教師像の形成について

 教育実習に行った際、無意識のうちに「先生らしい」振る舞いをしている自分に驚き、嫌気がさした。あれほど嫌っていたはずの「先生」という型に、知らず知らずのうちに嵌まっていたのだと思い知らされたからだ。

 学校教育を学ぶ上で避けて通れないのが、この「教師の在り方」についての問いである。僕はこれまで、従来の教え込み型教育への批判として自由教育を捉えてきた。しかし、「教師は子どもにどう働きかけるべきか?」という問いは、伝統的教育か新教育かを問わず普遍的なものだ。そう考えると、僕が抱く教師像がいかに一般的規範から乖離し、かつ自由教育の枠組みにも収まらない理想主義的なものであったかが見えてくる。同時に、そのような主観的な教師像が、実習という場でなぜ「先生らしさ」として表出したのかというプロセスに強い関心を抱いた。
 そこで、個人の教師像や世間で共有される教師像はどのように形成されるのかを考察したい。また、それらが教職を選択する動機となったり、あるいはエンターテインメント(学園もの)として享受されたりする過程で、どのように変容・継承されていくのかを検討する。

 その一助として、映画『パリ20区、僕たちのクラス』を取り上げたい。本作は2008年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したが、日本ではそれほど大きな話題にならなかった。日本の「学園もの」とは性質が大きく異なることや、背景知識の壁が要因かもしれない。
 日本で共有されている教師像には、テレビドラマの影響が少なからずあるはずだ。その象徴として、僕はパロディでしか見たことのない『3年B組金八先生』などを引き合いに出しながら、日本特有の教師観について考えていきたい。

参考文献
山田浩之(2010)「信頼と不信」日本教育社会学会『教育社会学研究』86、pp.59-74
細尾萌子(2015)「映画「パリ20区、僕たちのクラス」を用いた「教育課程・方法論」の授業実践」フランス教育学会『フランス教育学会紀要』27、pp.127-130


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