「育児」が好き。でも「イクメン」は嫌い。
僕は、育児が好きだ。
僕には今年4歳になる息子がいる。
基本的に家で仕事をしていることもあり、相対評価で見たら世の中のパパ達よりも、息子と向き合う時間や濃度はたっぷりな方だと自負している。
育児日記は妊娠が分かってからずっと書いているし、一緒に本棚や椅子をDIYしたり(息子の好きな色のペンキを塗って隠れた場所にメッセージを入れたり)、オリジナルストーリーの絵本を作ったり、息子専用の晩御飯のメニュー表を作ったり、キャラ弁だって最近は上達してきた。
息子がいなかったら、僕の人生は仕事一辺倒で、もっと無機質だったろうし、彼のおかげで知れたこと(電車の種類とか)、感じられたこと、体験できたことは計り知れない。
勿論、大変なこともある。
切迫早産で1ヶ月以上早く産まれ、毎日NICUに通ったし、喘息で何度も入院しているし、保育園に入った直後なんて5日間連続で行ける日が来るとは思えなかった。
けれど、一挙手一投足、全てが愛おしいと思えるし、彼の成長は何よりも誇らしい。
「子どもは3歳までに一生分の親孝行をしている」なんて言うけれど、全くその通りだと思う。
僕は、限られた、混沌とした、愛おしい日々の幸せを噛み締めている。
けれど。
僕は「自称イクメン」が好きじゃない。
そもそも子育てなんてものに、ドラマのようなハイライトや華々しい盛り上がりなんて存在しない。地味なタスクの繰り返し、終わりのない日常の連続だ。
それなのに「今日はパパの日!」などと大げさなラベリングをして張り切り、SNSなどで何かしらの発信をしているイクメン(仮)の姿を見ると、どうにも違和感を拭えない。
我が子との思い出や、愛おしいエピソードなんて、育児ノートに書き留めるか、夫婦の間で「今日こんなことがあってさ〜」と語り合えばそれで完結するはずだ。
なぜ、子どもとの「二人だけの大事な思い出」を、わざわざ世の中に発信する必要があるのだろうか。
SNSでやたらターゲティングされる、感動的なBGMにのせた、息子とのほっこりエピソードや、はっとさせられた系の子どもの発言、「エモい」という安い読後感の作り物、本当に嫌になってしまう。
さらに目も当てられないのは、ズレたコミュ力を発揮しているパパたちだ。「ママ友の輪に自然に溶け込める僕」というブランディングを狙っているのか、保育園や公園でママたちの会話に入り込んでは、ずっと不調法にスベり続けている。
それは子どものためでも何でもなく、「ママ友がいる進歩的な俺」の誇示だ。
履歴書やSNSのプロフィール欄に、のうのうと「趣味:子育て」などと書いている男も終わっている。
もしも本当に、きちんと本気で子育てをしてたら「趣味」なんか言えるものか!
子育ては、一人の人間を預かり、きちんとした大人に育てるための「最優先の使命」だ!
それを趣味と同列に扱う軽さに、僕は辟易としてしまう。
彼らの共通点は、いつだって矢印が「子ども」ではなく「自分」に向いていることだ。
しかし、僕にも上記の気質があるのは薄々分かっている。
(だからこそ、育児のことは発信しないようにしているが)
保育園の対応がぎこちないパパを見ると「俺のほうがコミュ力あるぜ〜」と思うし、見た目にあまり気を遣ってないパパを見ると「俺のほうがイケてるぜ〜」と思う。
まぁ、つまるところ「自分が他のパパよりも優れいている」と思う度に「息子よ、パパがパパで良かったな!」と思ってしまうのだ。
(たまに本人にも言ってしまうし・・・)
僕にも、彼らとは表現方法が違うだけで、承認欲求はゴリゴリにあるのだろう。
「良いパパ」と自認していたいし、他者にもそう思われたい。
それは間違ったことじゃないし、子育ての中でメタ的に捉えないとやっていけない時も往々にしてある。
なのに、そんな感情も丸っと包括した上で、自称イクメンに腹が立ってしまう。
そうして、こんなところで悪口を書いている。
こんなパパってどうなのさ!?ダメじゃない!?
だから今日も恵比寿でお酒を飲んでいる。
3杯目。だるまのハイボール。
