炎の写真家、土門拳の眼
ある日、新聞で目にした言葉にくぎ付けになった・・。
気力は眼に出る
生活は顔色に出る
教養は声に出る
しかし、悲しいかな、
声は写真のモチーフにはならない
土門拳
うん?土門拳ってなんか聞いたことあるけど
知らないなあ。
それにしてもことばから感じるこの強い覇気は
何だ???
カメラマンであることはわかったが一体どんな人
なんだろう?
と思い立ち県立図書館で3冊借りてきた。
「鬼の眼 土門拳の仕事」
「死ぬことと生きる事」
「土門拳の風貌」
このうち2冊は写真集だが、被写体が生きていて、鳴き声、笑い声、ケンカ腰の声が聞こえてきそうな迫力があった。著名人を撮った「風貌」には尾崎行雄、幸田露伴、鈴木大拙、斎藤茂吉、川端康成、棟方志功、近衛秀麿等、名だたる著名人が被写体となっているが、なぜか不機嫌な顔が結構あったりする。それは、土門拳がまるで武士が刀を抜いて真剣勝負をするかのようにリアリズムの極限に挑んだが故の結果らしい。
写された側の話も参考になる。
高村光太郎曰く
「土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性とが、実によく同盟して被写体を襲撃する。この無機性の眼と
有機性の眼との結合の強さに何だか異常なものを感じる・・・。」
ということなのだ。レアリズムの極限は真理なのではなく事実なのだという。被写体の今、この時の瞬間を逃さまいとする土門の執念は凄いの一言だ。
土門は明治46年(1909)、山形に生まれ、平成2年(1990)に亡くなった伝説の写真家であり、昭和25年(1950)当時のリアリズム写真旋風の中心にいた人物だ。彼はたいへんな読書家でもある。
例えば「風貌」で撮った作家、井上靖を撮るために、彼の作品を全て読んでからいかにリアリティを出せるかを考え抜き、それから撮ったらしい・・。
その他にも、あまりにリアリティを求めすぎて被写体となる人たちとのトラブルもあったらしい。例えば、シャッターチャンスを探すことにこだわる余り、要求を何度も突き付けられた梅原龍三郎などは椅子を投げつけたというから驚かされる。
そうかと思えばまた全く違う側面がまた彼の人間性をうかがわせる。
一つ目はこどもの写真。彼は幼い子を亡くすという経験をしているせいか子どもが写っている写真から、なぜか愛情を感じてしまうくらいリアルにその瞬間の表情、声、空気を撮っている。
二つ目は広島被爆者の写真。傷跡の残った被爆地の風景、親を失った子供たちの写真・・・。告発というタイトルからこの不条理に対して社会に訴えている土門の強い想いを感じた。
もう一つ、おもしろいなあ思ったのは「大人の女性を撮るのは苦手」だというところ。土門が例えばベテラン女優を被写体にするとその皺に関心をもってしまい、そこにフォーカスしてしまうとのこと・・。彼はそれを自ら気にしているのに、写されている本人たちは良い評価をしているというから面白い。そんな意外な一面ももつ。
こういう燃えるような情熱をもった人に出会うと、力をもらえる。偶然ではあったが、土門拳という写真家に出会えたことは俺の財産になると思う。
