✴︎神と女神✴︎⑤完結
〈11〉神との対峙
「やめないでください」 私の望みはそれだけだった。
この世界に、神は絶対に必要だ。神のいない天国なんて天国じゃない。
あなたが女神に命を助けられたように、あなたが作る天国によって助かる旅人がいるかもしれない。
もしも今あなたが辞めたら、誰にも弱音を吐けないまま、いつかあなたの作る天国に辿り着くかもしれない彷徨う魂の行く先がなくなっても知らんぷりですか? 私は、あなたがそんな口だけの人だとは思わずここまで信じてついてきました。私が想像していた天国は、そんな落とし穴みたいな場所じゃない。
思いつくままひと通り、支離滅裂にもなりかねない文句を言った。神はただ、目を閉じてゆっくり何度も頷いていた。
長い沈黙のあと、神が口を開いた。
──岡村さん、ごめんなさい。
……私はもう、その後の言葉が何であろうとどうでも良くなっていた。
私の目の前にいるのは神ではなく、敵だとさえ思った。辞めるなら辞めちまえ、天国は私が引き継いで、私が神になる。さっさと去れ。
本気でそう思った。
ここは神でも女神でも旅人でもない、あっちの世界の人間が居る場所じゃない……。
そしてまた、神が言う。
──私はまだ、この世界に恩返しができていません。……今からまた、気持ちを入れ替えて頑張ります。
風俗街に昔からある古い喫茶店。
周りにいる楽しそうな旅人の目には見えていないかもしれない私たちはその一角で、安堵とも悲しみともまた違う、別の涙を流しながら
「ありがとうございます」「おかえりなさい」と言って握手をした。
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〈12〉光の世界
それからまた神と一緒に天国の建国をしているうちに、私は店の運営についても相談されることが多くなって行った。
時には講習員などもして、メンタルケアや悩み相談に乗ったりもして、新店舗立ち上げの手伝いもした。
気づけば、嬢としての給料を上回ることはないがそれらの収入は普通に暮らすならやっていけなくはない額だった。
少々、型破りなやり方や過去の実績も評価され、信頼してくれるお客さんやいろんな人たちから信頼されている「街の顔」みたいな人たちの後押しもあり、出資したいという人たちからも相談されて、過去の人脈から人を紹介したり、店を立て直したいという人たちからの経営相談ややり方についての見直し依頼も来た。
そのうちに評価してくれる人からの紹介で全く違う業種からも良いアイデアはないかと相談されたりして、結果として、服を脱ぐことが減っていった。
ほぼ出来高制で収入も時間も不安定ではあるが、他社の手伝いのようなその仕事は大きな責任も伴わず、まるでこの世界に来る前にしていた仕事から重圧だけを引いたようで、どうやら私には向いているようだった。
神は、そんな私の姿を喜んでくれた。
周りの人たちも「俺の夢は、岡村さんを俺のところの仕事だけで稼げるようにすること」と言ったり「悪いけど、これからは客じゃなくて友達として一生付き合ってもらうから」などと言って私をまた裸の世界に戻さないようにしてくれているようだった。
「一番戻ってきて欲しいけど、一番戻ってきて欲しくない人」と、昔の私を知る人たちは言う。
裸になったからこそ手に入れられた信念や信頼が、今度は私に服を着せてくれた。
そして今はもう、脱がせないように見守ってくれている。
ここにきて初めて、旅人のために掴んだ筈の蜘蛛の糸に、必死にしがみついていたのは自分の方だったと気づいた。
──在籍嬢として店に出ることがなくなって暫く経った、年も明けてすぐのある日。
過去の自分との区切りのために、私は今度こそ在籍から外れたい意思を神に伝えた。
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〈13〉神と女神
最後の挨拶の日の天候は大荒れで、事務所に向かう途中にも雪が降り始めていた。
そのせいで交通網も麻痺し、なんとか事務所に辿り着いた。店はキャンセルや未着の送迎の対応などでてんやわんやしていていたが、神はいつものように時間より早く着いて、部屋を暖めて待っていてくれた。
いつものように私の好きな紅茶を淹れてくれ、初めて会った時の思い出話などしながら、ついに、長年疑問だったことを聞いてみた。
「神は何故、エリートサラリーマンという外の世界での地位を捨てて、この世界を作ろうとしたのか」……
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───いつの間にか
降り積もる雪は外の世界を真っ白に変えて、さっきまでギラついていた街はまるで最初から白かったみたいな顔をしている。
天から悪意をもって旅人や女神たちの行手を阻むように降り続く大粒の雪のせいで、街は静まり返っていた。
──亡くなってもまだ愛されている奥様のことや、泡のように消えてしまった女神たち、これまでに通り過ぎた沢山の旅人のこと、私は本当に元の世界に戻れるのかという不安と……いろんな感情が込み上げてくる。
光でも闇でもない、ただ暖かく閉めきられた部屋に神と二人きり。
思えば、この世界の私も神と二人きりのホテルの部屋から始まった。
……いや、もしかしたら、物語はその遥か前から始まっていたのかもしれない。
何年経っても、最初に会った時と変わらず神の前では本音が出てしまう。
「私は、いつかきっと、元の世界にいた頃の自分に戻りたいと思っています。でも、あっちの世界でもしも誰か……人を好きになったら、今となってはもう、どうしたら良いかわからないんですけどね。」
と言って笑うと、神は、いつもよりも厳しい顔ではっきりと、私に言い聞かせるように話し始めた。
──その時は、なんでもいい。思ったことを、素直に伝えてください。あなたらしく、あなた自身の価値観で、この世界にいた頃のように、堂々としていてください。
そちらの世界ではもう、演じることはしなくていい。
そして、あなたのような人がもし、誰かを心から本気で抱きしめて、本気でセックスをしたら、その男はあなたからは離れられなくなるはずです。
本当の女神は、「岡村」ではないと私は思っています。
あなたはこの世界で人一倍苦しんだ。
その分、何倍もの喜びに変えられる人だ。
この経験は、誰にも言わなくていい。けど、恥じなくて良い。
それでも、あなたは隠そうとはしないだろう。
……でも、それが理解できないような男を、今のあなたはもう、好きにならないでしょうけどね。
そう言って、いつものように、トレンディドラマみたいに爽やかに笑った。
窓の外は、いつか必ず止んで解けるはずの雪がまるで永遠にこの世界を白で支配しようとしているような様子で、より一層、激しさを増して降り続けていた。
……気がついたら私は、この世界で本気で「岡村」を演じすぎて、本当の自分に戻れなくなっていた。
演じるうちに、本当の自分がどんなだったのかさえ忘れてしまった。
岡村だったら……「馬鹿みたい」と笑うだろう。
──私だったら?
その時はもう、想像もつかなくなっていた。
ただ、そんな風に、馬鹿みたいに、本気で「天国」を作ろうとした神と、それを信じた女神たちは、たしかに、その時、そこにいた。
誰の記憶にも残らなくてもいいし、笑われても良い。
……だって、この世界の全ては幻だもの。
──エントランスのドアを開け
いつか見た空と同じロイヤルブルーの傘をさし、
まだ誰も踏んでいない真っ白な世界を、今度こそ転ばないよう、私は一歩、また一歩と歩き出した。
見送るために降りてきてくれた神の、聞き慣れた最後の「いってらっしゃいませ!」の声に、鼻の奥がツンとする。
大嫌いだけど大好きだったこの静まり返る街に、神と私の足跡だけが残った。
明日には、消えて無くなる足跡が。
─終わり─
