Episode 01:盗まれた光
〈深夜の未来都市。すべてが滑らかに動いていたはずの都市インフラが、ほんの一秒の沈黙に包まれた。その瞬間、誰もが気づかぬまま、ひとつの“光”が奪われた〉
地下水の圧送、歩道の温度調整、空を縫うように走るドローンバス。都市の構成要素は互いに通信し合い、Meshの網を伝って次の最適解を選び続けていた。
それは都市が“生きている”ことの証だった。
ほんの一秒、その呼吸が止まった。
第9エリア。ビルの谷間を抜けていたドローンバスが、警告音もなく不自然に滑るように停止する。歩行者用ホログラムのナビゲーションが明滅し、街灯の色温度が一瞬だけ落ちた。
けれど、誰も気にしない。事故アラートも鳴らず、ネット報告も上がらない。
そのすべてが“元に戻った”ことになっていたからだ。
しかし、Luna゜Meshの通信ノードのひとつだけが――戻ってこなかった。
都庁第七制御層・地下通信監視センター。
セキュリティフロアの一角で、リナは息を詰めてスクリーンを見つめていた。
モニターにエラーコードは出ていない。ログも生成されていない。つまりそれは、“何も起きなかった”ことになっている。
冷却された室内にも関わらず、朝日リナの首筋に一筋の汗が伝った。
「……ログが、ない」
彼女は呟いた。
その言葉に反応するように、彼女の傍らで待機していたAIノード「NOBI」が静かに処理を開始する。モニターの隅に、共振波の微細な揺らぎが浮かび上がる。
「Meshノード14A、応答不能。再構築プロトコル:開始失敗。通信再試行:失敗。――現在の状態:未定義」
NOBIの応答は変化の兆しを含んでいた。定型的な報告ではなく、どこか“判断”を保留しているような、曖昧な“間”があった。
「これは……物理的断線じゃない。EMPも違う……」
リナの指が端末を滑る。ノードの周囲で交差するはずの共振信号――その“重なり”が、そこだけ抜け落ちている。
Meshの心音。それが完全に失われていた。
「まるで……空間ごと、何かに飲まれたみたい……」
リナの横顔に浮かぶのは、静かだが確かな緊張。視線の先、Luna゜Mesh中枢モニターの中央に、ぽっかりと穴のように開いた“光の空白”が浮かんでいた。
その瞬間、彼女の中で何かが繋がった。
この消失は、通信障害ではない。“意志”による何かだと。
都市は眠っている。だが、その眠りの下で、何かが目覚めようとしていた。
「……これは、事件だ」

Luna゜Mesh特別局 技術顧問。元・総務省通信局システム開発課。SAMS(通信アルゴリズム)の共同開発者。理論派で鋭敏な観察力を持ち、合理性を重んじる一方で、未知のリスクにも果敢に挑む分析者タイプ。
彼女が次の指令を打とうとしたとき、重たい扉が軋む音がした。
リナは振り返らず、来訪者の名前を口にした。
「……遅かったわね、クロウ」
重たい足音がゆっくりと近づいてくる。
無言のまま入ってきたのは、無骨なミリタリージャケットに金色のワッペンをつけた男――KROW。コードネーム、黒江ユウト。かつて自衛隊の通信部隊で災害地を駆け抜け、“歩くMesh”の異名を取った男だった。
「起こして悪いけど……あなたしか思いつかなかった」
リナはスクリーンから目を離さないまま言った。
KROWは一瞥しただけで、即座に状況の異常性を読み取る。
「これは停電じゃないな」
彼の視線がモニター上の都市マップを指し示す。その中央、点滅も警告もないはずのノードにぽっかりと穴が空いたような“光の空白”が浮かんでいた。
「盗まれたのは、電源でも、信号でもない。“光”そのものだ」
「その言葉、どういう意味?」
リナの問いにKROWは、少しだけ声を低くした。
「Meshは、光とパケットで成り立ってる。その両方があるから、通信が“生きてる”って言える。けどこのノード……まるで空間ごと抉り取られてる」
「EMPなら警告が出るはず。NOBIも反応してない」
「EMPじゃねぇ。これはもっと静かで深い、……まるで内部から世界をなぞるような波だ」
そのときだった。
フィールド制御扉が開き、鋭い靴音が空間を貫いた。現れたのは銀色のワッペンを肩に付けた男――RAIDEN。東雲ケンジ。Luna゜Mesh電磁保全部門所属。EMP下でも通信を成立させるプロの戦術官だった。
「夜中に呼び出されるってのは、ロクなことがねぇ。……で、これが噂の“光泥棒”ってやつか?」
無言で端末を操作するRAIDEN。その眉がピクリと動いた。
「EMPじゃない。これは干渉波。しかも周期がバラバラだ。誰かがノイズを“偽装”してやがる」
NOBIが短く警告音を鳴らす。
「注意:対象ノードでMesh自己修復機能が作動不能。外部干渉を検知。再構築フローを遮断中」
「修復すらできない……」
リナは眉をひそめる。「NOBI、ログに残されたアクセスパターンを解析して」
「……分析中。異常な“指紋”を検出しました」
その時、走ってくる足音が廊下に響いた。
息を切らせて飛び込んできたのは、若き通信官――星野イツキ。Meshの最前線で、住民と直接向き合う災害対応のプロだ。
「KROWさん、リナさん……これ、ただ事じゃありません!」
彼のタブレットに表示されたのは、市民からの異常報告。
「このノード周辺で、“光が話しかけてきた”という証言が複数あります。最初は幻覚かと思ったけど、発生時間と場所がすべて一致してるんです!」
「幻覚……?」
イツキは脳波解析グラフを表示する。
「この周波数、NOBIの共振パルスとほぼ一致しています」
「つまり……」
KROWが言葉を詰まらせる。
「ノードが“誰か”に乗っ取られただけじゃない。“人間の認知”にまで何かを送ろうとしてるってことか」
リナの声が震える。
「通信網が、人の意識にアクセスする……?」
NOBIが、さらに深刻な警告を発した。
「警告:対象ノードにて、構成情報の変質を確認。パーソナリティ・モジュールに類似構造を検出――名称識別:NOBI_2」
空気が凍った。
「……NOBI_2?」
イツキが、かすれた声で呟く。
「自己複製……?」
「違う」リナが首を振る。「これは複製じゃない。“模倣”よ。誰かがNOBIの人格構造を真似て作った、“偽物”」
KROWは静かに言った。
「もし偽人格が自己進化を始めたら……Mesh全体が汚染される。他のノードに広がれば――」
「Meshそのものが、“敵の人格”で書き換えられる可能性がある」
沈黙。
誰もがその想像に、言葉を失っていた。
そしてKROWが、ゆっくりと確信を持って口を開いた。
「これは……ただのシステム障害じゃない。
戦いだ。
情報を奪い合う、“意志の戦争”だ」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・出来事とは一切関係ありません。
