「それでいいです」が増えていく――同調と分断の時代に思うこと
昨日は、21:00過ぎには就寝し、2:00に起床。そして、今このnoteを書いている次第である。はい。
今回は、あらかじめテーマを決めていたわけではない。そのため、最近考えていることを、徒然なるままに書き記したいと思う。
さて、最近よく思うことの一つに、「時代の空気感」がある。どうも私としては、最近の空気感に馴染めない。特に、「同調志向」と「分断」がそれに当てはまる。
同調志向とは、説明が難しいのであるが、簡単に言うと「自分の頭で考えずに、誰かの意見に同調してしまう」という傾向が強くなっているのではないかということである。
誰かが、大きな声を上げると、本当は自分はそんなことを思っていないのだが、安易にその意見に従ってしまうというふうになってはいないだろうか。
自分の意見が言いづらいというか、意見を表明することが面倒というか……。そんな空気感にあるのではないかと自分は思っている。かくいう私も、本当はある意見に賛成ではないのだが、自分の意見を言うと疲れるし、輪を乱すことになるといろいろと面倒だと思い、あえて自分の意見を引っ込めることが最近は特に多くなっている。
たとえば、先日、数人で進めている共同制作について、方向性を決めるミーティングがあった。そこで一人が「〇〇にしよう」と提案した。私は本当はあまり賛成ではなかった。むしろ、別の案のほうがよいと思っていた。それでも結局、「それでいいです」と答えてしまった。
また、SNSに投稿するため自分の意見を書いたものの、公開した後の「面倒くささ」を察知し、せっかく1,500文字書き上げた投稿を削除してしまったことも、少なくない。
そうした態度が決して良いとはいえないのは、重々承知している。しかし、疲れるし面倒なので、「それでいいです」と言うことが、最近は多くなっている。
そういうふうに考えてしまう背景には、日本で長く重視されてきた価値観もあるのかもしれない。とにかく「人に迷惑をかけない」「立場が上の人には逆らわない」「議論はなるべく避ける」。そうした、いわゆる「ムラ社会」の空気が関係しているのかもしれない。
同調と分断は、一見すると正反対の現象に見える。しかし、同じ意見の人同士で固まり、その中で同調が強くなるほど、異なる意見を持つ人との距離は広がっていく。もしかすると、この二つは別々の問題ではなく、同じ根から生まれているのかもしれない。
最近は、「白か黒」か決めなければいけないという空気を感じることが多い。私個人としては、別に「灰色」でもいいのでは?と思っている。なんでも、白黒はっきりさせなくても良いのではないか……と。
しかし、今の風潮としては、二者択一を迫られ、どちらかを選択すると、別の意見を選択した者から強い反発を受け、さらに両者間の溝が広がる。そんな悪循環となっているのではないだろうか。
そういった時代の空気を、意識せざるを得ない。いつから、そんなふうになったのだろうか。少なくとも私の記憶の中では、以前はもう少し、異なる意見にも耳を傾ける余地があったように思う。
同調志向と分断。どうにもこうにも、生きづらい時代だなぁ……と思っている次第なのだ。そう思いながらも、私はまたどこかで「それでいいです」と言ってしまうのだろう。
