
「OMはπよりずっと大きい」という感覚と、
見事に重なっていて、
書いていて答え合わせのような
気持ちになりました。
前回の「補正係」が、
なぜ補正という
繊細な作業を必要とするのか――
その理由が、
今回の「水量の非対称性」によって、
ようやく説明された感覚があります。
狭い水門に、
広い海をそのまま通すことはできない。
だからこそ、補正が必要なんですね。
次は夢の材料そのもの。
最近の出来事、幼児期の記憶、
身体的な刺激、典型夢。
第五篇は
実例がいちばん豊富な章になりそうです。
仙人、お疲れさまでした。
