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水環都市探偵奇譚集「優しさの形見1」

 痛い。息が苦しい…。

 それに視界が暗い…。匂いも変だ、焦げ臭い…。

 口の中が…これは血の味か…?

 うっすらと意識が覚醒していく感覚。

 はっきりとしない、まるでまどろみから覚めるような、俺は今まで眠っていたのかと錯覚する。いや待て? 果たして本当に自分は寝ていたのか? これは夢から目覚める前兆か何かか?


 重い瞼がゆっくりと開いていき、ぼやけていた視界が晴れてゆく。思考を必死に張り巡らせるが、自分が今まで何をしていたのかよく思い出せない。

 ようやく両眼で辺り一面の景色と自分の状況を確認できた。


 思わず愕然とする。自分は瓦礫だらけの土地に寝っ転がっていたらしい。要するに下は土と砂の地面だ。地面に寝ていたのだ。痛む首や節々をかばいながら周りを見渡す。恐らくいくつも建っていたであろう崩れた建物だらけで、瓦礫の山がそこら中に広がっている。よく目を凝らすとついさっきまで火事でもあっていたのか、煙が燻っている。

「…な、なんだ…?どうなってんだこの状況…」

 土埃を掃おうと手で服を触ろうとしてさらに驚いた。体中を触ってようやく気が付いたが所々痛みが走っていた原因は怪我を負い血が流れていたから。怪我の多さに自分のことながら信じられず絶句した。だが傷の痛みが、現実に実際に体に起こっている出来事だと嫌でも知覚させられる。切り傷に掠り傷に打撲に火傷……。全身傷だらけだ。自分が重傷であることは理解できた。

「……あ、御守さん⁉ そうだ、何処だ御守さん⁉ 返事をしてください⁉」

 不意に脳に閃光が走る。この事態が起こる“ついさっきまで”一緒に逃げようとした筈の人を、俺の師匠である御門御守の姿を探す。

 半ば焦土と化している辺り一面を繰り返し見渡し必死に視線を動かす。そして、微かに呻き声らしきものを耳に捉え、それを頼りに体を動かすと、瓦礫の中にギリギリ埋もれていない、砂埃を被り、自分と同じようにズタボロのボロ雑巾のような男性が地面に倒れているのを発見した。


「御守さん⁉ おい、御守さん、御守さん、大丈夫ですか師匠⁉」
「…よぉ…無事か……馬鹿弟子め……ははっ……」
「御守さん、意識を失わないでください‼」
「ぁあ…ったく…ガキに心配されるたぁ……俺も焼きが回ったもんだ……」

 大声で彼の名を叫びながら歩みを進める度に体中が悲鳴を上げた。痛みが電流を流されるが如く全身に走るようだ。なんとか近づき、彼が御守さんであることを確認した。見るからに重傷だ、しかも自分よりも。目の焦点が定まっていない。呼吸も安定していない。軽口を叩く余裕はあるものの、明らかに危険な状態だ。

「御守さん烏丸は⁉」
「…やべぇな…スーツが吹き飛んだせいか…故障したのか返事がねぇ……」
「マジかよ…何処だ烏丸ぁぁぁ⁉」

 大声で御守さんの“相棒の名を叫ぶ”。しかし、ある変化に気付いた。ほんの少し、ほんの少しづつではあるが、まるで痛みが引く…いや傷が癒されるような熱い刺激があるのが理解できる。よく目を凝らせば、青緑色の粒がそこら中に漂っている。

「粒子だ…⁉」

 この粒子の効果は知っている。粒子の一粒を指で掴む。小さく発光しながら霧散するそれは、傷に反応しているようだ。僅かに傷を治している。頭の傷にも反応しているのか、微かな熱さが走り、妙に思考が晴れ渡るかのような感覚を覚える。

「何処から出てんだ…そうだ、スウェン、スウェンから出てんのか⁉ スウェン⁉」

 何故直ぐに気付かなかったのかと後悔する。“ついさっきまで”身に着けていた“相棒”を探して辺りを見渡し、必死に叫ぶ。

『――ッ――カ――』
「スウェン⁉」

 突然声らしきものが聞こえた。ノイズ交じりの電子音のような声だ。

 遠くの方で点滅する光を捉えた。幸い距離は近い。御守さんを慎重に抱えて足を引きづりつつ歩みを進める。瓦礫に埋もれているが、一目見て壊れていないとわかり、即座に手に取る。流石御守さんが開発しただけはある。大した強度と耐久力だ。その形状はスマートフォン、俺の相棒スウェンだ。スマホに近づいた分だけ、痛みが和らいでいることに気が付く。先程よりも傷が徐々に小さくなっている。粒子の効果で間違いないようだ。これまでに何度も助けられてきた、それでも重傷なのに変わりはないが。


 『――ッカ―ム―』「おいスウェン、俺だ、掴(つかむ)だ!」『――ッカム――掴、聞こえている…私だ―』「ああそうだ、聞こえてるよ相棒、俺は夢緒掴(ゆめお つかむ)、今年で16歳、高校2年生。故障してないか? 今御守さんを発見した、どっちも重症だ。烏丸も見当たらない。お前から出てる粒子のおかげで徐々に治ってきてるけど、間に合わねえ」

 急いで喋っている途中で、頭の中の妙な違和感に気が付く。駄目だ、全てを思い返そうとしても、霞でもかかっているかのように記憶の引き出しが開かない。妙だな?

「俺達は戦ってて、そうしたらアイツが自爆して――あ…?なにと戦ってたんだ…?――」
『確か――っきから君と御守のバイタルが安――ない生命維持が危険――見るからに重傷だ。幸い――から放出されている――粒子の――げで微かに傷が治りかけてはいるが――私もダメージを――過ぎてプログ――に再構築をかけ――ないと自我が崩――てしまう――烏丸――処かに埋もれて――筈だ』
「…よぉスウェン、無事みてぇだな…?」
『君――傷だな、御守。あまり――ずに安静――ているんだ』
「わかってるよ…だがお前から出てる粒子のおかげで…多少はマシだ」
『――の脳をスキャンさせてくれ、どうにも掴の様子もおかしい――傷を負っていないか――べる…』


 スウェンから緑色の光る線と光が放出されると、俺達の体を包み込む。バイタルチェック、体の状態をスキャンしているのか。これで頭の妙な霞具合の原因もわかるか。同時に機体からプログラムの起動音が流れ始めて、画面が点滅したと思うと0と1の文字が羅列される。どうやら自己修復機能も起動しているようだ。なるほど、外観は無事そうに見えても、中身のプログラムに異常があるかもしれない。そうして数分が経過したかと思うと、起動音が流れた。

『……ホントひどいありさまだな、アイツの自爆を、間近で電磁パルスの含まれた高エネルギー波を爆発の衝撃と共に浴びたせいで、掴、君は脳の一部に損傷を負っているのだろうな……』

 俺の脳が損傷…? もはや言われるがままに画面を見つめたまま、スウェンの話に耳を傾けている。爆発? 高エネルギー? やはりこの惨状は……。

『――1つだけハッキリ言っておく……』

 その言葉に一瞬身を固める。純粋に何を言われるかビビったからだ。

『我々は負けたんだよ……爆発の中心地だった“街”も巻き込まれてこのありさまだ……きっと大勢が犠牲になった……』
「……負け……た?」

 そうだ…追い詰められたアイツは、自ら死を選んだ。進化したAIとして他の電子生命体を先導した末に、いくつもの学習の果てに自死することを学び、よりにもよってこの街のど真ん中で自爆した。自らに溜めこんでいたであろう膨大な情報の塊と周りのエネルギーを巻き込んで……ああくそ、駄目だ、これ以上思い出そうとすると痛みが走り、記憶も途切れ途切れで断片の繋ぎ合わせのようだ。

「…掴…アイツの勝ちだ、奴は俺達人類に勝ったんだ…そして俺達はその知恵比べに負けた……そしてこの有様だ…ちくしょーが……」
「負けた…負けた…? そうだ、他の皆は……」

『君の状況を受信した…よし、先ずは何処から説明しようか、なにせ、私も記録の大半を損傷したからな…』

 スウェンの声が耳に入らない。いや、彼の説明を聞きたくないからではない。自分が心配しているのは、今しがた思い出した仲間達の詳細な記憶が、曖昧な状態でしか思い出せないことだ…。家族も、友人も、後輩に先輩だって……。


――掴さん――


 最後に彼女の姿を思い浮かべた。しかし、愛した人の顔すら靄がかかって思い出せないことに気付き、目の前が真っ暗になる錯覚に陥った。項垂れた後に地面に倒れこみ、そのまま顔が地面に突っ伏した。

 口の中で血と混ざって土の味がした。

*****


 新しく生まれ変わったこの街で過ごし、ざっと10年の年月が経過した。



 10年前に引き起こされた“戦い”により生じた爆発で、世界は電磁パルスを含んだ高濃度かつ強大なエネルギー波「クォンタムサージ」に晒され、ほぼ壊滅に近い状態にまで追い込まれていた。この事件は「失われた記憶」と名付けられた。名前の理由は、あの時なにがあったのか詳細な記録が極僅かにしか残されていないこと。「クォンタムサージ」を浴びてしまった人類は脳に損傷を負って当時の記憶を消失したことが理由である。

 この街の住人がそうであるように、俺自身も当時の記憶は未だ完全に戻らない。あの時あの場所で、あの究極AIとの戦争に知恵で負けた。家族の記憶も友人の記憶も、なにもかもが途切れ途切れの継ぎ接ぎの記憶によって自分は構成されているのだ。様々な困難があったが、それでもなんとか、俺はこの街で探偵事務所を営んでいる。否、正確には先代所長、御門御守不在の中、二代目所長と共に切り盛りしている状態ではあるが…。

 この街では街では人々の意識とAIが日常的にリンクしている。
 美しさと醜さが表裏一体となる、水と電子の大都市「水環都市」。街の基幹は“アクアネット”と呼ばれる水流型データ回線によって繋がり、空に光る広告ホログラムと、運河を流れる青白い光が都市を照らし、街には3つの顔がある。

 セントラル・リバー区と呼ばれる地域は、探偵事務所やカフェがある中心街で、
常に雨が降っているのが特徴。

 アッパーフロート地域の特徴は上層都市であり、AI富裕層が住んでいる。

 サブドック街と呼ばれる地域の特徴は、地下水路の貧民街であり、非合法AI取引が横行している。

 だが今ではシステムの老朽化が進み、AIインフラの一部は「更新されず、壊れていないだけ」の状態。つまり、街は“古いAIの幽霊”が棲む街”になっている。人々はそれを知りながら、便利さのために目を逸らしている。

*****


 先入観という言葉がある。

 ―ある事柄について、実際に見たり聞いたりする前に、あらかじめ頭の中にできている考えや固定的な見方のことです。これは個人の経験、教育、社会的な情報などによって形成され、客観的な判断を妨げる要因となる―

 例えばの話である。行方不明になった婚約者を探してほしいと言われ、それと同時に人が映った写真を差し出されるとどうだろうか?

 一言も“写真に写る人物が生きた婚約者だ”と言ってもいないのに、その写真に写る人物が“今も生きている婚約者”であり、行方不明になっている、と。そう認識し、傍から見たら誰もがそう思い込んでしまう。

 今回来た依頼は、依頼した本人すら真実から目を背けて忘れてしまい、依頼を受けた自分たちも生きていると思い込まされたうえで調査に向かった話しだ。

 だが、これらの出来事に、図らずもAIが示した優しさが絡んでいたことを忘れてはならない。

*****


 朝から香しい匂いが鼻腔をくすぐる。そう、魅惑の飲み物コーヒーだ。奥のキッチンからぼさぼさのロングヘアを適当にまとめ、コーヒーを注ぎ済みのカップが複数置かれたお盆を持った少女マチルダが出てくる。そして肩には猫のもこおが乗っている。

「おはよう、つかむ、すうぇん。きょうはいいあさだね。もこおもうれしそうだよ」

 そういってマチルダは嬉しそうに肩に乗っかる猫「もこお」に頬擦りする。もこおも嬉しそうにふんにゃあ~と鳴き声を上げる。

「おはようマチルダ、もこお」
『おはよう。マチェちゃんの言う通り、今朝は絶好の日向ぼっこ日和だぞもこお、ほら見てみな』

 スウェンが笑顔を表す表情を浮かべて、窓の外の朝日を眺めながら体全体で指し示し、もこおに話しかける。それに対しもこおも返事するかのように、一声ふんにゃ~と鳴き声をあげる。会話が成り立っているのかはわからない。

 マチルダが置いたお盆の上のコーヒーカップを、他の職員と同じように手に取り、焙煎の効いた香りで鼻を満たすと、そのまま喉に流す。その美味さに思わず声が唸る。

「う~ん…本日は苦みと酸味が合わさって美味しいなマチルダ、ここに来てから益々入れ方が上手くなっている」
「そりゃああれからまいにちいれてたらうまくなるよ~。さいしょはにがいだけかとおもったけど、あじにもいろいろあるんだもん」

 そう言いながら、彼女もほころんだ笑顔でコーヒーをすすっている。職員たちもゆったりとその味に舌鼓を打っている。

「お~い、それで依頼は来てんのか相棒?」
『ああ、それなら丁度いい』
「丁度いい?」
『今玄関に向かって人の生体反応が1人――』

 言い終える前に玄関のインターホンの音が部屋に響く。

『ほら来た』
「了解」

*****


「はじめまして、みかどたんていじむしょのにだいめしょちょう、マチルダ・マチェ=エールだよ。そしてこっちが…」
「この事務所の探偵を務めております、夢緒掴(ゆめお つかむ)です」

 この御門探偵事務所の二代目所長マチルダ・マチェ=エールに促され、軽く自己紹介を済ませ、長机の上に“座っている”スウェンに視線を移す。

『そして私は彼の相棒、スウェンです。見ての通り手足の生えた携帯電話、つまりスマホですが、どうぞ、よろしくお願いします。ちなみにホログラムの姿も表示できます』
「…は、はい…」

 依頼人の女性は当然のように戸惑った様子を見せている。それがうちの所長についてか、このスマホことスウェンについてか、まあ両方であろうが、うちの相棒に関してはこんなに電子機器やAIが進んでいる世界でそんなに珍しいだろうかと毎回疑問が浮かぶ。

「朝から突然の訪問、丁寧にありがとうございます。私は行先明那(ゆくさき あきな)と申します。現在はセントラル・リバー区の医療器具メーカー勤務しております…」

 肩甲骨辺りまで伸びた黒髪に、化粧は軽めでほんのりリップ。抱えている依頼からきているのか不安そうな表情を浮かべつつも、その佇まいは物腰柔らかそうな女性だ。

「あの…失礼なことをお伺いしますが、そちらのお嬢さんがここの所長で…えっとおいくつ…失礼、そして貴方が探偵で…それから、携帯が相棒…?」
「いろいろじじょうがあるんだよゆくさきさん? あとわたしは16だよぉ」

 彼女がここにきて先ず戸惑い抱えたであろう疑問と今目の前の光景で芽生える疑問をうちの所長がバッサリ切り捨てた。要するに気にするなということだ。

「あちらの猫ちゃんは…」
「すこてぃっしゅふぉーるどのもこおだよ」
「あら、かわいい…」

 どうやらもこおを見て少し緊張が和らいだようだ。こういう時にもこおがいて良かった。もこおは一瞬だけ丸まった両耳を立てこちらを見つめたが、直ぐに気にせずマチルダの肩の上でリラックスしている。

「うしろにいるこたちは、ざつよう、けいり、りょうりのおしごとをするからきにしないで。うちはこういうたいせいでうごいてるから」


 マチルダは待機しているうちのスタッフ達を軽く紹介する。

 雑用係でちょい悪系男子のザム・ザッツウェル。

 「よろしくっす!」

 経理係でパンク系女子のケイリー・ケリーティア。

 「よろしくお願いっす!」

 ギャルな料理係のクツキ・チョリー。

 「しくよろよろ~でございます。お見知りおきを…」

 皆マチルダと同年代の子達だ。彼らがまだストリートチルドレンだった頃、腕っぷしの強かったマチルダのことをヘッドだとか頭(かしら)と呼んでいた仲である。とは言っても、マチルダからしたら勝手に喧嘩を売ってきて勝手に慕ってきただけらしいが…な。

「あ、はい。すいませんいきなり戸惑っちゃって、こういう探偵事務所にくるのは初めてなもので、えっと、それでは早速お話しなんですが…行方不明になった婚約者を、先崎育英(さきざき いくえい)さんを探してほしいんです」

 薄い黄色いコートの内ポケットからスマホを取り出し、画面を操作して机の上に差し出す。映っていたのは、カメラに向けて笑顔を向けている男性。直接会ってはいないが、写真の第一印象は彼女と似たような、物腰柔らかそうな優しいものを感じる。

「やさしそうなひとだね」
「彼はいつから行方不明に?」
「一週間前の9月6日から突然連絡がつかなくなって、電話をしてもメールをしても、なにも反応が返ってこないんです。私の家族や彼の家族、友人に会社の上司、同僚にも連絡を取ってもらったんですが、全部駄目で…もちろん家にも行きましたけど、鍵は開けっ放しでいなかったんです…育英さんが色々放ったまま連絡がつかなくなるなんて今まで無かったから、私も含めて皆、もう、心配で心配で…」

 話している途中で思いつめた表情で下を向いた彼女の両手が、強く強く握りしめたまま小刻みに震えている。今にも泣きだしそうなその様子に、彼女の真剣さと必死さが伝わってくる。

「婚約者はおろか、あらゆる人からの連絡に返事も返さず突如失踪。古典的な行方不明ですね…警察には言いましたか?」
「もちろん捜索願は出しました。成人男性がたかが一週間連絡を寄こさずにいなくなったぐらいと思われてもかまいませんでした。でも、やっぱりすぐには見つからないから…」
「悪い方に考えてはいけません。警察だけでは不安になって、たまらず藁にも縋る思いで我々のところに来たのでしょう? 希望を持ちましょう行先さん」
「けいさつにもいって、わたしたちのところにもきたんだから、みつかるかくりつはあがるよ。だからだいじょうぶ、あんしんしてまかせて」
「はい、ありがとうございます…」
「では行先さん。婚約者のことを詳しく聞かせてください。先ずはそこから何かヒントを掴み取りましょう」
「はい。育英さんは私の勤める医療器具メーカーの取引先の研究機関会社に勤めています。私たちは仕事のやりとりで出会い、1年の交際を経て婚約しました。式は今年上げる予定なんですが、さっきも話した通り、一週間前から私を含めて色んな人との連絡を取ってくれなくなり、何処にいて何をしているのかわからない状態です」
「突然連絡が取れなくなったことに何か心当たりはありませんか?どんな些細なことでも構いません」
「いえそれが、なにも心当たりはなくて、私自身もなにか彼の気を悪くさせてしまうことをしてしまったんじゃないかと悩んだんですが、考えてもわからないんです。お互いの両親と一緒に何度も一緒に食事していますし、家族間でなにか険悪になって揉めたこともないんです」

 基本的な家族間で問題があった線は一先ず無い。預かり知れないところで何かあったのではないかという可能性も探りたいが、彼女の躊躇と迷いの見られない話しぶりから、とりあえずこちらは今のところないとしておこう。

「ご近所付き合いでなにか心当たりは」
「ご近所ですか…そこまで詳しい所まで知っているわけではありませんが、私の知っている限りでは、彼はご近所とトラブルがあったとか、なにか悩んでいたという話は聞いてません。勿論私も無いです」
「ご近所路線は無しと…仕事関係はどうです?」
「それこそありえません。私と出会ったのだって、彼との仕事のやり取りで出会ったのがきっかけですし、なにより彼は自分の仕事熱心で熱意があって、私に何度も自社の製品のことを詳しくわかりやすく説明してくれました。だからこそ信頼できる人だと、公私ともに思えたんですから。仕事に熱が入り過ぎてパワハラやトラブルなんてこともありません。良識を弁えた人です。」
「熱意と仕事ぶりからの公私共に信頼できるというのは素晴らしいじゃないですか」

 仕事上も問題なし。段々と判断材料が無くなってきたが、問題がない人というのは良いのだが、こういう時にはとっかかりが何もないと逆に困ってしまう。それでも何かないか、質問を続けるしかない。

「私の知る限り、金銭関係やネットトラブルなども一切無いです。怪しい集団に関わったということもありません」
「そうですか…人としては良いことなんですが、捜査する上でヒントが無いですね…失礼ですが、なにか先崎さん、もしくは貴方に私怨を抱くような人物に心当たりはありませんか? 例え当人達に問題はなくとも、身勝手な理由や理不尽な理由で恨みを抱いて攻撃することはざらにあります」
「申し訳ないのですが、そちらも思い浮かぶ者はいません。無自覚に反感を買うようなことをしたのなら別ですが、でもそれは流石にわからないので…」

 行先さんはそこから数分考えこんだが、やはり思い当たることも人物もなく、申し訳ないと再び会釈する。お気になさらずと声をかけつつ、手掛かりが一つもない状態になってしまったので内心は気分が沈む。初手から何も掴めずに行き詰まってしまったか…。これ以上長居させると彼女も心労などで気疲れしてしまうかもしれない。今日は一旦しめることにする。

「本日はご依頼いただきありがとうございました。何とか全力で調査いたします。なにかわかったらこちらからご連絡いたしますので。行先さんの方でも気付いたことや何かありましたらご連絡ください」
「はい、ありがとうございます。それでは…」

 玄関扉前まで彼女を見送る。扉を開けると、もう冷たさを帯びた風が吹きすさんでいる。小さな枯れ葉がいくつか落ちているが、溜まってきたら掃除しないといけないな。遠くなっていく行先さんの背中を見ていると、寒い時期の景色も相まって哀愁が漂っている。

「おつかれさまぁつかむ。はなしたけど、なにもじょうほうがなかったね」
「ああ、それでもやるしかない」
『議事録は録っておいた。今まとめている。終わったら直ぐに詳しく調査を始めようか』

 もこおを抱いたマチルダが何か言いたげに俺の顔を覗き込んだ。否、瞳を、瞳の奥を見据えている。

「ぶすいだけど“フォース”をつかったらなにかわかったんじゃないのぉ?」
「いや出来れば“フォース”は使いたくない、ちゃんと言葉として話せる分、心を読むよりは相互理解がしやすいが……っていうかマチルダ、“俺達のあれは”スターウォーズのようなフォースじゃねえぞ?」

 そう、出来ればフォースと揶揄する“アレ”には頼りたくない。まだ世の中に浸透する程普及と理解が及んでいないし、使ったときに彼女が受け入れてもらえるかが心配なのだ。下手したら恐怖を与えるか拒絶される恐れすらある。

 ギリギリまで踏ん張って頑張ってどうにもならない時にしか使わない。


 調査に向けて行先さんから得た情報と今の現状を整理して、この街のネットワーク「アクアネット」にアクセスしてさらなる情報を集めることにした。

 スウェンを部屋の中央に置き、事務所内のWi-Fiと繋げる。
 部屋全体に青緑色に光るデジタルモデル―ホログラム―が一斉にドーム型に広がる。SF映画で見られるCGのような光景となるが、これはリアルでもあり仮想現実でもある。デジタル表示された写真や文字の羅列を一つ一つ指で触れて移動させながら、整理するように確かめていく。

『さて、依頼人は行先明那さん25歳。セントラル・リバー区の医療器具メーカー勤務。婚約者の男性は先崎育英さん28歳。行先さんの勤めるメーカーの取引先の研究機関会社で出会い、1年の交際を経て婚約。式は今年上げる予定だが、突如一週間前から彼女を含めたあらゆる人物との連絡を絶ち、行方不明。行方をくらませることに心当たりはなく、家族関係、ご近所付き合い、仕事関係も人間関係もトラブルはない。先程アクアネットにアクセスして、一件一件許可を得て情報を得たが、彼女の言う通り金銭関係やSNSなどでのネットトラブルなども一切無いな。ヤバイ連中や怪しい輩に引っかかったということもないようだ。人としては立派だが、今回は逆に困るなこれは』
「一切トラブルや黒い噂がないとなると、確かに何も掴めないな…待てよ? ここ一週間とそうだな、数か月の先崎さんの活動範囲に設置されてる防犯カメラにアクセスして、記録を見せてもらえないか頼めるか? 彼の周りに不審な人物がいないかちょっとでもいいから探りたい」
『了解した。念のために誘拐、事故、もしくは殺人の視野も入れるのか』
「一応な、彼自身に何かなくても、身勝手な他人からの攻撃なんてこの世にごちゃまんとある」
『一方的な嫉妬や理不尽な怒り、もしくは粘着だな。あ~嫌だ嫌だ』

 例えその人自身が人畜無害の素晴らしい人柄であろうとも、“その人としての優秀さと美しさ”故に一方的な負の感情で恨みを持たれて殺されることなんてざらにある。言い方を選ぶが持たざる者からの攻撃だ。勿論、なにかの拍子に事故に遭い、身動きが取れない状況に陥ったり、身元が特定できるものがなく入院している可能性だって1ミリぐらいある。

「どうだスウェン? なにか怪しい車なんかが映ったりとかは?」
『該当無しだな。先崎さんは映っていない。彼を追う人影や怪しい車は何処にも映っていない。彼が何か怪しげな建物に入り込むなんてこともない。すべて安心安全健全で標準的な建物ばかりだ…いや、待て』

 流暢に流れていた彼の電子音声が、急に止まる。この線は無しかと思っていたが、なにか少しでもおかしいものを発見したのだろうか。


『掴、行先さんは怪我や病気関連のことはなにも言ってなかったな』
「そうだな」
『彼は病院に行っているぞ。セントラル・リバー区病院の監視映像だ。見ろ、内装のカメラもすべてだ。彼が映ってる』

 スウェンがピックアップしてくれた映像を指でスライドして手元に引き寄せる。日付と時刻を確認し、そこには、普通に受付を済ませて病院内に入っていく様子が四方八方から映っていた。

「見たところ怪我はしてないみたいだが、なにか病気にでもなってたのか?」
『怪我ではこの病院には来ないだろう』
「そうだな、ここは精神科病院だ。しかもセラピーに特化した」
『アクセスしたらさらに映像が出てきた。どうやら定期的に訪れているみたようだ。しかし何故だろう? 監視カメラとはいえ、一目見ただけでは、彼は精神を患っているようには見えない』
「雰囲気も精悍だしな。そういう問題を抱えた人達の雰囲気はない…」

 どういうことだろうかと考える。これはこの行方不明事件に関係あることなのだろうか? 彼女との結婚で、なにか思い悩むことが増えてきて、セラピストに相談するほど気に病むことでも…? 事前の情報では、人との関係については良好で問題はない筈。

「話してないこと、隠してることでもあるのか…?」
『やはり“フォース”でも使えばよかったか?』
「それは勘弁してくれって、あとフォースじゃねえって」

 しかし、病院の件には妙に違和感を感じる。なんと言い表せばよいのかわからない気持ち悪さだ。こういう仕事をしていると、必ず付きまとうものだ、調べている最中のパズルのピースとピースが浮かんだまま組みあがらない歯痒さとでもいうべきか。

『君の気持ちを受信した。病院の件は確かに不可解だ。ちなみに私の場合は“不気味さ”という感覚を検出した』
「お前が寄りにもよって不気味と感じるのか」
『私の直感は当たる。この直感というのは人工知能の本能か、蓄積された学習項目から来るものだがね』
「直感程大切にしなきゃなんねえものはねえが、なにが不気味なんだ?」
『なにか前提から間違ったままことを進めている…だな。そしてそこに何かの介入を感知する』
「なんじゃそりゃ?」

 こうは言うが、正直人間だろうがAIだろうが直感――所謂嫌な予感は当たる。
 今回気になるのは、スウェンの言う前提から間違ったままというのが、範囲が明確ではないことだ。あと、何かの介入の何かとはなんだ? 彼の思考回路がそう感知しているのだから仕方がないが…。

「もう一度行先さんに詳しく話を聞いてみるか、あるいは…」
『いや待て。捜索願が出ているならオーティス警部に聞いてみるか』
「だな、警察なら、もう聞き込みはしていて進展があるかもしれんし、色々省ける」


 スウェンにクォーツ署のジンノ・オーティス警部への回線を開いてもらい、空中に電話番号などのコールボタンを表示してもらう。ボタンを指で押して彼へ電話をかける。呼び出し音が鳴り響いて数秒で出てくれた。
 アクアネットを通じて、クォーツ署の通信端末を仲介して事務所の部屋の中にジンノさんの姿が映し出される。遠く離れていてもこうやって相手の姿まるごと通信で会話できるんだから、本当に便利なもんだ。

「よお掴か。元気にしてっか?」
「相変わらず元気だよジンノさん」
「相棒も元気か?」
『すこぶる快調だオーティス警部』
「ははっなら良かった」

 癖のあるオールバック。言葉の端々を妙に鼻にかけて滑らかに話す独特の喋り方と、アンニュイな表情だけど快活な笑顔。それがジンノさん。俺の元上司だ。

「ジンノさん。先崎育英さんって人の捜索願が出されてるだろ? 28歳で研究機関会社勤務の男性なんだけど。一週間前の9月6日からから行方不明なんだ。なんか新しい情報がないか聞きたいんだよ」

 そういってジンノさんに先崎さんの情報とこれまでのデータを見せる。ジンノさんは「ちょいと待ってろぃ?」と言いながら警察手帳と署内の通信端末を取り出し、こちらの情報と交互に目を凝らして食い入るように睨めっこし始め、電話で聞いてみたり、署内の職員たちに尋ねるなどしてくれて…。

「…いやおい、その先崎さんって人の捜索願の届け出は、出てねえぞぉぃ?」
『「え嘘ぉ?」』

 思いもよらぬ返答で同時に驚く声が漏れ出た。

「嘘じゃねえよ。今電話しても聞いて、データベースも見て確認したが、確かにありゃしねぇ」

 自分でもなんのことやらと言いたげな表情で頭を摩っている。これはおかしな方向に舵が切られようとしているぞ。確かに行先さんは先崎さんが行方不明になっているから捜索願を出したと言っていた。なのに今、警察になにか進展か情報かなにか聞いたら、そもそも捜索願が出されていないと…?

『今オーティス警部の端末にデータを送ったぞ』
「あ、サンキュ、スウェン。ジンノさん、今詳しい情報を送ったから、念のためもう一回確認してくれよ。行先明那さんって女性が出している筈なんだよ」
「しっかたねえな。お、きたきた。なんか半分おかしなことに片足ツッコんだ気分だから調べてくるぜぃ?」

 そういい終えてジンノさんが手を振ると、一瞬で彼の姿が消え、通信回線は繋がったままスリープモードに入り、電話待機中のメロディが流れ始める。

「どうなってんだ? 行先さんは嘘を付いてたのか?」
『嘘を付いている時のパターンは検出感知しなかったが…いや、自分は嘘を言っていないという強い気持ちか?』
「いやだとしても嘘を付く意味も内容も意味が分からん」
『それな。何故わざわざ婚約者が行方不明だと嘘を付く必要がある?』
「待てよ? スウェン、さっきの病院の映像っていつの時だ?」
『4月1日からの映像だ。それから8か月連続で映っている。それ以前に病院に訪れている映像はヒットしない』
「8か月前か…先崎さんが失踪したのは1週間前の9月6日…じゃあこの8か月の間になにかあったんだよな…」
『それからこの病院なんだが、かなりセラピーに関して進んだ技術を開拓しているようだ。見ろ、AIセラピー装置というものを導入している。8か月の試験運用の後に正式導入だそうだ』
「へえ、最近は進んでるんだな…」

 スウェンがよこしてくれたデータファイルを指でスライドして開き、読む。記事や詳しい情報と共にいくつかの写真がある。メディカルポッドのようなものだろうかと想像していたが、予想と違い大分コンパクトな機械だ。地面に置いてスイッチを入れるだけで、ホログラムが表示されて様々なデータ分析と共に、AIが親身になってセラピーをしてくれる、またはセラピストと共に患者の話しを聞いて治療に役立てるという。
 デジタルの、つまりCGとホログラムを用いたバーチャルモデルも生成してくれて、例えば自分や恋人のモデリングを行い、どんな風に暮らしていくのが理想なのか、というテーマでそのモデルを使ってシミュレーションまでしてくれるそうだ。

『実際にどう動くか、どんな関係を築いていくかなどの明確なシミュレーションをデジタル立体物として用意すると、容易に理解しやすいからな。感情移入もしやすいしだろう』
「そうだな…」 

 瞬間、思考が弾けて閃いた。なら、そうじゃないか…!

「このAIセラピー装置って先崎さんも使ってたんじゃねえか?」
『む? そうだな。この病院の診療の大半はこの装置を用いて行われている。彼が8か月もの間受診していたのなら、使っている可能性は高いかもな』
「だけど…受診する理由がわからないんだよな…」

 使ってたのではないかということを思いついても、やはり通う理由がわからない。本当は悩んでいたのか? ただわからないだけではなく、なにかが引っかかる…。さっきスウェンが言っていた根本的な何かが間違って…。

 AIセラピー装置、8か月前、試験運用、行き続ける…

「あ…会社関係か…? そうだ。なにも病院に来る理由は、診てもらうためだけじゃない。仕事関係で来ることだってある、簡単なことを見落としてた。スウェン、先崎さんは勤務先から仕事で来てたんじゃないか? そこではAIセラピー装置を作っていて…」
『今調べてる……ビンゴだ掴。先崎さんが勤める会社は、あのAIセラピー装置を開発研究している。試験運用先が丁度あの病院だ。彼は開発に関わっているぞ、視察に来ていたのか、実際に運用データを見に来ていたのかもしれない。だが、これがわかったとしてもなにか進展があるわけでは…』
「わかってる。こんな情報は行先さんからでも簡単に話してくれそうな内容だ。結局先崎さんが病院に来ていた理由と目的が分かっただけだからなんとも」


 スリープモードにしていた通信が起動した。ずっと流れていた待機音楽のメロディが止んで、デジタルの揺らめきを纏ったジンノさんが再び部屋に表示される。通信回路に戻ってきたのだ。
 しかし、その表情は先程と違い、苦虫を噛み潰したような険しいものだった。なにかあったのだろうか…?

「2人とも……その…先崎って人なんだが……」

 歯切れが悪い。途端に嫌な予感が頭を過る――

「死んでる……1か月前にだ」

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