どす黒くて儚い、短い夢・第三話〈朝の続き〉
帰宅しても妙に高いテンションのまま、寝不足のため寝て起きても昨日の夢から覚めることはなく、携帯を見ると彼からの旅行プランのお知らせが来ていて
「あ、夢じゃないかも」と我に帰り、お店に出勤キャンセルの連絡をした。
出勤をキャンセルするということは当然、予約もキャンセルになる。でもそんなことはどうでも良かった。
私に会いたい客が勝手に入れた予約なんて、当時の私にとってはただの金額でしかなかった。
予約がキャンセルになったんだから客はお金を払わなくて良くなっただけ。私からしたら「ああそうですか」以上でも以下でもなかった。
そんな感覚のまま、それから彼とは毎日ではないけど少しずつやり取りをして、旅行前日になった。
美味しいチョコレートでも買っていこうかな……
そもそも彼はチョコレートを食べるんだろうか……
…… 紅茶が好きだと言っていたから、私のお気に入りのお店で買った紅茶を持っていこうかな……
指名客たちが私にしてくれた事と同じことをしているだけなのに、生まれて初めて、そんな人間ぽい事を考える自分をわかって欲しくて彼にラインをした。
「嬉しすぎる!僕もすごく楽しみにしています!」
なんていう、姫予約確認の時に他の男性たちから何千回来たかわからない見慣れた一行に、作り笑いではなく自然と笑ってしまう自分がいて……そんな自分に気づいてまた笑ってしまった。
旅行当日の朝は2人とも待ち合わせ時間よりも30分以上早く着き、背が高いのにヒールを履いている私を、包むように見下ろす彼の距離の近さにびっくりしつつ、旅行のために無理矢理スケジュールを空けたという彼は目も充血して見るからに疲れていて、移動中は眠ってしまっていたが
「せっかく来てあげたのに!」「楽しみにしていたのに!」なんて感情はなくて、少しでもリフレッシュして欲しくて、寝ている彼の手を取り、マッサージをした。
私の両手でも包みきれない大きな手。
比べてみたら、私の手よりも関節2つ分は大きかった。
熊の手って、こんなだろうか……これが、2人とも野生動物ならば私は瞬殺でやられるな……
なんて考えながら一生懸命、マッサージした。
その後も度々
「さっきの客はプレイが終わった後にマッサージさせようとしたからNGにしておいて」
なんて事を言っていた人と同じ人間とは信じられないくらい、自分から率先してそうしていた。
セックスした後も、回らない頭で気力で起き上がり、私が何かの形で彼の役に立つならばできることはなんでもしてあげたいと思い、いつもマッサージをしてあげた。
そうこうしているうちに到着した先での時間も楽しくて、若い彼にすっぴんを見られる事や寝顔を見られることが初対面の男性の前で裸になるよりも恥ずかしくて、それでも嬉しさが混じりながらの旅行は私にとっては新鮮だった。
何が楽しかったというよりも、彼といることが楽しくて、そんな状況にいる自分が嬉しかった。
そして翌日の新幹線で東京に戻ってからもまた彼の家に行き、またセックスした。
翌週も出張の同行に誘われたので一緒に行った。
私のためにグレードアップしたという、とっても派手で豪華なホテル。
行く途中に20年振りくらいに買い食いみたいなこともして、おじさんたちと違う若い彼の行動がとても新鮮だった。
夕食に予約しておいてくれた貸し切りのレストランでもデザートが私の名前の花で飾られていて、普段なら食事の写真なんて撮らないのに、思わず、何枚も撮った。
そしてまた東京に戻ってから翌日になり「ご飯だけになるけど会いたいです」との連絡に喜んで行くと、帰りのタクシーでひとつの薬を渡された。
「俺がクラミジアかもしれないから念のため飲んでほしい」
旅行の後に他の女からうつされたのは、2度目の遠出の前に定期検査をして陰性になっていた私にはすぐにわかったけど、何も知らないふりをして
……ああそうか。
遊びだもんね。
うっかり、ちょっと浮かれちゃった。
ごめんごめん。
うっかり、勘違いしてしまうところだったよ…….
そんな、声に出せない心の声と共に大粒のクラビットを飲み込み、そして笑った。
それはもちろん楽しい笑いでもなく、作り笑いでもなく、さっきまで素人気分で何も考えずに浮かれていた自分と、水なしで大きなクラビットを飲めるほど飲みなれたプロの自分との落差への、言葉にはできない嘲笑だった。
クラミジア疑惑のおかげで、私は出勤をキャンセルして、また検査をする羽目になった。
よく考えたら、ここまでで彼との用事で稼ぎ損ねた額は100万くらいにはなっていたけど、当時の私には大した額ではなく、むしろ人間らしい感覚を教えてくれた事に感謝していたし
私の出勤よりも、10歳以上若い彼の時間を使っているという事の方が貴重に思えた。
恋は盲目とはこういうことなのねと自分で自分を遠くから見ていた。
そうして毎週会っているうちに誕生日の話になり、彼の誕生日がもうすぐだと知る。
100万以上の稼ぎ損ねを出してもまだ浮かれていた私は、誕生日に奮発しようと思った。
余談だが、元彼は私の誕生日に一緒に行った銀座でシャンパン開けまくって400万使い、それが私には何の得もない事に腹を立ててその日に大喧嘩して別れたんだけど、そんなこんなで金銭感覚が狂っていた私は誕生日にしてほしい事を何でもしてあげると彼に言った。
もしも彼がホストだったら、シャンパンタワーくらいは余裕でやっていたと思う。
けど、彼のリクエストは「手料理を作ってほしい」だった。
大学も寮生活で、その後外国人の元嫁と別れてからもほとんど外食の彼は、結婚前からカウントして数年単位で普通の家庭料理に飢えていると言った。
前述したように、私は結婚していた頃は主夫がいて、自分は外に出て働いていた。
一人暮らしになってからも4年間外食をしていたのでティファールでお湯を沸かすくらいしかキッチンを使うことはなかった。
それでもいい歳だし、専業主婦の母を見て育ったため、地元でもある東京の一般的な家庭料理は得意とも言える状態ではあったのである程度の普通の料理はできたけれども、誰かに作ってあげるなどという、あまりに久しぶりの事に
何を作ろうか、どうやって持っていったらいいのか、これは好きかなあれは好きかな……
……そもそも、スーパーってどこにあるんだろう....と色々調べて考えた。
出勤してお金集めをするよりもスーパーを回る方が楽しくて、ウォーキングついでに1人で夜のスーパーに行って……
人知れず、この世で初めての春を満喫した。
当時の私にとってはおまけ程度の、10万円くらいのプレゼントも買い、当日は彼のリクエストでおばあちゃんちみたいな普通の家庭料理を振る舞って
いつものようにセックスした後に「今まで生きて来た中で今が1番幸せかもしれない」と仰向けに寝たまま泣く彼がその後に言った
「ゆりこさんがもし、子供が欲しいなら、俺は養子を貰ってもいいと思ってるよ」という言葉に
自分の年齢を負い目に感じていた事と、若い女の人と浮気して子供ができたら私の前からはいなくなってしまうんだろうと心の底では思っていたことや、前の旦那さんとの間の早期流産した子供の事を想い、思わず泣いてしまった。
#創作大賞2026
#恋愛小説部門
