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どす黒くて儚い、短い夢・第五話〈地獄からの天啓〉

──そんな彼女が引退する前
「お店から干されてる気がする」と私に相談してきた。
彼女は指名数が少なくなっていたのもあり、年齢が高いからもう売れないと比較的安い方の支店に配置換えされた。
何種類かあるうちの高級路線の方のお店での待機所や福利厚生は使うなと言われ、当然、一本当たりの手取りもかなり安くなった。

でも、彼女には誠実な彼氏がいて、成人するまで欠かさず立派に送金し続けた子供がいる。

オブラートに包めない私の答えは
「やらなくていいんだったら、やめたらいいんじゃないですか?」だった。

風俗って、仕事内容だけでなく人間関係も特殊な世界で、外の世界では言わないような本音で話す仲間と、目も合わせない癖に匿名掲示板に悪口を書くような敵がはっきり分かれてる。
本音で話す者同士も決して仲間ではないが、かと言って敵ではないので本気で思ったことしか言わない。ある意味、失うものがない者同士なので過酷な失敗体験も包み隠さず話して止め合う。

それでも、裏切る人もいれば何も言わずに逝ってしまう人もいる。

この世界で「幸せになってほしい」なんていうのは綺麗事でしかない。幸せどころか普通にもなれないのは自分たちが一番わかっている……はずだった。
それでも私たちはいつかきっと生まれ変われると、いっかきっと天から降りてくる蜘蛛の糸の夢を見る。
そんな不思議な、この世とあの世の狭間みたいな不安定な世界。

先輩にはずっと「どんなに売れなくなっても格安ソープには行くな」と言われていた。
先輩は何も知らずに初めて飛び込んだ風俗が、求人広告に寮があると書いてあったという理由だけで行った格安ソープだったらしく、勝手がわからない世界にまだDVによる痣の残る体でじっと、じめじめして誰もいないプレイルームで、指名もなくぼーっとしていると、ある時突然「そうだ!死ねばいいんだ!なんで気が付かなかったんだろう!名案だ!そうしよう!」と閃いた。

なんでこんな良い事に早く気がつかなかったんだろうと喜んでいるところに、普段ならお客さんが勝手にドアを開けるなんて事はないのに何故かたまたま入ってきた顔見知りのお客さんに助けられたことがあるという。

だから、こんなみじめな仕事をするのに絶対に安くてじめじめして暗い場所に行ってはダメだと言い、2人きりの時、時折、真面目な顔をしては「あんたはまだ死ぬな」と私に言っていた。

なので、私の答えは「やめたらいい」だった。
こんな世界、こっちから捨ててしまえばいい。

だって
立派に子供が成人になるまでの送金もし終わって、ちゃんと愛してくれる人に出会えて、これ以上何を望むのか?
風俗なんてやりたくてやってる人はいない。
じゃあ、やらなくていいならやらなくていいじゃん……

あの時、本音でそう言った私を受け入れてくれた先輩に、今の私がいかにバカなことをしたか聞いて怒って欲しかった。

先輩の第一声は「ばかー!!!」だった。

あんたね、どんだけばかなのよ
なんでそんなこと言ったの!今すぐ彼に謝って訂正しな!やっぱり養ってくださいって言え!
……あんたね、今までどんだけ頑張ってきたか、自分じゃわかってないでしょ!
……あんたもう、幸せになってもいいんだよ……

「生き延びるための現実の選択」として風俗の世界に入り、私より遥かに地獄を知っている先輩の泣きながらの言葉を聞いて、私は初めて、人前でと言っても電話だけど、嗚咽が漏れるほどに、泣いた。


それから
私は素直じゃない自分を心の底から反省して、せめて、彼にだけは素直になろうと思った。

……はずだった。
でも、その時は確かに、心からそう思った。

そして彼に「謝りたい、次に会えたら素直に伝えたいから話を聞いてください」と、私はなんてバカなんだろうと思いながら祈るような気持ちで送ったが、返信は「わかったよ」だけだった。



その後に彼に会った時、またいつものルーティンで過ごしていたのもあってずっと切り出せなかった。

彼の次の予定が迫り、ロビーまで一緒に行こうとなって、玄関で靴を履きながら
「あのね、ごめんなさい」
と言うと彼はこちらを向き直してくれたので、これが最後になるかもしれないと思って涙が出るのを堪えながら
「やっぱり、養っ…」
言いかけると彼は笑顔で遮るように「嬉しいよ」と言って、いつものようにおでこにキスをした。

気がつくと、私の手は無意識に、必死に彼の服を掴んでいた。

そして、泣きそうな私に「これじゃ、電車で帰るのはかわいそうだね」と笑い、彼が呼んでくれたタクシーの中で泣いた。
初めての経験に感情が追いつかず、何の涙かわからないけど、泣いた。

……タクシーで泣くのは何年ぶりだろうか。
思えば、真剣に会社経営をしていた頃に取引先に裏切られて大きな損失を出し、悔しくて泣いた時以来だ。
でも今日は悔し涙じゃなくて、ただただありがたいという涙だった。

……やっと、人間になった気がした。


────────────


思い返せば家庭環境も全く複雑ではなく、むしろ良い方だったし、勉強も運動もできる方だった。
素質も環境も良いと言える、全てが平均以上であるその状況で、曇りのない幼少期〜青年期を過ごした。

仕事も順調に進んで会社を興し、一目惚れされて会った時にいきなりプロポーズしてきた人と縁あって何となく結婚をし「普通」になる運命を試すかのように半年限定の約束で子作りをした。

けど、私の子供は私よりも人間ができていて、私が望んでいないのを察して、生まれる前にどこかに巣立って行った。それからはその子供の分も、より一層、会社経営に打ち込んだ。


……どこで間違えたんだろう???
どこかで間違えたことに気づかないまま、いつのまにか私は世間とズレすぎて人間じゃなくなっていた。
なのに、ここにきて若い彼にまた人間に戻してもらえた事に涙が止まらなかった。

後日、金額などの話をして、彼は何も言うことなくしっかり3ヶ月分ずつまとめて前払いで養い続けてくれた。


こうして、大人になって初めて、誰かに養ってもらうという日々が来た。
普通のOLさんであれば余裕でやっていける金額。
彼のお金だと思うとタクシーなんてもってのほかで、カフェへもほとんどいかないし安いスーパーを探すように節約し、美容や浪費にかけていた金額も考え直し、入ってる意識のない使わないサブスクも解除して最初のうちのカードの利用額はこれまでの4分の1程度である15万をキープした。

それでもというかむしろそれが楽しかったし、何より彼のお金を1円でも無駄遣いしたくないという気持ちで自然に節約できた。
そして彼のおかげでまたひとつ、人間らしくなっていると誇らしくもあった。

けれどもやはり急な出費やら税金やら、投資のあてが外れたりして減るものは減る。
この時の私はそれでもまだ、彼に会うまで無計画で浪費しつつも貯まっていた2000万と
適当に引き出しにしまってあった150万のお金が合わせて300万を切るまでは楽観的に浮かれて、いつか彼に恩返しできると思ってた。

彼はイベント毎にドラマのような事をしてくれて、出張があると宝物のようなお土産をくれた。
自分は世界の真ん中にいる感覚だった。
彼は便宜上もうひとつ部屋を借り、私が住むわけではないけどベッドとお揃いの食器を2人で選んだ。
家具から食器まで全て選ばせてくれた。

かつての新婚の時は何も思わなかったのに、まともな人たちの世界ってこういう幸せがあるんだなと気づき、普通より豪華な幸せを噛み締めた。

彼は忙しい中でも私と会う時間を作ってくれて、日常も非日常も全てが忘れられない体験になった。

よく「何をするかより誰とするか」と聞くけれど、私の本名も知らないおっさんと食べる二桁万円の食事を自分が残す理由も味がしなかった理由もよくわかった。
彼と食べる300円のソフトクリームは今でも最高に美味しいソフトクリームだったと記憶してるし
よく知らないおっさんとはどこで何食べたかもあまり記憶になく、スペリャリテの盛り付けを見て「あ、ここ、来たことあるんだっけな?まあ…どうでもいいや」程度。

私が知らないところで、人間てこうやって幸せな生活をしていたんだなとなんでもない時に涙ぐむこともあった。

──この時に
甘えと依存と責任転嫁に陥る最悪な自分に気がついていたら……


#創作大賞2026
#恋愛小説部門

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